【祭りの傷跡】北京五輪「ワリエワ・ショック」の本質に迫る

ドーピング問題を読み解く5つのポイント(前編)
ジャーナリスト、大和大学社会学部教授
  • 北京五輪で後味の悪さを残したワリエワ選手のドーピング問題の本質とは?
  • 「ワリエワ・ショック」を読み解く5つのポイントを解説
  • 前編は①問題の経緯、②禁止薬物乱用の歴史、③ロシアのドーピング禍の背景

北京五輪期間中に表沙汰になったロシア・オリンピック委員会(ROC)フィギュアスケート代表、カミラ・ワリエワ選手(15)のドーピング問題は、ワリエワ選手が本来の実力を発揮できず、失意のまま大会を終え、後味の悪さを残した。

金メダル確実の15歳が禁止薬物を服用したスキャンダルの衝撃は大きく、国際スケート連盟(ISU)は五輪の出場可能年齢を17歳に引き上げるルール改正に乗り出した。世界反ドーピング機関(WADA)は関係者を徹底的に調査し、未成年に投与した「大人」を厳しく処分する姿勢を示している。

この問題をめぐっては、様々な情報や憶測が飛び交っている。今後の推移をふまえ、「ワリエワ・ショック」を読み解く5つのポイントを解説し、問題の本質や背景にあるものを整理してお伝えしたい。

騒動を物語るように競技も不振に終わったワリエワ(写真:L’EQUIPE/アフロ)

① 12月25日以外の検査で禁止薬物は検出されていない

ワリエワ選手のドーピング問題が明らかになったのは北京五輪期間中だった。フィギュアスケート団体戦が終わった2月8日にロシア反ドーピング機関(RUSADA)から報告を受けた国際オリンピック委員会(IOC)が発表。2月15日に予定されていた女子個人戦に出場させるか否かの協議を始めた。

結局、出場可否はスポーツ仲裁裁判所(CAS)の判断を仰ぐことになった。

CASはワリエワ選手に7時間に及ぶ直接聴取の上、ワリエワ選手がWADAの規定する16歳未満の「要保護者」にあたり、制裁が軽減されることや、この状況下で出場を禁じれば、機会を奪い取り返しのつかない損害をもたらすとして出場を認めた。

IOCはこの決定に基づき、ワリエワ選手の女子個人戦の結果を暫定順位とするとし、3位以内に入ってもメダル授与式は行わないと決定した。

ワリエワ選手から検出されたのは禁止薬物トリメタジジンだった。昨年12月25日に行われたロシア選手権の際に提出された検体から採取された。本来は心臓病治療などに投与される薬の成分だが、スポーツ選手が使えば疲労回復などに効能があるとされ、WADAが2016年に禁止薬物に指定している。

CASが判断理由を示した裁定文書によると、ワリエワ選手側は祖父が心臓手術を受け、トリメタジジンを服用しており、ワリエワ選手は誤って服用したと主張。祖父は自宅から練習場へ車でワリエワ選手を送り迎えしており、車の中にも「トリメタジジンMV」があったとして、錠剤のパッケージを祖父のビデオメッセージで示した。

参照:CAS裁定文書

この結果、事実上、ワリエワ選手側は祖父の錠剤を誤って服用した可能性としてトリメタジジンを体内に取り入れてしまったことを認めている。あらゆるスポーツ選手は競技の公平性の観点から、口に入れる食べ物や飲み物の成分について徹底的に注意しており、選手が未成年の場合は反ドーピング知識長けた専属医師やコーチが選手の摂取記録を厳重に管理している。

この観点から、もし投与が故意でなければ、五輪前に行うべきだったワリエワ選手側の体調管理ミスといえる。故意の投与かどうか、または禁止薬物の使用が常態化していたか否かを裏付けるものとして、ワリエワ選手のドーピング記録がある。

ワリエワ選手には2019年8月24日から複数回にわたるドーピング検査が行われており、陽性反応が出たのは昨年12月25日の1回。この日を前後して、昨年10月30日、今年1月7日、北京大会開幕後の2月7日の検査でも陽性反応は出ていないワリエワ選手の陽性反応は昨年12月25日の一度のみということになる。

② トリメタジジン、ロシアで乱用の歴史を医師が告発

トリメタジジンを入手するには処方箋が必要で、子供への使用は禁じられている。乱用したり、誤って服用したりすると、めまいや筋肉が硬くなったり、自発的な動作が少なくなる障害が起こることがある。

しかし、トリメタジジンは健常者が使うと疲労回復や持久力の向上作用があるとされ、ノルウェーの「アンチドーピングデータベース」によると、過去の摘発例は20件で旧ソ連圏が多い

ロシア国内で市販されるトリメタジジン(eapteka.ru)

国別内訳はロシアが8件、ウクライナと中国が3件。エストニアが2件。米国、カザフスタン、ジョージア、フランスが各1件。競技内訳は陸上5件、競泳4件、ボート、レスリング2件ずつなど。8人の選手が4年間の資格出場処分、4人が2年間の処分。

トリメタジジンと同系統のメルドニウムはロシア選手の陽性事例が相次いでいる。16年にはテニス界の名選手、マリア・シャラポワ氏もメルドニウムによる陽性反応が出たことを公表している。18年平昌大会ではロシアから参加した女子のボブスレー選手と男子のカーリング選手の2人から検出された。ボブスレー選手は失格となり、カーリングチームはメダルのはく奪となった。

2014年のソチ五輪でのロシアの大規模な組織ぐるみのドーピング不正について、その実態を内部告発したモスクワの反ドーピング検査所元所長のグリゴリー・ロドチェンコフ氏は英紙デイリーメールに対して、「トリメタジジンはかつてロシアのスポーツ界で乱用されてきた歴史がある」と証言した。

ロドチェンコフ氏は2006年にスウェーデンで行われた欧州陸上選手権で、選手の部屋のごみ箱からほかの薬物の空き瓶とともにトリメタジジンのパッケージを見たことがあると指摘。また「10年間、ロシアのスポーツ当局は選手たちに対して『なぜメルドニウムの空パッケージとトリメタジジンの空瓶をホテルに残すのか』と言っていた」とも語った。

ロシア国内ではトリメタジジンが市中の薬局でも売られている。この禁止薬物が疲労回復に効能があるという情報はロシアのスポーツ界に広く伝えられていたと見られる。

③ ロシアではびこるドーピング禍の背景

ロシアにとって、スポーツはソ連時代から歴史的に政治利用され、多民族国家統一への機運醸成と国威発揚を図る手段として用いられてきた。

ステートアマ」とは冷戦時代のソ連の選手の実態を物語るフレーズとして盛んに用いられ、ソ連政府は身体能力に優れた子供たちを早くからモスクワの育成センターに集めて、国家のアマチュアとして世界レベルになるようエリート教育を行った。

冷戦時代の五輪は宇宙開発競争に匹敵する米ソ頂上対決であり、選手がメダルを取れば、家や就職口も政府から供与され、一生が安泰だった。プーチン大統領は自らも柔道家であり、大のスポーツ好き。今大会も大統領府がロシア選手の活躍をまとめるダイジェスト版の映像を作成し、連日、大統領のもとへ届けている。

大統領はロシアの国家運営においてもソ連時代の政策を積極的に復活させており、スポーツを社会の団結や発展に用いている。

※画像はイメージです(Travelsouls /iStock)

ところが、14年ソチ大会の自国五輪開催を控えたロシアは2010年バンクーバー五輪でソ連時代を通じて、総メダル数が最悪の結果となり、巻き返しを図るため、その副産物として組織ぐるみのドーピング不正が整備されたとみられる。スポーツ庁が隠ぺいに携わっており、不正には諜報機関の工作員まで関与していた。先に紹介したロトチェンコフ氏の告発などをふまえ2016年にWADAがまとめた調査報告書によると、1000人のアスリートがドーピング不正を行っていたという。

IOCはほかのスポーツ連盟はロシアの国家としての大会参加の制裁を続けているが、WADAのレポートによれば、2019年にも違反件数で最も多いのはロシアで全体の19%を占めている

今回のワリエワ・ドーピング問題と過去の組織ぐるみのドーピング不正は規模も手口も全く違い、ソ連時代から続くドーピング禍が連動しているかどうかも現状では判断できない。一方で、ロシア社会では今回のワリエワ騒動はロシアのスポーツ界全体や有望な選手のメダルを追い落とす欧米陣営の圧力や攻撃であるとする陰謀論が渦巻いている。

後編はこちら

 
ジャーナリスト、大和大学社会学部教授

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