デジタル担当相に教えたい「日本でDXが進まない戦略論的理由」

「テクノロジー導入が組織にとって脅威」と考える日本人
地政学・戦略学者/国際地政学研究所上席研究員
  • なぜ日本でDXがそれほど進まないのか?奥山氏が戦略論の視点から考える
  • IT技術の革命性は、組織内の調和を重んじる日本の組織にとって「脅威」
  • テクノロジーは単なる道具ではない。日本のDXに希望を見出すためには?

DXが熱い。DXとは「デジタルトランスフォーメーション」の略語だが、菅前政権でデジタル庁が創設されたこともあり、にわかに日本のメディアでもこの略語を頻繁に見かけるようになった(参考:『NewsWeek』特集「DXで復活する日本の製造業」)。

あるサイトの説明によれば、DXの正確な意味は「進化したIT技術を浸透させることで、人々の生活をより良いものへと変革させるという概念」ということになる。だが日本では企業や官公庁を中心に、あまりこのDXが進んでいないように感じる方も多いのではないか。

なぜ日本ではDXがそれほど進んでいないのだろうか?

コロナ禍でリモートなどDXは少し進んだ日本企業だが…(kyonntra /iStock)

DXより組織防衛を優先する日本人

「日本でDXがなかなか進まないのは、IT技術のような新しいテクノロジーの導入は、既存の組織や人間関係を破壊するものだからですよ」

そう教えてくれたのは、以前から知り合いで近所に住むIT企業に勤める人物。彼には、私が所属する学会に提出したテクノロジーと人間に関する「報告」を読んでもらっており、その件について立ち話した際のことだ。

私なりにその彼の言わんとする意味を解釈すると、確かに日本ではDX導入が叫ばれても中途半端なものにしかなっていない。その理由は、企業が新しいテクノロジー(この場合は先端IT技術)を自分たちの組織の都合にあわせて部分的に導入するだけだからだ、という。

本来、IT技術の革命性は、潜在的には会社の仕事のやり方そのものを変えてしまうものなので、必然と既存の組織は変えることになるし、変えなければ無意味なものとなってしまう。

だがこれは組織内の調和が重んじられる旧来の日本の組織にとっては、脅威以外の何者でもない。だからこそ新しいテクノロジーの調達や採用も「組織や人間関係のため」という最優先事項に勝てず、組織を必然的に破壊するような改革が半端なものとなったり、見送られたりしてしまうというのだ。

「内向き」な動機のみ受け入れる

これを単純に図式化すれば、日本の会社などでは、

組織の調和>新たなテクノロジーの導入(による組織改変)

ということになってしまい、IT技術のような社会を改革するようなテクノロジーの導入さえ、実に内向きの動機(組織防衛)のおかげで実現が遅れてしまう。この事実に気づいた彼は、数年前からこの種の企業への売り込みの仕方を、従来の

「御社の利益・業績が上がります!業務が効率化できます!」(ただし組織の人数は減らすことになります)

というものから、

「あなた(担当者自身)の利益、もしくはあなたの部署や部門にとっての組織(防衛)のためになります!」

という、まさに「内向き」な動機を見越した売り込み方に変えたという。すると、続々と受注契約が取れるようになったそうだ。

テクノロジーは単なる道具ではない

これは私の、長年の個人的な疑問とも通じる話だった。私が技術(テクノロジー)というものに関心を抱いたのは、いまから十数年前にイギリスに留学した時のことだ。研究テーマは「地政学」だったのだが、自分が師事していた先生たちが国際政治における軍事や戦略の関係性を研究する「戦略研究」(strategic studies)の分野の人々であったため、必然的に軍事的な文脈からテクノロジーについて考える機会が多く、帰国後も暇を見つけてはこれに関する文献を読んでいた。

その考えをまとめて学会に提出した「報告」の要点は、テクノロジーと戦略の関係を考える際、テクノロジーを単なる道具やツールとして扱う(図1)のではなく、それを使う人間を含めた「システム」ととらえる(図2)べきだ、ということだった。

【図1】

【図2】

例えば医療で言えば、昨今に話題の新型コロナのワクチンにしても「医療」という人間社会が生み出したテクノロジーによる産物だ。これを接種することによって人間は体内に人工的にウイルスに対する抗体を定着させることができる。

もちろんこのような「人工物」を「不自然だ」と言って嫌う人々も多く、現在の反ワクチン派と呼ばれる人々がワクチンに対して抱いている嫌悪感はまさにここにある。しかし考えてみれば現代に生きるわれわれ人間は、すでに生後すぐの時点から多数のワクチンを、科学的に裏付けられた完備された医療体制の下で接種している。つまり人間は、生まれたときからこの「医療」というテクノロジーに依存している、もしくは共存している「サイボーグ」のような存在であるとさえ言える。

そうなると「テクノロジー」を、人間が主体となって使う単なる「道具」として捉えるのは正確ではない。そもそも人間はその道具から影響を受けて変化させられてきた存在であり、「テクノロジー」も人間の存在も含めた「システム」の一部として考える方がいい、ということなのだ。

技術導入には「運用」面の改革が必須

metamorworks /iStock

先のIT系企業に勤める知人の話に戻ろう。「組織防衛のためならITを導入してもいい」と考える人が多い状態は、日本の組織にとって決定的に不利になるものだといえよう。

この問題点については、軍事や戦略研究の世界でいわゆる「軍事における革命」(RMA)という一連の議論において、すでに明確に示されている。

アンドリュー・クレピネヴィッチというアメリカの国防総省と近いシンクタンクのトップを務める元軍人の戦略思想家がいる。この人物はある論文の中で、「歴史において過去10回ほどのテクノロジー革命が起こった」と指摘している。

その革命の一つが核兵器の登場であるが、この「核革命」においては4つの分野で大きな変化があったと説明している。

  1. 核爆弾
  2. 弾道ミサイルという運搬手段
  3. 運用するためのドクトリン
  4. そのための組織

1と2はハードウェアという意味では共通しているので、それをまとめていえば、「本物のRMAが起こるためには、①新しいハードウェア、②運用ドクトリン(ソフトウェア)、そして③組織の、3つの分野でのイノベーションが必要だ」ということになる。

つまりテクノロジーによって本物の革命的な変化が社会(この場合は戦争の戦い方だが)で起こるためには、最新鋭のハードウェアだけでは不足しており、それを運用するための考え方(ドクトリン)、そしてそれを使用する組織の構造までも変える必要があるということだ。

日本のDXに希望を見出すためには

これは、日本で現在進行中のテクノロジー革命ともいえるDXについても、そのまま流用できる考え方だ。日本の組織は、たとえばIT革命によって最先端の組織を入れなくてはいけないとわかっていても、「ハードウェア」の部分だけに意識を向けすぎており、それ以外の2つの要素を軽視しがちな傾向がある。とくに組織防衛の力が強いのだ。これでは日本のDXは思うようには進まないだろう。

日本の企業も、先端IT技術だけでなく、それをどのように使い、そのためにどのように組織を変えるのかまで考えなければならない。

テクノロジーはハードだけでなくソフトや組織などで構成されたシステムであり、新しいシステムの導入には新しい組織で対応しなければならない」という理解がもっと浸透し、実践する人が増えてくれば、日本のDXにもまだ希望は見いだせるのではないだろうか。

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