マスクを外せない日本人の「ゼロリスク」という名の不治の病

欧米とは対照的。経済停滞とも関係する構造を考察
SAKISIRU編集長
  • GWで人出は回復するも、欧米とは対照的に「脱マスク」に程遠い状況
  • 「マスク外せない」。医師会会長の発言が炎上、岸田首相は現状維持に汲々
  • 根幹には日本社会の「ゼロリスク」の病。その背景や構造を考察する

今年のゴールデンウィークの人手は「コロナ前」に近づいてきた感がある。ソフトバンクグループで位置情報のデータを手がけるAgoopが30日に発表した「人流データ」では、GW初日の人出としては東京駅が前年比44.9%、大阪駅が同45.4%とそれぞれ増加したという。筆者は同日正午ごろ、移動中に吉祥寺に立ち寄ったが、確かに人流の多さでは「いつものGW」を思い起こさせた。

しかし、それでも変わらないのが行き交う人々のマスク姿だ。そう言えば10日ほど前、日本医師会の中川俊男会長がまた炎上していた。「ウィズ・コロナの状態で、マスクを外す時期が日本に来るとは思っていない。終息が来ると分かった時点で、初めてマスクを外していいと思う」と発言したためだ。

recep-bg /iStock

「ノーマスクで選挙活動」日仏落差

中川氏の発言は20日の記者会見で、欧米各国でマスクを外す動きが相次いでいることについての見解を尋ねられてのことだったが、中川氏の専門は脳神経外科で感染症ではない。そもそも医師会とて開業医の利益団体に過ぎないのだが、そのトップを全医師の代表であるかのようにメディアが奉った報道をしてきたため、存在感は無用に大きくなった。

しかし、さすがに現場の記者たちも欧米との落差を見せつけられては、疑問を感じてはいるようだ。中川会長の発言が炎上したあたりから、各メディアでも日本での「脱マスク」のタイミングを観測する報道が増え始めているが、それでも医師会に忖度するように岸田首相は相変わらずだ。3月16日の記者会見ではテレビ朝日の記者に「日本においてマスクはいつ頃外して行動ができるようになると見通しているのか」と尋ねられても「お答えするのは難しい」と述べたのはいいが、4月25日の記者会見ではマスクの着用を呼びかけただけで、とうとう質疑応答でも触れられなくなった。

他方、先日のフランス大統領選で、ノーマスクのマクロン氏が遊説先で市民と握手しまくっている様子を見るにつけ、壊れたテープレコーダーのように「マスクの着用をお願いします」としか言えない我が国のトップとの差が何なのかと強く感じざるを得ない。

このマクロン氏の写真は4年前の選挙ではなく、先月22日です(写真:AP/アフロ)

そもそもそのマクロン氏を含めた海外首脳との会合で、岸田首相は思い切りマスクから解放されている。3月下旬にベルギーで行われたG7サミットでは、1対1どころか、複数の首脳たちと居合わせている場で、ソーシャルディスタンスなどもはや存在せず、思い切り握手を交わしている。国内での振る舞いと明らかにダブルスタンダードではないのか。なぜか政治部の記者がこれを指摘しないのが不思議だ。

マクロン氏らとノーマスクで語り合う岸田首相(3/24 官邸サイト)

念のため付言しておくと、筆者は決して脱マスクの強行論者ではない。いまだ相当数の新規感染者数がいる以上、人混みにあまり行きたくはないし、マスク越しでも咳き込む人と遭遇するとつい距離は置いてしまう。それでも「脱マスク」論を言及するのは、日本の政治も社会も欧米のようにリスクを見定めた上で、ゴールを設定するのではなく、思考停止に陥っているのではないかという危惧を覚えるからだ。それでいて外遊時の岸田首相のマスクを巡るダブスタ対応を見ると、暗澹とする思いだ。

「最もリスクを取らない国民性」

岸田首相が脱マスクについて十八番の「検討中」のままなのは、参院選に向けて新規感染者数をこれ以上増やしたくないという思いがあるからだろう。重症化リスクの高い中高年は選挙民の多数派だ。これは中川会長にも当てはまると思うが、結局、未来を語って希望を抱かせるよりも、無難こそ「民意」と捉えているのではないか。まさに日本社会を蝕んでいる「ゼロリスク病」の発露を思わざるを得ない。ウィズコロナという未知の世界でマスクを取ることのリスクに萎縮しきっている。

ゼロリスク病は日本経済の未曾有の長期停滞の根幹でもある。過去40年、100か国以上の人々の意識を調査してきた「世界価値観調査」で、日本人が調査対象の国でも「最もリスクを取らない国民性」であることが注目されたこともある(参照:東洋経済オンライン)。先進国でも特に起業率が低く産業の新陳代謝が程遠い。優遇税制などで小手先のことはやってきたが、労働市場改革は手付かずでは人材が新産業に移転しない。日本と似て製造業が主力で、労組が強いドイツですら20年近く前に解雇規制を緩和して人材流動化を図ったが、日本は中途半端に正社員と派遣という新たな「身分制社会」を作り、結婚できない若年層を量産。少子化を悪化させて終わった。

エネルギーについても、電力危機が何度も現実のものになりながら、安全性の確認された原発を本格的に再稼働させず、折からの原油高で電気料金の高騰になす術もない状態だ。国民は所得が上がらない中で、社会保障費(年金・保険)と電気代のアップにジリ貧になっている。それでも為政者に変化を促すどころか、国民は「改革疲れ」だと主流メディアが喧伝する始末だ。手術は何も始まっていないのに。

今の日本社会のような臆病な「世論」がもし幕末に跋扈していれば、黒船が来て異国の軍隊が上陸しても逃げ惑うばかりで、国土は蹂躙されてしまいそうだ。

いつからリスクを取れなくなったのか

日本はいつから、なぜこれほどリスクテイクできない国民性になってしまったのか。さまざまな複合的な要因が折り重なっているから安易に単純化するつもりはないが、たとえば教育。元文科相補佐官の鈴木寛氏がかねて指摘していたように、大学受験が大衆化した80年代以降、マークシート型の試験が主流となり、「思考力より暗記力」と言われかねない学習スタイルが横行した弊害は意外にあるのかもしれない。つまり「正解のない」問題になると思考停止してしまう

あるいは私立大の文系だと名門でも、高校1年で理数系の勉強は放棄して大学への道は開かれる仕組みがあるから、肌感覚でリスク計算が冷静にできない。文系人材は概ね7割程度の多数派とされるから、原発の問題にしろ、東京都で紛糾した豊洲市場への移転問題にしろ、冷静に議論ができなかったり、あくどいポピュリストにコロリと騙されたりもする。これは文系人材が圧倒的に多いマスコミ報道の現場も例外ではないから世論形成の面では実は深刻な“リスク”含みだ。

結局、コロナ対応にしろ、デジタル敗戦にしろ、スタートアップの出遅れにしろ、動かせない原発にしろ、全てがリスクを見定めて、前例も正解もない「難問」を突き詰めるのが苦手な日本社会の帰結だ。「脱マスク」はその一つに過ぎない。日本人に祟り続ける「ゼロリスク」「現状維持」という不治の病を改めて心から憎む。

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