コロナ禍という試練が、演劇界に教えてくれたこと

”不要不急”と呼ばれて、改めて気づいた価値観
2021年05月30日 06:01
演出家/京都芸術大学舞台芸術学科客員教授
  • 芸術の灯は一度消えると無くなる。演劇界は力を合わせ困難を乗り越えた
  • コロナ禍で仕事のやり方が見直され、より本質的なことに力を注げるように
  • 観劇方法が多様化しても、人と人が交流する場である演劇の価値は変わらない

演出家・小林香氏による連載2回目。

コロナ禍によって大激震を受けた演劇界。小林さんが温めていた作品も、その例外ではなかったそうです。本来演じる人、観る人がいれば成り立つはずの演劇も、コロナによって成り立たなくなる。この試練を、演劇界がどう受け止め、どう変わろうとしているのか--。小林氏は、お金では測りきれない大切なことに、改めて気付かされたといいます。

SimoneN/iStock

私達は何をもって幸せと感じるのか。コロナ禍で社会が変容する中、演劇界においても改めて価値観を見つめ直す機会になりました。

”不要不急”とされた芸術には、お金でははかれない価値がある。

逆に、お金ではかれる価値だけが、”必要”なものなのでしょうか。

演劇界にとってコロナ禍は、深刻な耐え難い痛みでもありました。劇場が閉ざされ、演劇人たちが途方にくれたことは周知の事実です。舞台芸術が“不要不急”のものとして中止されるという、歴史的にもなかったこの事態――。

私が演出したミュージカルも、2作品が上演前にまるまる消えて無くなりました。稽古場では最後まで作り上げ、劇場では舞台美術が入り、照明音響も作り、衣装もカツラも全部出来上がっていました。あとは役者と仕上げて、お客様の前に出るだけ…..そういう状況でした。

私たちにとっての舞台がどれほど大切なものか、子供のような存在だと思って想像していただければ、おわかりかもしれません。生まれてくるはずの子供が、いない。なんということでしょうか。

私たちの存在は、舞台を見てもらってはじめて生まれます。演劇とは、目の前に演じる人が一人いて、それを観る人が一人だけでも成り立つもの。その前提すら、コロナ禍においては成り立たなくなったのです。

舞台が失われれば、私たちは存在しないも同然になる。舞台芸術は、一度失われると、全てが消えて無くなってしまう。映像も残らなければ、それまでの準備も努力も、伝えたかった言葉も歌も、全てなかったことになります。

芸術は一度灯が絶えると、二度と息を吹き返さない

JoyfulThailand/istock

芸術は一度灯が絶えると、二度と息を吹き返さない。歴史がそれを語っています。このままでは、劇場の灯が消えてしまう。この灯を絶やしてはいけない。コロナが今後どうなるかわからない、渦中に演劇関係者は皆そう思ったのです。

その時、この灯を守ろう、今を乗り越えよう、そんな気持ちを、演劇界全体が共有しました。競合していたプロダクション同士も手を結び合い、現状を打破するためのアイデアを出しあった。国に掛けあって、一生懸命働いてくださった人も多々おられました。

私達も何もせずに待っているわけにはいかなかった。俳優もオンラインで歌や朗読を届けた。“Show must go on”の精神で演劇の雑誌を立ち上げた人たちもいた。それぞれが出来ることをやった。演劇人が、また別の演劇人を励ましていたように思います。

そんな動きを助けようというばかりに、演劇ファンのお客様もオンラインで視聴するなど全面的に協力してくださった。演劇の醍醐味は生で見ることで、画面越しの観劇は、本当は物足りなかったはずです。それでも、演劇界を支えるためにお客様が協力してくださった。劇場ごとに決められた順列退場などのルールも、しっかり守ってくださったのです。劇場内では、飛沫を飛ばすことが一番のNGですが、お客様は驚くほど誰も喋らない、前代未聞の静かな劇場となりました。声が出せない制約があるぶん、拍手で、あらん限りの気持ちを表現してくれたのです。「みんなで舞台を開けるんだ」というお客様の思いを感じて涙を流した演劇関係者もたくさんいました。演劇は観客も含めたみんなによって作られている。そのことに、改めて気付かされたのです。

“暮らしの時間を守る”コロナで変わった仕事のしかた

こんなふうに、コロナ禍は必ずしも悪いことばかりではありませんでした。他にも、演劇界にとって良い変化を、いくつかは見出すことができます。

まず、会議の仕方が変わりました。コロナ禍をきっかけに、最初の打合せの数回分をオンライン会議で進めることになりました。演出家は、舞台美術家や衣裳デザイナーなど、各セクションとの打ち合わせを数多くこなします。オンラインで議論が高まると、対面に切り替えるというパターンが定着してきたのです。

私個人にとって、打ち合わせを効率化できたことは大きいことでした。これによって移動時間が減り、課題に集中できるようになったのです。本質により時間をかけ、考えを事前にしっかりまとめておく。その予習が出来るようになったと思います。オンライン会議で、演出家が一度沈黙してしまうと、他の人は喋りにくくなります。参加者全員が率先して喋り続けられる有意義な会議にするためにも、演出家の事前の準備が大事なのです。

Jovan Geber/istock

また、稽古の仕方も変わりました。以前の演劇界では、エンドレスな稽古も多々あったと聞きますが、密の時間を減らすために、終わりの時間をより明確にするようになりました。もともと私の稽古場では、始まりと終わりの時間を事前に明確にしていました。以前は、大事な稽古をスパッと切ることが合理的すぎると思われることもありましたが、なにより時間の区切りを明確にするのは、稽古に関わる人たちの”暮らしの時間”を守るため。コロナ禍によって、こうした”時間”に対する考え方が、業界で受け入れられるようになった気がします。

また舞台中継の配信が増え、観劇の方法が拡がったことも、大きな変化でした。これによって、劇場に足を運ぶことがままならないお客様にも観ていただけるようになりました。配信の方がチケット代がより安価になるため、演劇ファンの裾野を広げることにも繋がっていると思います。

人がそこにいる。そのことに、価値の源泉がある

今後は演劇の世界も、視聴方法をはじめ多様化していくことでしょう。でも、生の演劇の価値は変わらないと、私は思っています。演劇には、演者がいて、客がいる。一番の贅沢は、生の人間が持つ息吹を、そばで感じられること。人がそこにいる。そのことに、価値の源泉があるのです。演劇が生まれて2000年以上たちますが、その価値は時代が変わってもきっと変わらないはずです。

非日常への誘い、他者への共感、怒りや痛みの共有、笑いが生む力、涙が鎮める傷。そして他の命の重みを想像することーー。芸術が持つこうした力が大事なものなのだということを、コロナ禍において私たちは再確認したのです。この経験を、これからもずっと忘れないでおきたいのです。

sutlafk/iStock

 

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演出家/京都芸術大学舞台芸術学科客員教授

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