上野千鶴子はジャイアント馬場である

「暴論のレジェンド」に論じてほしい物語とは
朝日新聞創業家
  • 前回反響のあった村山氏の「上野千鶴子」論の続編
  • なぜ昭和を代表するプロレスラー、ジャイアント馬場を引き合いにするのか
  • 上野氏に改めて論じていただきたい「非キリスト教文化圏での男女平等の根拠」

前回の書評記事以来、 上野千鶴子氏の「おひとりさま」シリーズにはまってしまいました。何しろ、一流の学者が鍛え上げた筆力で暴論の限りを尽くすのですから、そのドライブ感がたまりません。まさに、令和のジャイアント馬場です。

アブドーラ・ザ・ブッチャーに“脳天唐竹割り”を決めるジャイアント馬場(1987年撮影 写真:平工幸雄/アフロ)

なぜ上野千鶴子がジャイアント馬場なのか

馬場と言っても、30代以下の方にはピンと来ないかも知れません。あるいはお笑い芸人だと思われているかも知れませんが、間違いなく昭和を代表するプロレスラーのひとりでした。ただし、全盛期を過ぎたあとの実態は、鈍さをウリにしたコミカルレスラーだったような気がします。「倒した相手にとどめを刺そうとして準備に手間取り、間がもたなくなった相手が、むっくり起き上がって来た」という話をよくききました。

けれども、レスラーになる前は読売ジャイアンツの投手だった人が、40歳そこそこでそこまで衰えるはずはなく、わざと動きをノロくしていたとしか思えません。当時、総合格闘技ファンなどは、「羽生に碁石、馬場にK1」などと言って冷笑しており、一方、プロレスをこよなく愛する人たちは眉をひそめていました。

こうした、「ゆるキャラになってしまったレジェンド」のその後の系譜としては、板東英二氏、松岡修造氏、ガッツ石松氏、浜口京子氏などでしょうか。最近の分かりやすい例で言えば、ひふみんこと加藤一二三元将棋名人です。「神武以来の天才」と言われた加藤氏のトップリーグ入り最年少記録は今でも破られていません。

そうした中で馬場氏が特異なのは、現役レジェンドのまま「ゆるキャラになってしまった」ことです。今なお日本を代表するフェミニストでありながら、 トンデモ本(厳密には違うが)を書き散らす上野千鶴子氏に、そっくりではありませんか。

「藤井に碁石、上野にディベート」とでも言うべきなのでなのでしょうか。仮に羽生善治元名人や藤井聡太竜王の囲碁が弱くても別に何の問題もありませんが、もしも今年現役の名人にひふみんがなったら将棋連盟に愛好家から抗議が殺到するでしょう。

同様に、現役のレジェンドが「真剣勝負の場ではとても通用しない」という評価は、昭和のプロレス界のみならず、令和のフェミニズム界にとっても大問題のはずですが、上野千鶴子氏に眉をひそめたり、ましてや抗議をするフェミニストを見たことがありません。だから、敢えて私が言いましょう。

御年齢を考えれば、もう最前線で研究活動をするのがキツいとおっしゃっても構いませんが、だったら、少し視点を変えて「大きな物語」を造られてはいかがでしょうか…..ということで、前回記事の後半で「非キリスト教文化圏での男女平等の根拠」という大きな研究テーマを僭越ながら提案させてもらったわけです。

上野千鶴子氏(2010年撮影:写真:山田勉/アフロ)

論争では「十六文キック」

ところが正月早々、記事を見た女性の先輩研究者から連絡がありました。

「男女平等なんて近代社会の大前提なんだから研究してもしかたないじゃない。村山クンはいつからミソジニーになったの。」

「先輩、私はミソジニーではなくクソジジーです。味噌と糞はよく似てますが、その違いは東アジア文化圏では重要です。それに、『論争するときは相手の神(大前提?)を撃て(出典は忘れました)』、と上野千鶴子先生がおっしゃっていたではないですか」と 「十六文キック」を返しておきました。

ちなみに「十六文キック」とは馬場オリジナルの「必殺技」で、長さ34㌢の巨大な足の裏で相手を蹴るというよりペチャっと押すだけのものでした。上野氏の論争術と同様、なぜ昭和の時代には通用したのか不思議です。

話を「非キリスト教文化圏での男女平等の根拠」に戻しましょう。この議論には言葉の遊びや「十六文キック」ではすまない深刻な問題があります。日中韓など東アジア文化圏で男女平等文化がしっくり来ないのは、思想の起源自体に違和感があるからでしょう。信仰の有無にかかわらず、聖書にある「神の前の平等」が文化や発想の芯になっている西欧人と、同じようには行くわけがありません。

イスラム教徒とジェンダー

さらに今世紀以降の大問題になりそうなのは、イスラム教徒とのことです。男女平等を「男性と女性にできるだけ同じ権利と義務を与える」という意味に解釈する社会で、公の席で女性だけが素顔を出すことを許さない宗教が、容認されるはずはありません。けれども、「邪教など、いずれ水爆でカタをつける」と言い切るなら別ですが、平和的にやっている限り、キリスト教的なジェンダーのあり方が、そのままの形でイスラム圏に定着するようなことはあり得ないでしょう。

異教どうし、お互いに干渉せずにやっていけばとりあえずは良いのかも知れませんが、そうは行かないさらに深刻な事情があります。キリスト教文化圏の「先進国」では、ほぼ例外なく大なり小なりおこっている少子化現象です。もしかしたら、これは「平等」に価値をおくキリスト教文化の本質的な欠陥で、持続可能性ということではイスラム文化に劣るのかも知れません。

このままあと1000年もすれば、「キリスト教文明は21世紀中盤まで栄えたが、神様の教えを無視して男女の区別を曖昧にしたため子供が生まれなくなり、急速に衰退した」と、イランあたりの高校歴史教科書(男子用?)に書かれる日がくるような気がします。

やはり、「おひとりさま」生活を無邪気に楽しむのは昭和的な贅沢なのでしょう。ちなみに、ジャイアント馬場氏は一緒に墓に入るほどの愛妻家で、「おひとりさま」とは無縁な人生を歩まれました。

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