「北方領土返還」シナリオ、なぜ東京の桜とともに散ったのか

【特集】海部政権秘録『北方領土返還の重い扉が開いた日』#3(終)
ジャーナリスト、大和大学社会学部教授
  • 海部政権秘録の最終回。なぜ北方領土返還を目前に逃してしまったか
  • 経済支援をテコに返還に迫る戦略。モスクワに乗り込んだ小沢一郎幹事長は…
  • 四島の名称が初めて日ソ間の合意文書に。海部、ゴルビーの指切りの裏話

1991年4月のミハイル・ゴルバチョフソ連大統領の初訪日前に行なわれた海部俊樹首相と橋本龍太郎蔵相の極秘の会談を受け、日本政府の巨額支援というお土産を持って自民党の小沢一郎幹事長はモスクワに入った。同3月に特使として派遣した海部氏は「当時はわらをもつかむ心情だった。小沢君に何とか頼む。話をまとめてきてほしい」とさえ思っていた、と振り返った。

White House, 首相官邸HP

しかし、結論からいうと、小沢氏はこの話をまとめることができなかった。会えるはずのゴルバチョフ氏の側近に会えない。そればかりか、ゴルバチョフ氏の側近という触れ込みも、どうやら危うい状況になっていたという。それだけ、ソ連政界の状況も混乱していた。裏交渉が不発に終わり、モスクワの小沢氏から海部氏のもとに連絡の電話がかかってきた。

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ジャーナリスト、大和大学社会学部教授

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