ミャンマー拘束の米記者救出:笹川陽平氏の活躍がなぜ日本であまり報じられないか

国際政治の複雑な駆け引きのウラ
早稲田大学名誉教授
  • ミャンマーで拘束された米国人記者の解放に、笹川陽平氏が尽力と海外で報道
  • 米政府は交渉失敗直後に笹川氏に協力要請。ミャンマー側からなぜ信頼を得たのか
  • 各国に妨害されてきた笹川氏の現地での和平活動。笹川氏の「沈黙」の裏

米ニューヨーク・タイムズ紙は11月16日、ミャンマーで11年の刑を宣告された米国人記者が解放されたと報じ、日本財団の笹川陽平会長の名前をあげ、解放のための尽力を明らかにした。韓国の左派系「ハンギョレ」新聞も、米紙の記事を引用し、笹川氏の名前を報じた。東南アジアや米国での報道に比べ、日本の新聞報道は小さく、笹川氏の名前を避けた新聞もあった。

何があったのか。背後には、ミャンマーを巡る国際政治の駆け引きがある。本人も関係各国も語らない45年に及ぶ「沈黙の外交」の真実を明かす。

日本メディアで関心が低い米記者拘束

日本の新聞やテレビは、拘束された米国人のダニー・フェンスター記者に全く関心を示さなかった。一方、韓国のハンギョレ紙は、判決直前の11月12日に「終身刑の危機」と書き、外国人記者で唯一人拘束中と伝えた。それによると、フェンスター記者は米デトロイトやルイジアナなどのメディアで記者として活動した後、2019年にミャンマーに渡った。記者の兄弟によると、ミャンマー難民家族の支援活動を通じ関心を抱いたという。

最初は「ミャンマー・ナウ」で記者として働き、首都ヤンゴンの「フロンティア・ミャンマー」で編集長として英文記事を書いていた。いずれもオンライン新聞で、クーデター後は反軍部の市民防衛軍に同行取材した記事を世界に配信したことで、軍部に目をつけられた。

彼は5月24日に、デトロイトの家族に会うためにヤンゴン空港から出国しようとして、逮捕された。容疑は軍部への不満助長、不法結社、出入国違反、テロ、煽動などという。

米政府高官の要請「あなたしかいない」

事態の緊迫化を受け、米政府は11月2日、ビル・リチャードソン前ニューメキシコ州知事を個人の資格で派遣し、ミン・アウン・フライン軍政最高司令官と面会したが、記者解放は実現しなかった。フェンスター記者には11月12日に、禁錮11年の刑が言い渡された。

米政府はリチャードソン前知事の交渉が失敗した直後に、日本財団の笹川陽平会長に政府高官を派遣し、ミャンマー軍政府への仲介を依頼した。米政府高官は「いろいろ手を尽くしたが、いずれも失敗した。世界中で、ミン・アウン・フライン軍政最高司令官に率直にものを言えるのは、あなたしかいないと知っている」と述べたという。

笹川氏は「ミャンマーは侵略を受け、植民地にされ欧米を信用せず、プライドが高い民族だ。アジア人は圧力には抵抗する。信頼を得て、メンツを立てる必要がある」と説明し、ただちにミャンマーに飛んだ。

数百回のミャンマー訪問と多彩な支援

笹川氏は、45年前の1976年にミャンマーのハンセン病撲滅に関わって以来、数百回もミャンマーを訪問し、医療支援や食糧、教育支援を続け、軍政幹部やアウンサン・スーチー女史にも信頼された。ミャンマーの民主化に応じた軍出身のテイン・セン元大統領は全幅の信頼を寄せ、2012年に少数民族との和解と仲介を笹川氏に依頼したほどだ。

ミャンマー政府は、タイ国境に近い地域の少数民族との戦闘に頭を痛めていた。武力鎮圧はことごとく失敗した。山岳地帯の反政府少数民族は、20もの部族に達し交渉もできなかった。

だが笹川氏は、日本財団の仕事として少数民族の地域に直接入った。道なき道を4WDの車に揺られ徒歩で川を渡り、数日から1週間もかけて部族指導者と会った。まさに命がけで、殺される可能性もあった。それでも医療や教育支援、麻薬栽培を漢方薬の原料栽培に転換させるなどの農業支援を行ってきた。

日本政府は、笹川氏の働きを知り、2013年にミャンマー国民和解担当日本政府特使に任命した。ミャンマーは、欧米と中国が影響力を競う国際政治の舞台だ。中国は、ミャンマーの港から中国への石油パイプラインを敷設し、影響力を強化した。日本政府は、欧米や中国と違う建設的な関係を目指していた。

少数民族とミャンマー政府・軍部との和解仲介は、2015年に10の部族が停戦と和解に同意し、2018年にも停戦合意した。笹川氏はこの交渉で、ミャンマー軍部の全幅の信頼を得た。残りのカチン族などとの和解が成立する直前まで進んでいた。

だが、事態が変わった。

各国の「和平」妨害活動

2015年に行われた選挙で、スーチー氏が勝利し、ミャンマーは民主化された。ところがスーチー氏は、少数民族との和解に消極的で、軍政府が行った和解を推進せず、放置した。この状況で、2021年に軍部クーデターが起きたことになる。

実は、ミャンマーの少数民族和解には以前から国連、ノルウェー、米英、スイス、オーストリアなどが関与していた。このため、2015年の停戦合意文書には、欧米諸国の他に中国、タイ、インドが国際証人として招待された。日本からは笹川氏が署名した。各国の顔を立てないと、妨害されるからだ。

欧米や中国は、ミャンマーへの自らの影響力を誇示したい。そのため、笹川氏の和平活動を陰に陽に「妨害」してきた。軍部と少数民族から信頼を得た外国人は、笹川氏だけだったからこそ、各国はミャンマーでの日本の影響力拡大を警戒したのである。

「沈黙」が生む誤解と、国際社会の期待

自分を宣伝しない笹川氏の「沈黙」は、時として誤解を生む。笹川氏に対しては、「ミャンマー軍部を支援している」などの心無い批判もあるが、軍部には「国軍は国民に銃を向けるべきではない」と率直に伝えている。

好きであれ嫌いであれ、現実の国際問題の解決と説得には、指導者や庶民との人間としての信頼が大切だ。どんな国も、外国の圧力や介入は嫌いで、それでは問題は解決しない。その国の文化と伝統、民族のプライドがある。

それが分からない米国は、アジアやアラブで失敗続きだ。アフガンからの米軍撤退やアラブの春の失敗は、そうした国際政治の複雑さを物語っている。世界の民主的指導者はもとより、問題国家の指導層と人間としての信頼で繋がる日本人が、目下のところ笹川氏しかいないのは日本の悲劇だが、わずかな光と見るべきかもしれない。

 

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