リベラルは、古い左翼的な「潔癖主義」から脱却を

『なぜリベラルは敗け続けるのか』岡田憲治氏に聞く #1
ライター・編集者
  • リベラルでありながらリベラル派の弱点を指摘した岡田憲治氏にいまの政治を聞く
  • 野党共闘の難航要因、政治家にも有権者にもはびこる潔癖主義で対話が生まれない
  • 現実の政策や日々の政治活動に関しては、「日常」を支えている人への目線があるか

「正しさ」や「正義」を気取ることで敗北のカタルシスに酔い、結果的に「安倍一強」を許してきたリベラル派。その「痛いところ」をついた『なぜリベラルは敗け続けるのか』(集英社インターナショナル)著者の岡田憲治・専修大教授(政治学)に、野党の現状と、保守との分断が激化する社会状況について、保守の立場から聞いてみた。(3回シリーズ)

urbazon / iStock
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野党共闘が難航する背景

――次の衆院選に向けて、「野党共闘」の行方に注目が集まっています。

岡田 議会政治においては、野党は政権交代を目指し、「自分たちが政権を獲ったらこんな政策を実現します」と提案することが至上命題。「私達に任せもらえれば、4年間でこれをやります」と有権者に選択肢を示さない限り、勝つことはもちろん、戦うこともできません。

――しかし、先日、野党共闘に向けた立憲民主党・日本共産党の議員による対談本の出版延期が報じられました。野党連合の結成は、どうも難航しているようですね。

岡田 憲治 おかだけんじ 1962年東京生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了(政治学博士)。専修大学法学部教授。専攻は現代デモクラシー論。インターネット・ラジオなど各種メディアにて発言・寄稿。著書多数。PTA会長を3年務め、その経験からの政治提言に注目が集まっている。

岡田 知っておくべきなのは、かつてイタリアで右派のベルルスコーニ政権に対抗するために左派が団結して作った「オリーブの木」も「合併」ではなく、元は緩やかな「政党連合」体であるということです。なにも立憲民主党と日本共産党が組んだからと言って、いきなり共産党の方針である「日米同盟破棄」まで実現しなければならないわけではありません。党の綱領と公約(選挙公約、マニフェスト)は全く別のものです。綱領は党が最終的に目指すべき理想形ですが、政権公約と言うのは、「だいたい3年くらいの間に協力できる項目リスト」ですから、仮に実現まで至らなくても、根回しをしておくだけでもいいんです。

ここを議員たちは切り分けて考えなければならないし、政治部記者もその前提から議員に質問しなければなりませんし、有権者もそのことを踏まえておかなければなりません。

野党議員の中にも「日米安保条約破棄を綱領として掲げる共産党との共闘なんてありえない」と考える人はいるでしょうが、共産党だって政権奪取直後に日米安保が破棄できるとは思っていないでしょう。また、有権者も「綱領で安保破棄を謳っている共産党と組むのに、公約に書かないのは欺瞞だ、裏切りだ。これでは支持できない」などと子供じみた潔癖主義的なことを言うのではなく、「現実的に何をどこまで協力し合えるのか、提案してよ」と言い、それに基づいて判断すべきですよ。

現状、野党はどの政党でも単独では勝てないのだから、綱領と公約を切り分けて具体的な政治運営のイメージを提示しない限り、野党のパワーを引き出すことはできません。

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――客観的に見ていると、長いスパンにおける一定の政権交代は必要だと思う一方、今の野党に対しては、一体何をやっているのかよくわからない印象です。

岡田 「何でも反対の野党」「反対するだけなら野党なんていらない」という固定イメージが広がってしまっていますが、今国会で成立した法案の内、野党は実に8割以上に賛成しています。それぞれの立場から法案内容に注文を付け、修正しながら、最終的には9割近く賛成している。「何でも反対」どころではないんです。しかしそうした事実は報じられず、有権者は政権に反対している姿ばかり目にするため、「何でも反対」という誤解が生じるのでしょう。これはメディアの責任です。

政党にはそれぞれの主張がありますが、議員がみな、いがみ合って常に敵対しているわけではありません。自民、立民の議員はもちろん、共産党、社民党の議員までが集まる超党派の勉強会なども開かれています。具体的には「原発ゼロの会」や、女性議員だけが集まるものですが「クオータ制実現に向けての勉強会」などがあり、闊達な意見交換が行われています。

大きく見れば対立している政党間でも、議員同士は個別の問題では寄り添い、協力し、学び合うことができる。そもそも「政治」は一人ではできず、何をするにも仲間や友人が必要です。実際の現場では、そういうことがかなりできているのだから、有権者も潔癖主義に染まって議員を極論に引っ張り込むのではなく、「対話」を評価するようになっていく必要があるのではないでしょうか。

――その「潔癖主義」についてですが、岡田先生の著書『なぜリベラルは敗け続けるのか』では、原理原則を重んじる潔癖主義のあまり、既成の政党や政治家に難癖をつけ、投票にもいかず、「それでも自分は魂を売らなかった」と自画自賛しているリベラルの方に苦言を呈されています。帯には「本書執筆で『友』を喪う覚悟を決めた」とありましたが、実際に失いましたか?

岡田 確実にそこそこの数の友人を失いましたが、新たにその百倍ぐらいの友人ができたのでよかったと思っています(笑)。仁義をちゃんと切れない、潔癖主義に逃げる、古い左翼の文法でしか生きられない人とは、関係が切れてしまってもそれはもう仕方がないですからね。

画像:BANANA18/写真AC

保守にも当てはまる問題点

――この本で指摘されている「リベラルの問題点」は、保守にも当てはまります。私自身がまさにそうで、「なぜ総理の靖国参拝は行われないのか」「筋が違う」と言い続けているうちに仲間が減り、「俺たちだけでも抵抗しよう」と少数の純度の高い人たちが残ったものの、現実社会にほとんど何らの影響も及ぼせない状態に至るという……。それでも「正しいことを言い続けた」ことに価値を見出す、まさに「清々しい敗北感」です。しかし安易な現状容認がいいとも思えません。どうしたらいいのでしょうか。

岡田 思想と政治をきちんと峻別することが大事です。思想だけを極めたいのであれば、100部くらいの小冊子をコツコツ作って、純度の高い仲間と思想を突き詰めていけばいい。しかし政治や政策というのは、それとは別の次元に存在するものです。

――先ほどの綱領と公約の話にも通じるものがありますね。

岡田 はい。理想は理想として持っていていい。しかし現実の政策や日々の政治活動に関しては、「日常」というものを支えている人への目線があるか。半径5メートル以内の人を大事にできているかどうかが決定的に重要です。どれだけ立派なことを言っても、最終的にはそこが問われます。もっと言えば、「謙虚な姿勢を維持して、ゼニカネの話をしろ」ということ。

また、「社会の分断」が問題視されるように、保守とリベラル、右と左の断絶は埋めようがないと思われていますが、「この社会において何を守りたいのか」について話をしていけば、右左、あるいは保守やリベラルであっても、心の水脈を辿っていけば、そう大きな違いはないはずなんです。

そして、日常を守るためには右であれ左であれ、協力し合うしかない。思想は思想として持ちながら、政治において友人を増やすためには何をすべきなのかは、舞台を分けて考える必要があります。(#2に続く

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