『ゴルゴ13』さいとう・たかをさん死去、生前取材した際に筆者に語った「原点」

中3時の「衝撃的な体験」
2021年09月29日 14:30
SAKISIRU編集長
2017年、外務省とのコラボ作品発表した際、岸田外相(当時)と記念撮影に応じる、さいとうさん(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

『ゴルゴ13』の原作者で、劇画家のさいとう・たかをさんが今月24日、膵臓がんで亡くなった。84歳。さいとう・プロダクションが29日、明らかにした。

『ゴルゴ13』は東西冷戦真っ只中の1968年、小学館発行の「ビックコミック」で連載を開始。冷戦後も同時テロ、近年も米中冷戦を題材にするなど、徹底した取材をベースに複雑化する世界の最新情勢を反映し、麻生太郎副総理らの政治家や外交官にも愛読されるほどリアルな世界を半世紀以上、描き続けた。単一の漫画作品としては世界最多の単行本となる202巻を数え、ギネスにも公認された。

さいとうさんは1936年生まれ。出生は和歌山だったが、小中学校は大阪府堺市で過ごした。実は筆者(新田)はさいとうさんを生前一度だけ取材したことがある。2007年2月、読売新聞都内版で著名人が故郷を語る「ふるさと」というコーナーで、当時の記事を久々に読み返してみた。漫画の世界を志したのは父の影響。ただお父様は写真家や画家など夢追い人だったようで、国内や満州を放浪。さいとうさんが「幼い時にはほとんど顔を合わせませんでしたが、絵が好きなところは受け継ぎましたね」としみじみ語っていたのを思い出す。

芸術志向の気質は父から受け継いだ、さいとうさんが、直接的に漫画の世界を志したのは、やはり手塚治虫の存在だったようだ。一方で「少年時代は読書好きで当初は挿絵画家になるのが夢」だったとも語っていた。そして映画好きの母親に連れられたのがきっかけで映画好きになり、学校をサボって映画館に行くほど夢中になった。「ストーリー作りに興味を持ったのは映画のおかげ」と語るように原点となった。

そして「ゴルゴ13」を語る上で欠かせない原点も話していただいた。

さいとうさんは5人兄弟の末っ子でお兄さんたちと年が離れていたこともあってか、「幼いころから理屈っぽく、何にでも疑問を持つところがありました」という。テストの時には「こんなクイズにで人を評価できるのか」と、屁理屈をこねて白紙の答案を出すこともあったようだ。

しかし中3のとき、担任の先生から「白紙で出すのは構わないが、その責任は自分で取らなければならない」と言われたことでハッと気づくことがあったようだ。取材当時、古希を迎えていた、さいとうさんだったが、「この先生の一言が責任を持って社会で生きることを私に教えたのです。衝撃的な体験でした」と懐かしそうに語っていたのが印象的だった。

そのエピソードがなぜ「ゴルゴ13」の原点なのか。担任の先生の名字が「東郷」。デューク・東郷のネーミングに選ぶほど先生の存在が大きかったのだ。

さいとうさんと言えば、漫画制作に「イノベーション」をもたらしたことで知られる。デビューした頃の漫画界は作家1人がストーリーも描画も考え、せいぜいアシスタントが付くくらいという極めて個人商店的な運営だったのを、映画製作を意識し、ストーリーを作る人と絵を描く人を分ける「分業制」をいち早く導入するという組織化を図った。

この時の取材は、社会部的ないかにも人情味あふれる切り口の企画になってしまったが、筆者自身も「ゴルゴ13」や「武田信玄」などを愛読していたこともあって、事務所で社員の皆さんの仕事ぶりを横目に「これがあの制作現場なのか」とワクワクしながら拝見しつつ、部屋の隅のソファ席で、「分業制」についてもご本人に聞いてみた。

さすがに14年前のことなので、詳細な文言は覚えていないが、「そりゃ、話を作る才能と絵を描く才能は別だもの」とズバリ。スタッフがそれぞれの得意分野を掛け合わせた方が、より効率的に、よりスケールの大きい作品を長く紡ぎづづけられる。合理主義者としての才覚もまた成功をもたらしたのだと、改めて確認したひとときだった。合掌。

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