日本の教育2030 #1 答えのない問題を「問う力」

「バカロレア」先進校を直撃
ジャーナリスト
  • 2030年以降、日本の教育は大改革へ?こどもの日に連載スタート
  • 知識習得重視の日本。先進国の潮流は考え、議論する教育へ
  • 日本でも先行するバカロレア教育の現場。歴史では「禁じ手」も

 かの松下幸之助は「日本には資源がないけれども、質の高い人材資源が豊かにあるのですから、これを活用していくことがますます必要になります」と述べたという(『松下幸之助発言集18』)。

 日本が一時代を築けたのは教育インフラの賜物。しかし、コロナ禍のオンライン教育の遅れひとつをとっても、工業化社会からデジタル化社会への転換に際し、日本の教育は世界の趨勢に取り残されつつある。OECD各国はすでに2030年の教育再定義に向けて動き出している。

 きょうの「こどもの日」を境に日本の教育のこれからを考える(3回連載)。

metamorworks/iStock

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「コロンブスがもし、アメリカ大陸を発見していなければ世界はどうなっていたか?」

バカロレア(IB)教育では、こうした問いを子どもたちに投げかける。日本の教育では「コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年」とまず年号を教えますが、同じ事実を教えるにしても、アプローチ方法がまるで違うのです」

そう語るのは永留聡氏だ。日本において3校のバカロレア校の立ち上げに関わり、現在も広島県の私立英数学館小学校・中学校・高校の校長として、バカロレア教育を実践しているパイオニアである。

2030年からの教育方式?

子どもたちが “自ら考える”力をつけるために開発されたというバカロレア教育(IB)は、1968年にスイスで立ち上がった教育法カリキュラムで世界では既に53年以上の実績がある。世界どこにいても互換性のある教育が受けられるという特徴があって、世界での導入は158カ国にまたがっている。

日本でも現在、文部科学省が認定校を増やそうとしており、すでに国立、私立を中心に167校(21年3月現在)が存在している。「2020年から日本の教育実験校で、バカロレア的手法を取り入れる。その結果を踏まえて2030年からの教育改定でこのバカロレアの導入を本格的に取り入れようとする方向にある」とはある国立の教育関係者の弁だ。

英数学館でのバカロレア教育の授業風景(筆者撮影、奥が永留校長。2019年9月)

とりわけ同教育で取り入れられている「知の理論」(TOK:theory of knowledge)は、2020年に改定された日本の教育指導要領でも採用された「探求学習」の元祖のような存在だといえる。自ら考える力をつけるための手法といっても、具体的には一体どのような教え方をしているのだろうか。

「教師が問いかけを行い、学びながら問題意識を刺激していく。そして生徒自らが“問いを立てる”ように促すのです。例えば、第二次世界大戦を勉強する際には、生徒にはこんな風にアプローチする。『あの時、どうしておけば戦争は起きなかったのだろうか?』などと問いかけるのです。(永留氏)。

問いを立てる――とは、聞き慣れない言い方だが、IB教育では非常に重要視される手法なのだという。定説を一旦疑い、生徒たちの問題意識を駆り立てた上で、生徒自らが仮説をたてて問題を検証していくのだ。

歴史の学びも暗記でなく仮説

IBでは独自の世界共通の教科書があり、これをもとにまず歴史を学んでいくという。そして世界史では、第二次世界大戦での指導者の行動に着目するという。

「1930年~40年代には、各国の指導者として、イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラー、中国の毛沢東、日本の東条英機がいました。そもそも彼らはどういった背景で登場したのか?例えば、ヒトラーは当初、選挙で選ばれ、独裁もしていません。それにも関わらず、なぜ彼らは戦争へと突き進んでいった。それはなぜなのでしょうか?

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ヴェルサイユ条約では、ドイツに対して1320億マルクを30年に渡って支払えという賠償金の要求がありました。これは普通では決して払いきれない金額で、ドイツにとっては極端に不平等なものだったことが歴史的事実としてあります。これを契機に世界は、第二次世界大戦へと向かっていった。

ここで問いを立ててみましょう。『あの時、どのような形でこの条約を締結していたら、あの時、世界でどういう対応をしていたら、大戦はおこらなかったのか』というような、「問い」をたてるのです」

こうして、生徒には「第一次世界大戦が終わった後のヴェルサイユ条約の公約の是非について答えなさい」といったテスト問題がだされるのだという。大人でも即答などできない、簡単には答えのでない問題だが、このテストでは暗記力は問われないのだという。生徒は、自分の考えを述べるために、自ずと背景を調べる必要がでてくる。大学生の論文提出に近いといえるかもしれない。

“コンサル方式”の思考法 学ぶ

「問題が出てから2週間、1か月と、かかる時間は違いますが、自分で時間をかけて探すのです」(同氏)。資料や文献を探しにいくのだが調べるのはあくまで生徒本人だという。教員は橋渡しすることはあっても、直接的な手助けをすることはしない。

「学校側の役割は、子どもたちが自分で調べるための“環境”を準備すること。学校から公立図書館まで20分以内の距離でないとIBの認定校になれないことになっています。生徒は自分なりの答えを探す旅に出かけるのです」。なかには図書館に飽き足らず、海外の大学教授にメールを送って取材を試みる生徒もいるという。

「その答えは、調べても一つにはならないはずです。そして、本当に幅広い知識がなければ答えを出すことはできません」

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こうしたやりかたは、従来型の既存の日本の教育法と比べてみると、大きな違いがある。年号を始めとしてただひたすら暗記するよう教わってきたのだから。バカロレアは従来の教育法とは、「歴史にイフは存在しない」とした従来からの教え方の真逆をいく。バカロレアでは、その禁じ手である「イフ」を加えるのだというのだ。

バカロレアの手法を聞いていると、ビジネス本などで書かれているコンサルティングファームの問題解決手法を思い出す。一言でいえば、ロジカルシンキングとも表現できるだろう。そうしたものを幼い頃から噛み砕いたうえで学ぶ訓練をするということなのだろう。そして、こうした教育手法は、世界では潮流になりつつあるという。

従前の教育が自由な発想を阻害?

従来型の日本の教育では、考えたり議論したりすることは、大人になって知識を蓄えてからようやくする権利があるという考え方がされがちである。実際、日本における従来の教育では、発表する、議論することが学校のカリキュラムとして本格的に入ってくるのも大学のゼミ活動あたりから。高校生までは、ひたすら教室で先生の言うことを暗記することが重要視されてきた。

しかし、そもそもこうした思考法、発想法というのは、一朝一夕にして身につくものなのだろうか。そもそも大人になってから学んだところで、小学校から高校まで徹底して受け身な教育を受けてきて、そこから自由に考えることなどできるものだろうか。ある意味、教育が自由な発想のハードルを高くしているような側面もないだろうか。

「日本では大学入学時に疲れ切って“燃え尽き症候群”となりがちですが、わたしたちは高校を卒業した際に生徒が『やりたいことで溢れている』状態にすることを、目標としています」(永留氏)。

日本の教育のありかたが、いま根本から問われている。

(『#2  社会が変わっても「仕組み」を知れば怖くない』に続く)

 

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