なぜ日本は“いざ”という時、コケてしまうのか…危機管理をダメにしている根本は何か?

安倍政権の安保政策元キーマン 兼原信克氏が語る「本音の安全保障」#1
ライター・編集者
  • なぜ日本は危機管理がダメと言われ続けるのか?
  • 元国家安全保障局次長、兼原信克さんにインタビュー
  • ウクライナ戦争で日本の有事への意識は高まるのか?

平成以後、湾岸戦争や阪神大震災、オウム事件、北朝鮮のミサイル発射、東日本大震災、尖閣沖への中国船侵入…など「有事」があるたびに日本は政府も民間も「危機管理がなってない」と言われて久しい。

令和になってコロナ禍に直面し、今年はウクライナ紛争が勃発。開戦初期にはトヨタ自動車の系列工場へのサイバー攻撃もあり、経済安全保障の問題も現実味を帯びる。“泰平の眠り”から日本社会はようやく醒めるのか?安倍政権時代、国家安全保障会議(NSC)創設を主導し、国家安全保障局次長を務めた兼原信克さん(同志社大学特別客員教授)に、日本の安全保障を本音で語っていただいた。(3回シリーズの1回目)

iStock / NicolasMcComber
iStock / NicolasMcComber

野球でいえば「3回裏」で負ける

――兼原先生の『安全保障戦略』や『歴史の教訓』などを拝読すると、日本の置かれている状況について非常に強い危機感をお持ちであることが伝わってきます。一方、世間や政治がどこまでその危機感を共有しているかというと、ギャップがあるのかなと思いますが。

兼原信克(かねはら・のぶかつ)1959年山口県生まれ。東京大学法学部卒業後、外務省入省。北米局日米安全保障条約課長、 在韓国日本国大使館公使、内閣官房内閣情報調査室次長、外務省国際法局長などを経て、内閣官房副長官補兼国家安全保障局次長。現在は同志社大学特別客員教授。近著に『安全保障戦略』(日本経済新聞出版)『歴史の教訓』(新潮新書)、共著に『自衛隊最高幹部が語る令和の国防』(同)など多数。

【兼原】75年間、平和でしたからね。私は国家安全保障局に7年いて、次長も務めましたが、総理官邸の危機管理は政府の中で実力組織を束ね、政治家との間で政策を調整する仕事です。頻繁に起きる災害対策に関しては、世界最強の危機管理ができていると思うし、自衛隊のように常に体を動かして訓練している組織は強い。でも「戦争」になったら、自衛隊以外の政府組織は動けるのか。政府全体として準備も練習もしていなければ、そりゃ対応できませんよね。

危機管理においては、被害の規模で比べると火事、洪水、台風、地震、津波の順に被害が拡大していきます。その先に原発事故があり、最大のものが戦争です。東日本大震災でも経験したように、津波では2万人もの人が波にさらわれてしまう。戦争は、ひどければ数十万人、数百万人が命を落とす。しかも人災です。天災はどんと被害が出た後は、復旧や復興にフェーズが移りますが、戦争は相手を撃退するか、屈服させられるまで続く。

毎日訓練している自衛隊だけは動けますが、それを支える政府の諸機能が動かない。「敵のサイバー攻撃で停電だ」「周波数が足りない」「石油が足りない」「空港使用許可の確認が取れない」などと言っている間に負けてしまう。いざというとき、コケると思います。野球で言えば、「3回裏」で負けるのではないでしょうか。

「戦争や有事なんて想定したくない」

――今まさにウクライナの事態を目の当たりにしています。「日本も有事を想定して、準備しておかなければ」という意識が高まるかなと思ったのですが。

【兼原】そうだといいんだけれど。もちろんこれまでも、中曽根政権、安倍政権、麻生政権は、トップの意志で安全保障の問題に取り組んできました。小渕政権、小泉政権あたりも、外からの危機に見舞われたことで日米同盟強化を図った。でも多くの政権や政治家は、戦争や有事の想定なんてしたくない。議論を起こして「戦争の準備をするつもりか」と批判されるのが嫌なんでしょう。批判する野党も問題だけれど、それが嫌だからと議論すらしない与党も大問題ですよ。

――与党でもそうですか。

【兼原】 毎年、防衛省主催で自衛隊が大訓練をいくつか実施していますが、防衛大臣以外に視察に来る閣僚なんて誰もいません。日米最大の軍事演習では、日米の陸海空軍に米海兵隊と計7軍が集まって実施しますが、これも防衛大臣以外は誰も見に来ません。

「降伏論」を生んだ米軍の占領体験

1945年8月30日、厚木海軍飛行場に到着したマッカーサー一行(Army Signal Corps / Wikimedia Public domain)

――私なら喜んで見に行くのですが(笑)。確かに、必死の抵抗を見せているウクライナを前に「プーチンは止められないのだから、民間人を救うために早く降伏しろ」とか「ウクライナに武器を供与して戦争を長引かせるな」などという声もあり、驚きます。

【兼原】日本に特殊な現象ですよ。戦後、占領軍としてやってきた米軍が特別に優しかったから「降伏した方がいい」という話になる。ソ連軍だったら反革命分子としていきなり撃ち殺されるか、シベリアに連行後、強制労働させられるかです。アメリカの進駐軍は日本の戦災孤児が「ギブミーチョコレート」と言ったらチョコを配ってくれた。それで「アメリカが来てよかったね」となってしまったのですが、これは世界的にものすごく珍しい例で、ソ連やロシア相手では、そうはいかない。ソ連軍に占領された東ベルリンの全女性市民の運命は凄惨といっていいほど過酷でした。満州の日本女性も同様でしょう。

戦後、東西冷戦体制下で、東側に取り込まれた国々は悲惨な目に遭いました。境目にあったドイツや朝鮮半島は分断国家となりましたが、日本は幸いにして国家分断は免れた。ソ連に北方領土は取られたけれど、アメリカに日本全体を占領されたことで、国が物理的に割れることはなかった。

ところが冷戦の影響で国内の政治や言論界は割れてしまいました。特に、世界の西側の主要国で、野党第一党がソ連寄りだった国は日本以外にないんです。

「日本は西側の一員」発言で批判の時代

――日本社会党ですか。

【兼原】そう。日本社会党だけがソ連寄り、東側の一員だった。それで国内の政治や言論は割れてしまったし、55年体制から50年以上たってもまだ、冷戦中の左派の言論が根強く生き残っています。もっとさかのぼれば、1930年代には右の全体主義と左の全体主義があり、戦後、右の全体主義はつぶれたけれど、左の全体主義はソ連と一緒に生き残り、一層元気になって復活した。

国民の大多数は「共産主義?何を言っているんだ」「インテリの考えることにはついていけない」と感じていたと思いますが、特に高度成長が始まる前にはメディアや学術界では左派の人たちの影響はとても強かった。私が大学生だった1970年代後半でさえ、時の中曽根総理が「日本は西側の一員だ」と言っただけで、国内では大バッシングだったんですよ。

ただ、その後、メディアも80年代ごろを境に変化し始めました。読売新聞の渡邉恒雄さんと、日本テレビの氏家斉一郎さんが保守に舵を切ったことで、だいぶ雰囲気が変わったんです。

今なお続く「敗戦と冷戦の呪縛」

冷戦時代から続く左派の護憲平和運動(jon chica parada /iStock)

――私は80年生まれですが、それでも最近まで「左派が強い」と思って生きてきました。昔からすれば格段にマシな状況ではあったんですね。

【兼原】私が外務省に入ろうと思った理由の一つは、「本当の世界を見てみたかったから」。当時は気持ち悪かったですよ、新聞の論調がみんな同じで。高度経済成長時代以降に生まれた私たちの世代は米国風の個人主義リベラルですが、私たちの10年上はマルクス主義の影響や全体主義的なロシア革命礼賛の雰囲気が強い。産経新聞だけは「極右」と言われていたけれど(笑)。『文藝春秋』ですら、右翼雑誌とか言われていた時代です。東大の生協に行くと、山積みにして置いてあるのは『朝日ジャーナル』や『世界』で、「知識人たるもの、こういうものを読まなければならない」というのがアカデミアの雰囲気でした。これはまさに、敗戦と冷戦の呪縛なのです。

――その呪縛が、危機管理の現場にも残っている。

【兼原】そう。戦前は統帥権を野放しにし、陸軍参謀本部、海軍軍令部といった軍の戦闘部隊のコントロールが全く効かなくなって、陸軍は満州に突っ込み、海軍は真珠湾に突っ込んだ。それで国が滅びました。「戦闘部隊に外交をやらせてはいけない」というのが戦前の教訓なのに、戦後は逆になってしまって、「絶対に自衛隊を使わない」としか言ってこなかった。

政治が自衛隊に触らないのがシビリアンコントロールではありません。シビリアンコントロールというのは、文民の政治家が手足のように自衛隊を「使う」ことを言います。戦後の日本は、今もまだ、戦前とは逆の意味で政軍関係が壊れたままになっている、と言わざるを得ません。

第2回に続く

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