続「脱・永守商店」レジェンド経営者の“晩節”観を探る

あの名物経営者の交代劇も念頭か
ジャーナリスト
  • 日本電産の後継者問題、永守氏が関氏に譲る布石となった新規部署の存在
  • 関氏CEO就任の狙いは「脱・永守商店」。執行の実務を譲った後の経営関与は?
  • 永守氏と同じく後継者問題に悩んだスズキ鈴木修前会長の交代劇も念頭か

一代で1兆円企業を築いた伝説の経営者は、どう後継者を決めたのか。日本電産と創業者の永守重信氏を取材してきた井上久男氏が昨年来感じてきた交代劇の予兆を振り返りながら、数々の経営者の晩節をみてきたであろう永守氏の心境を探ります。

前編『「脱・永守商店」なぜ日本電産は世襲をしなかったのか?』はこちら。

日本電産YouTubeより

成長戦略室を新設した意味

近いうちに永守氏が関氏に権限を譲るだろうと筆者が感じたのは昨年8月1日付での組織改編の時だった。経営企画部があるのに、同じような仕事をする成長戦略室を新たに設けたからだ。以前、日本電産の内情に詳しい人から「あそこの課題はすべてを会長が決めるため、経営企画部自らに戦略を描く力がないこと。会長から指示された資料を作る『会長秘書室』の仕事しかしていない」と聞いたことがあった。

すべての判断を永守氏に依存している状態のままでは、10兆円の売上高達成は無理だと見た関氏が「機能する経営企画」を新たに設けたのだと筆者は見た。この4月1日付で経営企画部と成長戦略室は統合し、新「経営企画部」となった。わずか8カ月間で「関色」を打ち出せる準備が整ったということだろう。

記者会見した永守氏(右)と関氏=筆者撮影

今回の関氏のCEO就任の狙いは、一言で言えば、「脱・永守商店」なのである。しかし、執行の実務は永守氏から関氏に委譲されるにしても、永守氏は日本電産株を約8%所有する筆頭株主であることには変わりない。「関式経営」が筆頭株主の視点から厳しいチェックを受けることになる。

スズキのトップ交代劇も意識?

少し話は変わるが、このCEO交代発表から2カ月ほど前の2月24日、スズキで経営トップに40年以上君臨した鈴木修会長(91)が6月に退任して相談役に就く人事が決まった。修氏は創業者ではないものの、創業家に婿入りし、インド進出などを推進してスズキを世界的な企業に育てた。その風貌や老獪な経営手法から「狸親父」と揶揄されることもあった名物経営者だ。

修氏も永守氏と同様に後継者問題に悩んできた。後継者にしようとした娘婿で経産省出身の小野浩孝専務(当時)が07年に若くして病没したことが誤算だった。15年に長男の俊宏氏(62)に社長の座を譲ったものの、会長にはとどまったままで、決算発表などの節目には出席することが多かった。相変わらずの「修節」は健在だったものの、この2、3年は滑舌が悪くて衰えが目立ち、老骨にムチ打つ痛々しさを感じた。

後継者の俊宏氏には強いカリスマ性があるわけではない。それを見て取った修氏は、自らの側近を排除し、俊宏氏がやりやすいような「チーム」を作ったうえで退いた。

ところが、そのチームを支えられる力量のある役員がスズキ内には存在せず、提携先のトヨタ自動車から人材をもらい受けた。優勝劣敗の動きが激しい自動車業界で、いざとなればトヨタに頼るというスズキの意思表明とも言えるだろう。

研究熱心な永守氏のことなので、こうした名だたる経営者の晩節を見て、自戒の念を込めながら関氏への禅譲を急いだに違いないと筆者は見ている。

 

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