アメリカが人工中絶制限に“急旋回”、何が起きているのか?取材した医療系出版社長に聞く

最高裁が人工妊娠中絶の実質上禁止する州法容認
医学博士、医療ジャーナリスト
  • アメリカ最高裁が、妊娠中絶の禁止法を違憲とした判例を覆し中絶禁止の州法容認
  • 何が起きているのか。在米医療報道関係者の総会に参加した医療系出版社長に聞く
  • 今回の州法は中絶関与の医療従事者に罰則も。厳格化で起こりうることは?

アメリカでは、オクラホマ州、テキサス州をはじめとして、20以上の州が、人工妊娠中絶を厳格化する法律を制定しているが、6月24日に、最高裁が、人工妊娠中絶を「憲法で認められた女性の権利」とし、中絶を禁止する国内法を違憲とした1973年のロー対ウェイド裁判を覆す判断を下したことが話題になっている。

中絶で国論が二分してきたアメリカ(写真は2016年6月、中絶法維持派のデモ Joel Carillet /iStock)

裁判では、妊娠15週以降の人工妊娠中絶を禁止したミシシッピ州の法律が憲法違反に当たるかどうかが争われたが、州法を合憲とする判決を下した。

バイデン大統領は、「アメリカ国民は、すでに認められていた憲法上の権利を明示的に取り上げられた」と判決を非難したが、今後、全米の約半数ほどの州では、人工妊娠中絶が厳格化されることになるだろう。今、アメリカで何が起こっているのか。

4月28日〜5月1日に、テキサス州オースティンで開かれた、アメリカヘルスケアジャーナリスト協会の年次総会に出席した、医療系出版社、生活の医療社の代表を務める秋元麦踏氏に話をきいた。テキサス州でも、2021年9月に、中絶を実質上禁止するS.B. 8という法律(テキサス州法上院法案8)が施行されている。

秋元麦踏(あきもと・むぎふみ)東京生まれ。都立高校卒業後、ロサンゼルスのコミュニティーカレッジに入学、卒業。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)編入後、哲学科卒。ロサンゼルスでの書店勤務、カンザス州での携帯開発会社勤務を経て帰国。国際協力機関、編プロ勤務を経て、2016年に医療系出版社〈生活の医療社〉設立。

中絶の厳格化。何が起こっているのか

アメリカの全体的な趨勢としては、政権交代などによる揺り戻しはありつつも徐々に容認に向かっていっているという印象を持っていたのですが、やや認識不足でもありました。実際は、以前から、人工妊娠中絶は、州によって、法律上・アクセスの面で差がありましたが、その差はトランプ氏が大統領になる前後からより鮮明になり、今回の最高裁の判断に繋がりました。トランプ氏が指名・任命した3人の保守派の最高裁判事がキーになっています。

テキサス州では、2021年9月にS.B.8とよばれる州法が施行された。

S.B.8とは、ハートビート法ともよばれ、これは、経膣超音波で、胎児の心拍が検出される時期である6週以降の人工妊娠中絶を禁止するものだ。

6週というのは、妊娠初期で、妊娠がようやくわかるタイミングであることも多く、5週までに医療機関を受診して人工妊娠中絶を行うのは非現実的で、実質的にはほぼ禁止されたと言っても過言ではない。例外として認められるのは「医学的緊急事態」のみであり、レイプや近親相姦による中絶も原則として認められない。

中絶に関わった医療従事者に罰則も

中絶に関しては、妊婦のアクセスが最大の問題に挙げられますが、州によって差はあるものの、中絶を求めた人への罰則は明記されていません(明確に罰則対象から除外している州もあります)。ただ、中絶を行った医療従事者などに対する罰則が極めて重く、罰則の重さこそが重要な点です。

S.B. 8によると、中絶を行った医療従事者などに対し、アメリカの一般市民は最低1万ドルの民事訴訟を起こすことができ、勝訴すれば、弁護士費用も被告や被告側弁護士が負担するとされている(参照:NYtimes)。また、中絶手術には実刑の懲役刑が科され、2−20年の第二級重罪に分類された(参照:Forbes)。これにより、州内で中絶を行おうとする医師は、顕著に減る見通しだ。

SIBAS_minich /iStock

中絶問題は「医学的問題」にとどまらない

アメリカでは、人工妊娠中絶の問題は、主として医学的な問題ではなくて、歴史的にも宗教や思想上の問題であり、選挙の争点にもなってきました。医師は中絶に関する情報提供はできますが、こうあるべきだということを、医師が決めるわけではありません。

中絶の実質上の禁止の背景には、『プロライフ』(注)という考え方があります。『プロライフ』とは、何人も人の命を奪ってはならないとする立場(胎児の生命を尊重し、人工妊娠中絶に反対する立場)のことです。なにをもって「ライフ(生命)」とするかは意見が分かれ、ensoulment(魂が宿る)のタイミングは宗教や宗派によってもかわり、生命倫理と宗教は切っても切り離せない関係にあります。

(注)「プロライフ」の対義語として「プロチョイス」があり、これは、人工妊娠中絶に関して、女性の選択権を尊重する立場のこと。

「何が起こっているのか」見えにくい理由

テキサスでは、もともと中絶件数は少なく、10代での複数回出産が多い地域でした。アメリカでは、どんな医療も、州によって、アクセスのしやすさが変わりますが、人工妊娠中絶も同じで、もともとテキサスでは、かなりハードルが高かったと思います。ですので、今回の法律で劇的に変わるというよりも、もともと少なかった中絶がさらに、状況が厳しくなると考えた方がいいかもしれません。また、日本と比べて、中絶の金銭的負担は大きいです。しかも、テキサスでは、19−44歳の女性の4人に1人が無保険といわれています(参照記事)。

ところで、ヘルスケアジャーナリスト協会の年次総会では、このテーマについてどんなことが議論されたのか。

この会の該当セッションでは、女性支援団体の代表や産科医、ジャーナリストが発表を行いましたが、いずれも今回の人工妊娠中絶の実質的な違法化を問題視しており、賛成の人はいなかったので、今回の会の出席者という時点で、(リベラルな)バイアスのある集団の可能性はあると思います。そういう意味で、なぜ今、各州で人工妊娠中絶が厳格化されてきているのか、本当の理由がわたしたちから見えにくくなっているかもしれません。

トランプ氏(Gage Skidmore/flickr CC BY 2.0)

中絶の厳格化で起こりうること

総会の該当セッションでは、2021年9月にハートビート法が施行されてから、遠隔診療での中絶薬処方が1000%増えたという報告がありました。また、テキサスに隣接する州では、クリニックが、中絶を求めるテキサスからの妊婦で混雑しているという報告もありました。

中絶を厳格化しても、中絶を選択する人はいて、その人たちが、中絶のために州外の病院を受診したり、遠隔診療で中絶薬の処方を受けたり、中絶薬を個人で手に入れて病院を受診することなく服用したり、より困難な状況に置かれるようになると思われますが、その人たちに対するケアは十分に議論されていないのではないでしょうか。

テキサス州を含め他の州でも中絶禁止法の施行や復活によって、もっとも影響を受ける人は、例えば、法律の施行に伴って住む州を変えられるような裕福な人々ではなく、移動もままならない、貧しく若い妊婦です。

理念的な議論が重視されがちなこの問題では、だれが困難な立場に置かれ、どんな問題を抱えて、どんな影響を受けるか、という現実的な議論は蔑ろにされている印象を受けます。実際に影響を受ける人の声を拾っていないという指摘は、このセッションでも繰り返されていました。法律を厳しくするだけでは、社会的に弱い立場の妊婦が個人で多くのリスクを背負うことになりかねません。

医療機関へのアクセスを困難にすることで、医療的ケアを受けることなく自分で中絶薬を飲むような『裏ルート』ともいえるような経路が発達してしまうおそれがあり、そうなってしまっては『プロライフ』という主張も、本末転倒ではないでしょうか。女性の権利にもプロライフにもあまり関心がないように見えるトランプがこの件を動かしたことで、国単位ではなく、個々に価値観の大きく異なる各州議会へと議論の場が移り、分断が深まったというよりは、妊娠中絶も既存の分断に吞み込まれたと言えるかも知れません。

「アクセスの悪さ」がもたらす影響 

オースティンの総会に出席する際に、比較的貧しい地域のモーテルに滞在したのですが、隣接して、テント生活をしている人もいました。モーテルに住んでいる人や、テント生活をしている人に声をかけて、インタビューを試みました。

新型コロナのワクチンを受けたかどうかについても聞きましたが、その日の雨がしのげるか、安全なところで寝られるのかという生活をしている彼らからすれば、ワクチンを受けたかどうかと言うことは些末なことです。教会で、100ドルクーポンがもらえるので打ったと言う人もいました。ただ、『まぁ、そんなことはいいから、生い立ちから聞いてくれよ』という感じですよね。

秋元氏は、会場となったオースティンのヒルトンホテルから遠く、1時間ほどかかるモーテルに滞在したことで、様々な学びがあったという。

医療に限らずアクセスの悪さは、色々なことを難しくします。バスは時間通りに来るわけではないし、終バスの時間も早い。Uberは便利ですが、通勤に使えるほど安くはない。どこに住むかで、働く場所へのアクセスや安全に暮らせるかが変わります。住居環境の不安定さは、学業成績や仕事にも影響します。欧米では、social determinants of health(健康の社会的要因)という概念が、疫学調査のみならず、報道でも頻繁に取り上げられます。

ただ、「路上生活者にとっての新型コロナウイルスワクチン」の話同様、不安定な生活をおくる人たちにとって、10年後の脳卒中罹患率とか、がんに罹った場合の5年後生存率というような議論は無意味とは言えませんが、医療という側面からしかものを見ていないようにも見えます。 その点、今回の年次大会で話された、地域のクリニックで救急外来の対応をする若い医師の取り組みは新鮮で、いい方向に向かうのではと感じました。

「目の前の人の医学的問題を解決するだけではなく、医療以外の環境などの問題をスクリーニングして、他のコミュニティやリソースにつなげるという意識を持っているます。住む地域から住環境を考えたり、家庭環境についてほんの少し聞いてみたり。医療でできることの限界を踏まえつつ、その人のニーズに応える努力をしたい」という話でした。

こういった『アクセス』の問題が、人工妊娠中絶禁止の問題とどうつながっていくのかといえば、必要なケアへのアクセスが悪くなり、複雑な課題を抱える当事者の問題だろう。人工妊娠中絶禁止に関しても、一番大きく影響を受けるにもかかわらず、声が拾い上げられることが少ないのは、貧しく、不安定な生活をしている人々だ。最も影響を受ける人々のケアについて、今後、十分な議論が行われるべきではないだろうか。

タグ: ,
医学博士、医療ジャーナリスト

関連記事

編集部おすすめ

ランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事