SBI金融経済研究所 政井貴子さん 結果を出すキャリアチェンジの秘訣

【特集】ホンネで語る「女性とキャリア」 (後編)
  • SBI金融経済研究所の政井理事長と新田編集長の対談後編
  • 「外資→邦銀→日銀→SBI」…新しい環境に順応できる「原点」は?
  • 日銀から転身、次世代・デジタル金融の架け橋づくりへの思い

【編集部より】男女雇用機会均等法ができてから間もない時代に、外資銀行に入行し、主に2行を経験。その後、自身初の日本企業勤務となる新生銀行を経て公職である日本銀行審議委員に就任し、昨年からは新たに次世代・デジタル金融を調査研究するシンクタンクのトップとして活躍する政井貴子さん。

前編は新田編集長が政井さんに学び直しの極意に迫りましたが、後編はなぜ異なる環境に次々と身を置いても順応して結果を出せるのか、その“秘訣”を聞き出します。

学び直しての「効果」は?

【新田】SAKISIRUの読者は30〜40代が多く、学び直しの時期にさしかかっていますが、アドバイスすることがあれば。

【政井】ちょうど大学院を出て数年後、糸井重里さんが脳研究者の池谷裕二先生と出された共著のタイトルが「海馬は眠らない」で、なるほどと思ったんですね。

【新田】と言いますと…?

【政井】ずいぶん前に読んだので、詳細は覚えていませんが、要するに、新しく習得した何かと自分が元々知っていることを結合させることで、知識が指数関数的に増していく。この知識の積み重ねが何かを新たに作り出すとか、問題の解決を見つけ出すための発想の差につながっていくのだろうと思いました。

実務だけに集中していると、その業務の習熟度は上がりますが、その先のどう拡張していくのかという方法論には気づきにくいものではないでしょうか。私の場合、自分の経験に多少理論的な側面から光を当ててみたことで、自分の業務のコアの部分やエターナルな部分が見えていったように思います。それは、業務の内容に関わらず通ずる真理のようなものですから、他のことでも何が重要なのか、といったことを見極めやすくなったように思います。

【新田】たしかに実務から入って理論を学び直すと、また現場に立った時に「あ、これはこういうことだったんだ」と発見がありますよね。

政井貴子(まさい・たかこ)広島県生まれ。実践女子大学卒業後の1988年、ノヴァ・スコシア銀行東京支店に入行。その後2つの外銀を経て2007年新生銀行キャピタルマーケット部部長に。13年同行初の女性執行役員。16年には日本銀行で審議委員に就任(女性では4人目)。21年6月、同委員を任期満了で退任し、SBI金融経済研究所取締役。現在は同研究所理事長。三菱ケミカルホールディングス、飛島建設等の社外取締役も務める。

日本企業に“逆輸入”の身となって

【新田】再びキャリアの話に戻しますが、外銀3行を経て4行目が新生銀行(注・SBIによる買収の15年前)。政井さんにとって初めての日本企業の勤務で、当時の新聞の取材には「日本に貢献したい思いが強くなった」と仰っていましたが、その時の心境は? 

【政井】ずっと外資で20年近く働いてきて、日本にいながら、外国にいたというか。日本の企業で日本の成長に貢献したい、とちょっと大げさですが、そんな風に考えるようになっていました。

また、仕事できちんとした日本語をあまり使ったことがなく、いい歳になっているのに普通の社会人なら当然知っているようなプロトコルもできない。確かに英語はそれなりに上手だったかもしれませんが、自分はネイティブではない。「このままだと人間として日本語も英語も非常に中途半端で社会人としての常識にも欠ける自分は、とても不完全な人間なのではないか。一度日本の組織で仕事をする経験を積むなどして、欠けている部分を埋めることが重要なのではないか」と考えるようにもなっていたのです。

幸いにもお誘いいただいた当時の新生銀は、外資が出資していたこともあってハイブリッドな雰囲気。とりあえず、とっつきやすいかとも思いました。

【新田】とはいえ初めて日本企業でのご勤務。本格的に働いてみると、“逆輸入的”なご苦労やカルチャーギャップはありましたか。 

【政井】おそらく会社も私も互いに感覚の違いで驚きの連続だったと思います(笑)。特にディシジョンメイキング(意思決定)の過程が違いましたかね。

【新田】外資はやはりトップダウンですか。

【政井】転職前の外資時代は“支店”ということもあり、グローバルヘッド(本部)の決定事項は絶対でしたからね。ただ、各国のトップになれば、中小企業の社長と似たようなもので裁量の度合いは小さくなくて、日常的な予算や経費の使い方などは自分の判断で決められます。ただし、プロシージャ(社内手続き)は精緻に作り込まれていて、権限などがはっきりしている。日本にもプロシージャはありますが、外資の方が細かいですね。

【新田】あと日本人の印象と違って外資は結構、正規な社内手続き以外に根回しもやっていると聞くのですが、いかがですか。 

【政井】当然外資でもありますよ。私自身も、オフサイト(社外)で打ち合わせがあった時、別件の特殊な案件を社内で通すのに出張前に予め関連資料を用意して、重役がランチを食べているところに突撃して事前説明をさせてもらい、最終的な段階で支持を表明して頂いたこともありました。

【新田】日本は夜の居酒屋で根回しをするけど、海外では昼のランチタイム(笑)。その違いはありますが、本質は変わりませんね。

新田哲史(にった・てつじ)1975年生まれ。読売新聞記者(運動部、社会部等)、PR会社、言論サイト編集長などを経て2021年サキシルを創刊、編集長に就任。

新しい環境に順応できる「原点」

【新田】そして新生銀から日銀に移られました。初めての公職。日本の金融政策を判断していく立場に。日銀は5年務められましたが、振り返ってみてどうですか、

【政井】いろいろありましたが、例えば、当局者の立場になると、同じ物事でも受け止め方や見ているもしくは、見える風景が違うことに気づきました。マーケットの立場から純粋に発言していればいいというわけにはいきません。求められる視野の広さ、責任の重さ… 「当局者」と言われている方々は、常に色々と考えて話をしているのだと理解できたことは貴重な経験でした。

【新田】政井さんのキャリアを拝見していると、まだ女性の総合職が少ない時代に外資へ入り、途中大学院で学び直し。そして日本の銀行を経て今度は日銀と、独自の道を切り拓いてこられたと思うのですが、日本でこれほど個の力で突破し続けるキャリアは珍しい。決断や覚悟が要るようにも思いますが、どこで身につけられたのか興味があります。

【政井】確かにおっしゃる通りですね…どうしてなのかな…。ひょっとすると私、転校生だったことが影響しているのかも。父の勤務で何度か転校を経験しています。まず生まれて3か月ですぐ引っ越し。広島→東京→大阪→神奈川→愛媛→東京。ぜんぶで6か所ですかね。

【新田】6か所も!それは大変でしたね。確かに1か所にとどまって強い絆を持った友達は作りづらいかもしれない。しかし人間関係から方言、文化まで異なる環境に身を置き続けることで、変化に対しては耐性ができそう。

【政井】子どもながらにいろんなタイプの人たちを見てきたのかもしれませんね。何らかの刺激になっていたのでしょうかね。小学生の時、大阪から神奈川に引っ越した時のこと。ある日、学校の国語の授業で教科書を読んだら、クラスのみんながどっと笑うの。

【新田】大阪弁が完全にインストールされていたわけですね!(笑) 

【政井】そうなんです(苦笑)。その場では自分も笑っているけど、やっぱりストレスなのか家に帰ったらもう大泣きですよ。そんなこともあって「早く言葉に慣れよう」と適応するように無意識に努力したんじゃないでしょうかね。

【新田】なるほど、それが政井さんの原点なのでしょうね。

【政井】こうした幼少時の体験のおかげで、大人になって外資系企業で外国人とやりとりをしたり、いろんなバックボーンを持った人たちがいることや、うけとめも様々であること自体を不自然に思わなかったのかもしれませんね。

今度は次世代・デジタル金融の架け橋づくり

【新田】最後になりましたが、今度は新たに創設されたSBI金融経済研究所の理事長として、どのような活動をされていくのでしょうか。SBIといえば創業から20年余、ネット時代の金融を切り拓かれてきましたが、今度はWeb3の時代で金融の世界も大きく変わろうとしています。

【政井】私自身はデジタルや技術に決して詳しいわけではありませんが、新生銀行で役員を拝命したときに調査部の立ち上げに関わった経験がありました。法人営業畑の私にとっては当時、未知なるチャレンジでしたが、調査部の意義・設定や人や予算を集めるなどした経験があり、何らかお手伝いできるのではと思ったのです。

SBIグループの集大成として「知の集約」をはかること、そして実務家と理論家のケミストリーを生み出したい。女性の有為な人材の発掘も積極的に行いたいです。

撮影:武藤裕也

【新田】Web3、次世代・デジタル金融はまだ黎明期。既存のシンクタンクもまだ深掘りしきれていませんね。 

【政井】いまはビットコインや暗号資産がどうなるのか、NFT(非代替性トークン)がどういうふうに発展するのかは分かりませんが、10年後、今と同じ生活を送ることはまずあり得ません。キャッシュレスが遅れていた日本で、スマホ決済がこれほど市民権を得るとは、思われていなかったのではないでしょうか。これはコロナの影響によるあっという間の変化ですね。

他方、逆にこれほど変わらないこともあるのかと思うこともあります。5年前に私が新生銀を退職して日銀に移る際、「自分が日銀を退職する5年後には世の中の風景はこうなっているのでは」と予想して文書を書いたことがありました。当時、法案が通っていたIR(統合型リゾート)が実現し、REIT(不動産投資信託)の農業版が始まって年金運用に使われるような未来が来るのでは?と期待を込めて思っていました。しかしいずれも実現していません。

このように未来のことを予想するのは難しいものですが、多様な観点から、いろんな意見を闊達に議論できる場づくりをしていければと思っています。 

【新田】次世代・デジタル金融のイノベーションの動きからますます目が離せないですね。SAKISIRUも報道の立場からこのトレンドを追いかけていきたいと思います。また別企画で取材させてください。本日はありがとうございました。(おわり)

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