「羽生に3連覇 遂げてほしかった」プルシェンコがロシアのスポーツ紙に語った“ユヅル愛”

「皇帝」が「史上最高の選手」への賛辞に込めた想い
ジャーナリスト、大和大学社会学部教授
  • 「皇帝」プルシェンコ氏がロシアのスポーツメディアに語った羽生への思い
  • 出会いを振り返り、10歳だった羽生の求めに応じ4回転ルッツを伝授した話も
  • 「皇帝」から「史上最高の選手」への賛辞に見える境地とは

「氷の王様」は北京の熱き銀盤の戦いで記憶にも記録にも残る偉業を成し遂げた。北京五輪フィギュアスケート男子は米国のネイサン・チェンが4回転ジャンプを次々に決め、悲願の金メダルを獲得した。18歳の鍵山優真が2位、宇野昌磨は2大会連続メダルの3位と日本人スケーターが2人表彰台に上がった。

羽生結弦はフリースケーティング(FS)のプログラム冒頭で、前人未踏の4回転アクセル(4A)に挑み、失敗したものの、国際スケート連盟(ISU)公認大会でこのジャンプを認定し、「4A」が初めて公式ジャッジシートに記録された。

ノルウェーの名スケーター、アクセル・パウルゼンがシングルアクセル「1A」を跳んでから140年。2大会連続五輪金メダルを成し遂げながらも、なおも飽くなき挑戦を続ける羽生の姿は、世界中のファンやスケーターの心を震わせた。

国境と世代を超えた交流

僕は北京で羽生に3連覇を成し遂げてほしかったんだ
そう言ったのは、スケート大国ロシアで「皇帝」の異名を取るエフゲニー・プルシェンコ氏。羽生が子どものころに憧れを抱いたレジェンドは、このほど、ロシアのスポーツ紙「スポルト・エクスプレス」にあふれんばかりの“ユヅル愛”を語った。

2019年5月、アイスショーで共演した羽生、プルシェンコ(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

故郷・仙台で4歳からスケートを始めた羽生にとって、熱狂的なファンであり、目標としていたのがプルシェンコ氏だった。
羽生より12歳年上のプルシェンコはスケート大国ロシアでジュニア時代から頭角を現わし、2000年のグランプリ(GP)ファイナルで優勝。激しいロシア代表争いを勝ち取り、2002年ソルトレイクシティ五輪に出場し、銀メダルに輝いた。生涯で世界選手権3度制覇。五輪は団体戦も含めて金2個、銀2個のメダルを獲得している。

羽生は7歳のころに開催されたソルトレイクシティ大会でのプルシェンコの演技を見てそのとりことなり、上達するための模範にした。髪型をプルシェンコと同じマッシュルームカットにしていたエピソードも数々のメディアで取り上げられ、ロシアでもよく知られている。

プルシェンコ氏の祖国で行われた2014年ソチ大会で、代表選手として同じリンクに立つことになった羽生は当時、メディアに「一緒に戦えたら幸せ」と語っていた。しかし、実際はプルシェンコ氏が序盤の団体戦に出場したものの、背中の負傷をさらに悪化させ、個人戦は出場辞退。羽生は金メダルとなった。

プルシェンコ氏と羽生は国境を越え、世代を超えて、交流を深めた。毎年、12月7日の羽生の誕生日には、SNSを通してロシアから祝福のメッセージを贈るのが恒例になった。

北京大会でも、羽生が8位に沈んだショートプログラム(SP)の演技後に「君は驚く素晴らしさを持ったアスリート。明後日(のFSは)、自由と自信をもって滑ってほしい」とエールを送り、FSで羽生が果敢に4Aに挑んだ後も「君が残したものは永遠に私たちの心の中に残るだろう。君の勇気とプロフェショナリズムは終わりがない」と褒めたたえていた。

「それでも私は北京で羽生を応援していた」

インタビューに応じたプルシェンコ氏(スポルト・エクスプレスのサイトより)

そして、プルシェンコ氏は改めて、男子シングルスの総括についてスポルト・エクスプレスの独占取材に応じ、記事は2月11日に公開された。

«Великолепный Раф и великий Нэтан». Авторская колонка Евгения Плющенко

長文インタビューは3分割にわかれ、冒頭には優勝したチェンについて、真ん中に羽生、最後はロシア人選手についての構成となった。羽生を取り上げたくだりは「チェンは素晴らしいフィギュアスケーターだ。それでも私は北京大会で、もう何年も親交を深めていた羽生結弦を応援していた」で始まった。

プルシェンコ氏は記事の中で、羽生との出会いの思い出を振り返り、日本でのアイススケートショーに出演した際に、まだ10歳だった羽生が自分の元に寄ってきて、「4回転ルッツを習得したい。跳んでみてくれないか」と頼んできたエピソードを紹介した。プルシェンコ氏は惜しみなく、ジャンプの技のポイントを教えたという。

小さいころから知っている関係だけに、「だから僕は北京で本当に3回目のオリンピック王者になってほしかった」とプルシェンコ氏。羽生自身が試合後に明らかにしたが、足首の捻挫が改善せず、試合には痛み止めを服用して臨んでいたといい、このことについてもプルシェンコは「健康に何の問題もなかったら、ユヅルは4回転ルッツや4回転ループを難なく決めることは可能だっただろう。そのことに私は何の疑いも持っていない」と語った。

さらに4Aについても、かつてロシアの名伯楽、ミーシンコーチと一緒に自身も練習に取り組んでいたことを明かし、「4回転アクセルはとてつもなく大きな力を浪費する」と指摘。けがをしながらも果敢に4Aに挑んだ羽生の姿勢を褒めたたえた。

昨年12月の全日本選手権で貫禄の演技だった羽生(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

「究極」を目指した挑戦者同士の境地

プルシェンコ氏は2010年バンクーバー大会SPでトップとなり、FSでも無難にプログラムをまとめれば金メダルの可能性はあった。しかし、トップ選手にいるからこその矜持とスケートを進化させるという気概を持って、4回転ジャンプをFSのプログラムに組み入れたが、結局は銀メダルに終わった。今回、4Aを果敢に跳ぼうとした羽生の飽くなき挑戦を自らの当時の姿に重ねあわせていたのだろう。

プルシェンコ氏は羽生がSP冒頭で成功できなかった4回転ジャンプについても、「私は彼のそんな失敗はかつてみたことがない」と嘆き、リンクの穴にはまってジャンプが抜けてしまったことをかばった。

羽生は、世界選手権、GPファイナル、四大陸選手権覇者のキャリアゴールデンスラムを獲得しており、「GOAT」(「史上最高の選手」、Greatest Of All Timeの頭文字をとった言葉)とも呼ばれている。

皇帝から氷の王様に贈られたメッセージは、お互いが究極の高みを目指した不屈のチャレンジャーだからこそわかりあえる境地に達した言葉だったのだろう。

 
ジャーナリスト、大和大学社会学部教授

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