すぎやまこういちさん追悼:ドラクエと戦争体験と「保守思想」

10年前、担当編集者として接した人物像とは
ライター・編集者
  • 作曲家のすぎやまこういちさんの特集雑誌をかつて担当した筆者による追悼記
  • 「ドラクエ」以外にも幅広い楽曲、その原点である戦争体験とは?
  • 晩年は保守的な発言で注目。「なぜ」反発したゲーマーらに答えた明快な理由

作曲家のすぎやまこういちさん(本名・椙山浩一)の訃報が報じられた。全楽曲を作曲した「ドラゴンクエスト」シリーズをプレイしていた筆者(梶原)は、縁あって10年前にすぎやまさんの特集雑誌『すぎやまこういちワンダーランド』を編集し、その半生や作曲の極意、ゲーム愛に至るまで様々な話をうかがう機会を得た。作曲家であると同時に、保守言論人としても知られるようになったすぎやまさんの人物像の一端をご紹介したい。

ゲーム音楽だけじゃない幅広い作曲

すぎやまさんの代表作としてゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズの楽曲が紹介されるのは当然なのだが、すぎやまさんの手により生み出された音楽は、ゲームファン、ドラクエファンのみならず、多くの人が耳にしている。

例えば、音楽番組「ザ・ヒットパレード」のテーマ曲。「ヒットパレード、ヒットパレード、みんなでヒットパレード」というあの曲だ。あるいはGAROの「学生街の喫茶店」や、ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」。ほかにも中山競馬のGIファンファーレ、「帰ってきたウルトラマン」のテーマなどアニメや特撮の音楽も多く手掛けている。ハウス食品「バーモントカレー」などCMソングの作曲は、実に1000曲以上にのぼる。多忙な時期には、こんなこともあったという。

夜10時に連絡があって、「12時間後の朝の10時までに何とか曲を作ってくれ」なんていうとんでもないオファーもありました。やればできるものです(笑)。(以下すべて引用部は『すぎやまこういちワンダーランド』による)

厳密に「生涯で作曲した楽曲数」を数えることすら不可能なほど、多くの楽曲を生み出したすぎやまさん。しかもジャンルもポップス、グループサウンズ、アニメソング、ゲーム音楽、バレエ曲、クラシックと実に幅広い。なぜすぎやまさんは、これほどまでに多ジャンルの楽曲を生み出すことができたのか。

語っていた「戦争体験」

「音大に入れなかったから東大に」行き、驚くべきことに独学で作曲を身につけたすぎやまさんだが、音楽の原点について、かつてこのように語っている。

ハーモニーを聴く耳を鍛えられたのはなぜかというと、なんと来襲する敵機の爆音を聴いてどの飛行機かを当てるために耳の訓練をしたからなのです。音楽の時間に先生が足踏みオルガンをCコードで「ブーッ」と鳴らし、「これは何でしょう」と訊く。僕が「はいっ!」と手を挙げる。「はい、椙山君」「ハホト」、「正解」というわけです。当時は「ドレミファソラシド」ではなく「ハニホヘトイロハ」だったんです。

戦時中、機銃掃射で日本本土を襲撃したP51同型機(Willard /iStock)

なんと「戦時教育」がその耳を育てたというのだ。昭和6年(1931年)生まれのすぎやまさんは10歳の頃に日米開戦を迎えた。機銃掃射を体験し、一緒に逃げた幼馴染が目の前で敵機に撃たれ命を落とすという凄惨な経験もしている。

そして、戦時下においても、歌や音楽が救いだったと語ってもいる。

(13歳だった)昭和19年には母の実家のある大分県竹田市へ疎開しました。大分へ向かうすし詰めの列車の中で二日間を過ごしました。寒い中でしたが、新聞紙を体に巻いてしのぎました。新聞の見開きの真ん中の部分に穴を開けて頭からすっぽりかぶり、その上から上着を着ると暖かいのです。そうして、家族で歌を歌いながら励まし合いました。

「政治的発言」をする理由

すぎやまさんは若い頃から自身がキャスターを務めるラジオ番組で「一票の格差」問題に言及するなど、政治に強い関心を持っていたという。また晩年は保守的な発言や活動をするようにもなった。これは筆者にとっては親しみを覚えるものだったが、「なぜすぎやまさんが」と怪訝に思うリスナーや、反発したゲーマーもいたようだ。これについても、すぎやまさんは明快に答えている。

「自然と身についたものです。祖父、祖母が知り合ったのはキリスト教会で、その根底には民主主義があったと思います。祖父は日露戦争反対論者で、明治時代に幸徳秋水も参加していた新聞『萬朝報』のメンバーでした。」

今の日本では民主主義者が右翼と呼ばれてしまうだけで、自分としては民主主義者として大切なことを発言しているだけです。」

ドラクエについてもこう述べている。

「かつて「ドラクエは武器をもって戦うのがよくない」と言った某政治家もいました。しかし、ドラクエをやっていればわかるように、平和は戦って勝ち取るものであり、戦う姿勢によって守られるものなんですよ。」

筆者が「ドラクエでは、村を守った英雄の墓は時代を経てもみんなが花を手向け、その犠牲を悼んでいますよね。お墓ではないにしろ、位置づけは靖国神社も同じはずなのに」と漏らすと、「そうだそうだ」とうなづいていたすぎやまさんの笑顔が思い出される。ちなみにドラクエで好きな女性キャラは「ドラクエIV」のミネアで、「冷静沈着だから」だとお聞きした。

音楽というたくさんの財産をくれた

最後にすぎやまさんのこんな言葉をご紹介したい。

「音楽は心のタイムマシーン」

「音楽は心の応援団」

「音楽は心の貯金」

ご本人曰く。

「『心のタイムマシーン』とは、歌謡曲でもクラシックでも、その曲を聞いた瞬間に「この歌は十年前に当時の恋人と聞いたな」とか「よくみんなで歌ったな」と当時の情景に戻ることができるからです。

『心の応援団』というのは、落ち込んだ時に音楽から力をもらうことができるということを指しています。

そして『心の貯金です』というのは、音楽で感動した体験をずっと積み重ねていくことによって、心も感受性もどんどん豊かになっていくことを指しています。」

現在日本に生きる本当に幅広い世代の多くの人々に、本当に多くの「音楽」という財産を残してくれたすぎやまさん。すぎやまさんが作った音楽は、これからもずっと私たちに思い出と力、そして感動を与え続けてくれるに違いない。

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