矢野財務次官を国会陳述に引きずり出せ!衆院選で問うべき真の論点とは?

「文藝春秋」論稿を許してならないワケ
国際政治アナリスト、早稲田大学公共政策研究所招聘研究員

(編集部より)政界に波紋を広げた矢野康治財務省事務次官の月刊誌への寄稿。私的な論考とはいうものの、衆院選に向けて各党のバラマキ政策に苦言を呈したものでしたが、減税による政府の効率化、民間主導の経済成長を持論とする渡瀬裕哉さんが独特の視点から斬ります。

矢野康治財務事務次官(官房長時代の2018年6月、衆院ネット中継より)

矢野財務次官の文春論稿を許してはならない

10月8日、矢野康治財務省事務次官が月刊「文芸春秋」11月号で財政問題についての私見を披露した(全文はこちら)。

矢野事務次官曰く、

「最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない、ここで言うべきことを言わねば卑怯でさえあると思います。」

「このままでは日本は沈没してしまいます。ここは声だけでも大きく発して世の一部の楽観論をお諫めしなくてはならない、どんなに叱られても、どんなに搾られても、言うべきことを言わねばならないと思います。」

「諸々のバラマキ政策がいかに問題をはらんでいるか、そのことをいちばんわかっている立場なのに、財務省の人間がもんもんとするばかりでじっと黙っていてはいけない。私はそれは不作為の罪だと思います。」

筆者は財務事務次官の財政状況に関する認識の是非について、この場で述べるつもりはない。ただし政権与党の総裁選挙が行われた直後、そして衆議院総選挙直前に発表された上記の論稿は非常に重要な意味を持つものと考える。

松野官房長官は10月11日の官房長官記者会見で「財政健全化に向けた一般的な政策論について私的な意見と述べたものと承知している」と述べているが、財政を担う官僚のトップが政治的に影響を直接的に与えるタイミングで論稿を発表したことは私的な意見として許されることではない。

矢野次官は公聴会公述人として質疑応答を受けるべき

松野官房長官は矢野事務次官に対する対応を問われてウヤウヤな回答しかしていないが、本来は越権行為として更迭されても仕方ない行為だろう。(一応、麻生財務大臣(当時)の許可を得たとされているが。)

財務事務次官によって「官僚が公に政治家の議論に関する論稿を公表し言いっ放しでも許される」という慣習が定着することがあってはならない。官僚はそれだけのことを公に述べるなら、自らの主張が批判にさらされる覚悟を持つべきだ。

maroke /iStock

そこで、筆者は「矢野事務次官に持論を大いに語って頂くため、国会の公聴会で公述人として財政論を戦わせる」ことを提案したい。

政府は矢野事務次官を更迭しないなら、遅くとも来年の予算委員会公聴会の公述人として呼び、同事務次官と国会議員が様々な観点から開かれた議論を行うことに同意するべきだ。

なぜなら、明らかに政府方針に対して疑義を呈した財務事務次官を抱えたまま、政府内の密室で財政方針が決まることは望ましいことではないからだ。また、その論稿の内容についても多くの問題を含むものであり、財務事務次官としての能力を問う意味でも重要だ。

是非、矢野事務次官には持論に反対する立場の国会議員からの質疑に対し、財務事務次官として財政の専門家として真正面から回答してほしい。

総選挙の争点は「意思決定の透明性」だ

岸田首相は「聞く力」を強調しているが、総裁選挙で述べていた持論の多くが自民党公約集から消えたことは周知の事実である。そして、それらの表現が選挙公約から消える意思決定が行われた理由やプロセスは一切不明だ。

この上、財務事務次官が公の場で持論を表明したことに対し、国会で何ら説明もないままに予算審議が行われることは不誠実だ。本来であればこの件についてのケジメがなければ、補正予算の審議なども行われるべきではない。

衆議院議員選挙直前に行政府の最有力官僚から立法府の政策議論の在り方を侮辱されたことを重く受け止めるべきだ。矢野財務事務次官の越権行為に憤慨することは、与党・野党の立場の違いをこえて、民主主義国の国会議員に求められる最低限の矜持だろう。

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