その若手医師が、北朝鮮やガーナの田舎に飛び込んでいくワケ

【連載】ボーダレス化する医師のキャリアパス(前編)
医学博士、医療ジャーナリスト
  • 医師のキャリア形成が「型通り」から多様化している新しい動き
  • バックパッカーとして北朝鮮へ。学生時代はガーナに渡航した若手医師
  • 「医師と国際協力キャリアの確立」を掲げる彼の思いとは?

これまでは「医師のキャリア」というと、医師としてどうあるべきか、どのような仕事をしていくべきか、あるいは、仕事と家庭のワークライフバランスをどのようにとるべきかが議論の中心だった。あくまで議論の中心は、「医師としてどうあるべきか」というものだ。

しかし、そんな中、後輩たちに当たる若手医師たちのキャリアが、急速に多様化しつつあるのを筆者が実感する出来事があった。

※画像はイメージです。 kazuma seki /iStock

医師のキャリア、型通りからボーダレスに

本編に入る前に、医師がどうやって育成されているのかご存知でない人も多いだろう。大学病院を舞台にしたテレビドラマなどで「医局」という言葉を聞いたことがあるかもしれないが、これまで医師のキャリアパスにはある程度決まった型が存在した。具体的に述べると、次のようになる。

医学部に6年間通い、卒業と同時に国家試験を受験して医師免許を取得した後、2年間の初期研修医生活に入る。その後、専門分野を選び、3〜5年程度の後期研修を行う。ある程度、臨床の技術が身についたところで大学院に入り、約4年間の研究を通して論文執筆を行う。この期間と前後して、アメリカなどに留学をする人も多い。帰国後は、大学病院に勤務したり、ある程度の年限に達すると、開業を選択することもある。大学病院の勤務では、論文を書きつつ、講師、准教授、教授というキャリアの階段を上がる。

このような従来のキャリアは、現在でも依然として、多くの医師が歩いている道で、時として、教授就任を「上がり」とする「すごろく」にも例えられる。しかし、医師の臨床研修必修化が実施されて15年以上経過した今、そのキャリア観が少しずつ変わりつつあるのだ。

去る2022年4月18日、筆者は、医師のキャリアに関するイベント(一般社団法人病院マーケティングサミットJAPAN主催)に出席し、自身もプレゼンテーションをした。イベントでは、越境人材を意味する「インタープレナー」をテーマにしていたが、登壇していた若手医師、医学生にスポットをあて、何が起こっているかを紹介したい。(※イベント主催団体と筆者の間に利益相反はありません)

バックパッカーとして北朝鮮へ

建国70周年のマスゲームを見に、北朝鮮に行きました。

驚きのエピソードを打ち明けたのは水戸協同病院で医師をしている米崎駿氏(1991年生まれ)だ。

さまざまなメディアから北朝鮮の情報はありますが、自分の目で見ることが重要だと実感しました。北朝鮮でも、人々は、ビールを飲んだり、普通の人が普通の日々の生活をしているんだなあと…。新しい場所に行って、新しいものを見るのは、まさしく、ライフ・チェンジング・エクスペリエンス(人生を変える経験)でした。

ガーナ渡航時の米崎医師(本人提供)

そう語る米崎氏は、バックパッカーとして各国を回り、ガーナにも留学してきた“国際派”だ。

そういった中で、医学生として、世界の病院をみてみたいと思い、ベトナムやアメリカ、アフリカで実習をしました。そのときに強く感じたのは、特に新興国の医学生は、国を代表するエリートという意識が強く、自分の学んだことを、世界に還元したいという気持ちを持っていて、日本人として見習わなければと思いました。

米崎氏は、学生の時にガーナにも留学している。

首都でもなく、ガーナの中でも田舎に留学しました。本当に、インターネットもなく、水と電気しかないようなところで暮らしました。現地のNPOでインターンをし、村をめぐったり学校をめぐったりしながら、ワクチン普及や、手を洗いましょうと言った活動をしたりしました。そこで感じたことは、人のつながり、地域のつながりの強さ、コミュニティの美しさを感じました。

アフリカの言葉で、『It takes a village』というのがあるのですが、『村全体でやろう』という意味です。日本ですと、電車の中などで子どもが泣いていると、白い目で見られたりもしますが、アフリカではみんなであやそうとします。こういった経験から、海外経験を多くの人に広めたいと思い、海外インターンシップの運営をやってきました。日本の企業に営業活動をして、海外のインターンシップ生を受け入れてもらうことをしたり、大学から、学生を海外に送り出す活動もしました。

学んだこと「社会に還元したい」

こういう活動をしてきた米崎氏だが、将来的には、医師と国際協力の2本柱でやっていきたいという。

まずは医師をしっかりやりたいと思い、総合内科、感染症内科を勉強しています。その上で、国際協力ですが、これをボランティアでやるのか、プロフェッショナルとしてやるのか、医師として臨床をやるのか、どんなキャリアを歩めばいいのか、わからない面があります。

ガーナで現地の人たちと交流する米崎医師(本人提供)

国際協力では、国境なき医師団などの民間組織や、厚生労働省などの政府機関、WHOなどの国際機関、大学などの研究機関といった方法があると思いますが、自分は、『全部やりたい』という気持ちがありました。何が自分が好きなのか、熱意を感じられるか、を考えてみると、アフリカでの、現地での活動の中で、ウイルスや細菌の概念がなく、手洗いの習慣もない人々にレクチャーをしたら、翌日からきちんと手を洗うようになる。

そういった意味で、教育の大切さを感じ、現在、日本国内でも、大学とコラボレーションをして、医学生に対する教育イベントを開催しています。また、若手医師有志で、カンボジアの医師の教育活動をしています。地域医療をやっていると、国際協力とも共通するものがあって、医師と国際協力キャリアの確立を、引き続きやっていきたいと思っています。

こうした活動を続ける米崎氏は、自分の信念についても語る。

徹底的に、自分の興味を追求したいということがひとつと、また、ノブレスオブリージュ、つまり、自分が恵まれた環境で学んだことを、社会に還元したいという気持ちがあります。また、大事なことは、自分一人でなしとげることはできなくて、境界を越えてなしとげるときは、人とのコラボレーションが必要だと考えています。

(後編は「狂言師でもある医学生」をご紹介します。こちらから

 
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