領土返還交渉:歴史を動かした海部首相のゴルバチョフへの「にらみ」

【特集】海部政権秘録『北方領土返還の重い扉が開いた日』#2
ジャーナリスト、大和大学社会学部教授
  • 海部元首相の外交秘話2回目。日ソ首脳交渉で頼った外務省以外の情報源
  • 領土問題すら公式に認めなかったソ連に、どう迫ったのか
  • ゴルビーが「極めて激しい仕事」と振り返る交渉の会話を再現

1991年4月16日。ソ連の首脳として初来日したミハイル・ゴルバチョフ大統領と海部俊樹首相との首脳交渉を支えたのが「ミスター北方領土」の異名を取り、安全保障問題研究会主宰者として北方領土返還運動に尽力してきた末次一郎氏(1922-2001)だった。海部氏に送った交渉術のアドバイスはこんなものだった。

White House, 首相官邸HP

海部氏が頼ったもう1つのチャンネル

ゴルバチョフという人は目をにらみつけて物を言っていると、真剣になる癖がある。だからいつもの調子で睨みつけてやってくれ。その代わり、外務省が持ってくる発言要領なんてものは、その日の朝までに読んで、要点だけを頭の中に入れておいて整理して伝え、なんとか合意を取り付けてほしい」

首脳会談は挨拶を交わした初日を終え、2日目、3日目と回数を重ねていった。ソ連交渉団は連日、1日が終わると、東京港区・狸穴の大使館に集まり、深夜遅くまで反省と翌日の準備のための検討会をやっているとの話も飛び込んできた。多くの日程をこなした最後の作業として、ゴルバチョフ氏も大使館に出向くことさえあった。

海部氏も日本外務省のソ連(ロシアン)スクールと用意周到に準備し、もう一つのチャンネルとして末次氏も頼った。末次氏は毎晩深夜に首相に電話をかけてきて、独自の情報を教えてくれたという。交渉で「日本側は喋りすぎている」というのもその一つだったという。

「僕はその電話の内容が誰かに聞き取られたら困るなあと思ったけど、末次さんが官邸に来たら記者団に囲まれて『なぜ会ったんですか?』と聞かれるから嫌だというんだ。だから電話にした。末次さんは誰もいないところで1人で電話をかけてきて、さまざまな情報の裏をとって僕に教えてくれたんだ」

ソ連は歯舞、色丹島の2島を平和条約の締結後に日本に引き渡すことを同意した1956年の日ソ共同宣言の後、「日本領土から全外国軍隊の撤退」という新たな条件を一方的に声明し、公式的には「領土問題は存在しない」との態度を貫き通してきた。この会談では、領土問題が公式的に両国の間にぶらさがっていることを認めさせることが新関係構築の第一歩であり、最大の難関でもあった。

経済状況の悪化に伴い、その打開策として日本と取引をする--。日本側には領土返還の兆しが見えるかもしれないとの期待感も広がっていたが、実際にはゴルバチョフ氏の出方次第という状況であり、外務省内では「平和条約締結の状況は険しい」という冷静な見方の方が強かった。

ゴルビーに「ダー」(Yes)を言わせた瞬間

自伝を刊行し、モスクワ市内の書店で記念講演会をするゴルバチョフ氏=2012年11月筆者撮影

2日目午前、通訳のみで行なわれたバイ会談。ゴルバチョフ氏はポケットからメモを取り出して、海部氏の言葉に聞き入ることがあった。そのメモにはソ連外務省が作った情報がびっしりと書き込まれていた。ぼそぼそと話す中で日本側の通訳がゴルバチョフ氏が「小クリル諸島」(★注、ロシア語で北方四島を指すとされる地名。「南クリル諸島」という場合もあった)とつぶやいたのを教えてくれた。

海部氏がじっとゴルバチョフ氏をにらみつけてこう迫った。

「『小クリル諸島』なんて言葉は日本人には理解できませんよ。島にはエトロフ、クナシリ、シコタン、ハボマイと明確な名前があって、これが領土問題の全てであり、この名前を挙げて交渉してカタをつけたら、解決できるんだ。ぜひ踏み込んでもらいたい」

すると、またぼそぼそとゴルバチョフ氏は通訳に向かって話を始める。海部氏はメモ用紙に島の地図を書いて、シャープペンシルと一緒にゴルバチョフ氏に渡した。「ここがエトロフ、ここがクナシリ……」。そう教えると、ゴルバチョフ氏はそのメモ用紙にロシア語で島の名前を書き記していったという。そのメモを海部氏は受け取った。

「もう二度と小クリル諸島とか、南クリル諸島とか言わないでくれ。われわれが『北方領土』という時はその4つの島のことを言うんだ。まずはそれをアグリーして(認めて)ほしい」

すると、ゴルバチョフ氏は「ダー、ダー」(★注「Да」ロシア語でYesのこと)と返してきた。
「ダーということはOKだからな。それが2日目の1対1会談の収穫だったよね」

余談だが、ゴルバチョフ氏がロシア語で島の名前を書いたメモは今も外務省に残ってはいないのだろうか?海部氏はその行方を私に教えてくれなかったが、これこそ貴重な歴史上の記録とは言えまいか? 解禁される外交文書とともにぜひ公開してほしい。

“ギネスブック”級の厳しい交渉

話を当時に戻す。2日目のバイ会談の予定の時間を終えた海部氏はゴルバチョフ氏にこう提案した。

「あなたはリーダーとして初めて日本に来てくれた。お互いに合意できる内容に達するまで話し合おう。1回、2回の回数で決めちゃだめだ。そこまでやろう」

そうして、公式日程は急きょ、変更され、大幅に首脳会談の実施に時間が割かれた。取りやめることが可能な場合は中止となり、後ろ倒しが可能なものは後ろ倒しになった。

こんな記録も残っている。日本記者クラブでの記者会見は「クラブ史上初 深夜になった」と公式HPに公開されている。長文になるが紹介したい。

「日本記者クラブ始まって以来という出来事になった4月19日未明のゴルバチョフ・ソ連大統領記者会見。時間をものともせず、満場を埋めた290人の出席者が熱心にゴ大統領と質疑を交わしました。(中略)同大統領の記者会見はクラブが半年以上もかけて準備してきたものでしたが、6回とも8回(ソ連側)ともいう首脳会談のあおりを受け、一時は開催が危ぶまれる事態になりました。しかし、ゴ大統領が「私にとってはどうしてもやらねばならなかったこと」と、会見終了後漏らしたように、大統領の強い希望と、当日司会を務めた犬養副理事長らクラブ役員の「何時になろうが受ける」という決意から実現したものです」

この記者会見で、ゴルバチョフ氏は今回の海部氏との協議について「3日間のきわめて激しい仕事だ」「ギネスブックに収められるかもしれない」と総括した。

1991年3月、迎賓館でゴルバチョフ大統領を歓待する海部首相(Fujifotos/アフロ)

「言いにくいことを言うな。君は」

実際、数々の記録を見ても、2人は相当につっこんだ話を本音で語りあったことが浮かび上がっている。例えば2人のやり取りはこんなふうだった。海部氏はこう振り返った。

海部氏「言いにくいことを言うようだけど、怒らないで聞いてほしい。私と日本国民はソ連という国に大変な不信感を持っている」

ゴルバチョフ氏「何故だ?」

海部氏「どんな条約を作ったって、署名したって、これまで捨てられてきた過去があるんだ」

ゴルバチョフ氏「言いにくいことを言うな。君は」

海部氏「初めて首脳同士がここで会っているんだ。僕はドーブルイ・ジェーニとロシア語であいさつして、そこから話が始まっているんだから、もっとほぐれた本音の話をしよう」

ゴルバチョフ氏「日本の主張はよくわかっている。しかし、外交は互いに譲り合うことが必要だ」

海部氏「日本は四島一括返還以外の話はない。それでもほかにプラスにするものがあるなら言ってくれ」

すると、ゴルバチョフ氏はソ連側が用意した発言要領を持ってきて、紙を見ながら「大規模な経済協力」「大規模な日本の資金協力」と伝えてきた。

「ゴルビーはね、確かにその紙をみながらそう読み上げたんだ。そうして、『それが大前提になるんだ。それがヨーロッパでは常識だ』と言い張るんだよ」

後にこの日本側の「協力の展開」の言葉をどう共同文書にいれるかが焦点となる。ゴルバチョフ氏にとっては疲弊するばかりのソ連経済を潤すためのカードでもあったのだ。

小沢一郎幹事長に託した布石

小沢一郎氏(撮影は2001年、kyouichi sato /Wikimedia CC BY 3.0)

しかし、この時点で海部氏はすでに手を打っていた。ゴルバチョフ氏が訪日する3週間前、モスクワ入りした当時の自民党幹事長、小沢一郎氏の手腕に託した。官邸を訪れた小沢氏は「交渉するには手土産がいる。用意してくれないか」と海部氏に伝えたという。

小沢氏は裏交渉でソ連側が多額の経済援助を欲していることをつかんでいた。海部氏は「手土産ぐらいポケットにいっぱい入れるくらい持って行ってくれ」と促し、こう聞き返した。

「どれぐらいの規模でどれぐらいのことを(ソ連側は)伝えてきているんだ?」
すると、「260~280億ドル」(当時のレートで3兆6000~9000億円)だという。これだけの巨額援助を正式な外交ルートで実現するためには、日本の国会で予算を通さなくてはならない。

海部氏は当時の大蔵大臣、橋本龍太郎氏(1937-2006)を呼んでこの経済支援策について相談した。ソ連側が四島を返すと約束したのなら、空約束ではいけない。小沢氏がモスクワ入りする前に、橋本氏に「君も腹を決めておいてくれ」と言った。

その後、大蔵省内で極秘の会合が開かれ、話をまとめた橋本氏は海部氏にこう返答してきた。

「総理、これで(筆者注  この巨額経済支援で)長年の問題にカタがつくのであればいいのではないですか?(領土問題解決の)結果が出るのなら、私には二言はありません。しかし、この話を決して外でいってはいけませんよ」

#3に続く

ジャーナリスト、大和大学社会学部教授

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