伊藤詩織さん事件:準皆既日食の夜、元准教授が「準強制性交」について考えた

一審判決から2年、改めて問題の深刻さを考える
朝日新聞創業家
  • 民事裁判判決から2年、筆者が独自視点から伊藤詩織さん事件を考察
  • 加害者が刑事捜査で疑われた「準強制性交」の言葉への違和感
  • 薬物で意識を奪われる恐怖などの深刻さ。罪名以上に重いこととは

今年の11月19日は皆既月食に近い部分月食で、準皆既月食とも呼ばれていました。その夜、たまたま地方で宿泊しており天候も極めて良く、月食の一部始終をライブで鑑賞できました。なにしろ準皆既月食なので時間が短く寒くなる前に引き上げられたのが幸いでした。

ただ、私はこの「準」という接頭語(なのかな)が嫌いです。準優勝、准看護師、準急列車、なんか中途半端な感じがします。ちなみに、準と准の違いは、この記事では無視することにします。そういえば、私も研究者時代の最終職歴は准教授でした。見るからに不完全燃焼っぽい肩書きです。

「準(准)○○」というのは、「○○とほぼ同じだが○○よりややレベルの低いもの」というイメージがあります。近年、いわゆる「伊藤詩織さん事件」でよく出てくる「準強制性交」というのも、この考え方でいいのでしょうか。

民事訴訟の判決後、記者会見した伊藤詩織氏(2019年12月、写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

「準強制性交」罪名に違和感

最初に断っておきます。民事裁判の一審判決から早いものでまもなく2年を迎えますが、この事件に関して、私には報道以上の知識があるわけではありません。ですから、事実関係の検証や法的な問題について論じるつもりはありません。伊藤氏を支持・擁護したり、批判したりする意図もありません。また、この話題を不謹慎なシモネタとして消費する気でもありません。あくまで言葉の問題として、詩織さんが被害にあった(と主張する)ようなケースを「準強制性交」と呼ぶのが適切かどうか考えてみたいのです。

事件の裁判での重大な争点のひとつに「加害者」の山口敬之氏が薬物を使って伊藤氏の意識を消失させたかとうか、ということがあり、被告側であった山口氏はそれを否定しています。今回、議論したいのは、仮に薬物を使った場合、この事件を「準強制性交」と呼ぶことに抵抗があります

最初に強制性交という犯罪の特異性を考えてみましょう。強制性交罪は殺人・強盗・放火と並ぶ凶悪犯罪とされていながら、外形的には配偶者間や恋人同士で行われている通常の性交と大きく違わないという点です。友人や家族に暴力を振るったり自宅に火をつけたりということが日常的に行われていないことと対照的です。もちろん断っておきますが、「強姦なんてたいしたことではない」という主張をするつもりではありません。それどころか、その後の被害者の人生に与えるネガティブな影響は、強盗や放火よりも甚大なものになりがちです。

これはやっかいな話です。たいていの強制性交事件で、外面的な事実関係が明白になっても、「その性行為を積極的に進めていない方(多くの場合は女性)が同意をしたかとうか」が刑法上の構成要件になるわけですが、通常これは本質的に立証困難です。見ず知らずの相手なら話は簡単ですが、知人間の事件の場合、かなりあいまいな状況証拠で同意の有無を判断するほかないのが普通です。

「私●●は、令和4年11月19日午後7時より、都内簡易宿泊施設において、■■氏と性交渉をすることに同意いたしました」などという内容の念書は、地球上に2~3枚ぐらいしかないでしょう。口頭での同意ということになりますが、第三者の前で、明瞭に「やろうよ」などと言うと、相手がNoなら相手に対する、Yesなら第三者に対するセクハラになりかねません。

薬物使用という明確な侮辱

というわけで、2人きりの場面で口頭で、場合によっては態度や仕草まで含めてというのが通常なのですが、加害者側の被害者に向けた好意が、強引だったり一方的だったりゆがんでいたりしていながらも、背景に存在する場合、同意を拡大解釈したり、誤認したりということが起こる可能性は常にあります。特に、「疑わしきは罰せず」の刑事裁判ではどうしても無罪判決が出やすく、そのため捜査段階から警察の腰が重いということになります。

ところが、薬物を使った強制性交の場合は話が全く違います。加害者はほとんど好意など持っていません。それどころか、これをやってしまったら、相手との恋愛感情どころか、友人関係も仕事上のコネクションも全て瓦解するとわかっていながら、計画的に薬物を準備するのです。

また、意識を失った相手と通常の性交ができるわけがなく、当然、感情の交流もありません。加害者が求めているのは、被害者の性ですらなく、はっきり言えば性器だけです。つまり、相手の職業上の能力も、人格も、そして性も、自分にとっては一瞬の快楽ほどの値打ちもないのだ、と宣言したことを意味します。

逆説的に言えば、仮に被害者が加害者に好意を抱いていてたとしても(伊藤氏がそうだったと考えているわけではありませんが)、性的な関係を合意する権利すら奪われているわけです。ありていにいえば、「付き合うどころか、二度と会う気もないが、今だけ性器を使わせろ」と加害者は言っているわけです。これほど、明確で意図的な人間に対する侮辱は、他にはそうはないのではないでしょうか。

KatarzynaBialasiewicz /iStock

罪名以上に重篤なもの

一方、被害者の側からも考えてみましょう。伊藤氏の主張は、寿司店のトイレで意識を失い、気がついたら山口氏の横で裸で寝ていたということです。性的なことはいったん別にして、意識が飛ぶということの恐ろしさと不快感だけでも、決して小さなものではありません。

些細な例を引き合いに出して申し訳ないのですが、私は毎年、胃カメラを飲むときに麻酔で眠る方法をとっていますが、短時間で事前にわかっていたにもかかわらず、人工的な意識の消失は時間の観念が狂い、睡眠や飲酒とは全く違う種類の違和感と不快感が毎回残ります。ましてや、突然意識を奪われたら、それだけでいかに恐怖かはある程度想像ができます。

しかも、加害者は本人の意識の無い間に性的な同意があったと主張するわけですから、もしそれが本当なら、伊藤氏を強姦したのは伊藤氏自身だということになります。寿司店のトイレに、突然もう「一人の自分」が現れて、山口氏とホテルに同行し、嫌がっている「本当の自分」の体を差し出したというわけですから。

もちろん、伊藤氏も常識的に考えて、そんなことはあり得ないと思っているでしょう。けれども、突然意識が飛ぶということを経験した人間にとって、こういう加害者側の物言いはトラウマの強化にしかなりません。この次に意識が飛んで気がついたら、断崖から身を躍らせているかも知れません。刃物で他人を殺めているかも知れません。電車内にガソリンをまいて火をつけているかも知れません。そういうことはないと常識では分かっているのですが。恐怖心はそう簡単には消えません。

伊藤氏が受けた心の被害には、もし氏の主張が正しいのなら、単なる強制性交によるもの以上に重篤なものが含まれているのではないでしょうか。

ですから、薬物を利用しての強制性交は、「準強制性交」などと、中途半端な罪名ではなく、特殊強制性交などとその特異性を強調する呼び方が適切です。あるいは、路上での見ず知らずの犯行などと同様、こういう「相手が同意する可能性がないことを前提に、最初から計画を立てていた」ような場合、「重強制性交」とでも呼んで、別途さらに重い刑罰を課すべきではないでしょうか。

 
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