なぜ金正恩は「不在」なのか 〜 北朝鮮報道の読み解き方

騙される日韓メディアと読者
2021年06月03日 06:00
東京通信大学教授/早稲田大学名誉教授
  • 北が「米韓ミサイル射程撤廃に反発」報道に、重村智計氏は懐疑的な見方
  • 「射程撤廃」は米国の対中戦略。北が反発すると中国に利用されかねない
  • 金正恩氏の動静も5月7日以降不明。市場経済導入をめぐる国内の暗闘も?

日韓の新聞メディアは、南北朝鮮の「工作」に利用され、時に読者を“騙す”。

米韓首脳会談で、アメリカは韓国のミサイルの射程制限を解除したのに、北朝鮮政府は10日以上も公式発言をせず、異例の沈黙を続けている(本稿執筆の6月1日時点)。5月31日に朝鮮中央通信は、非公式の立場による「論評」を配信したが、それを日韓の報道機関は「北朝鮮、米韓ミサイル射程撤廃に反発」と、北朝鮮政府の公式声明のように伝えた。明らかに日韓メディアの「判断ミス」だ。

金正恩氏(米政府公式flickr:Public domain)

米国批判論文ウラ読み

5月31日、朝鮮中央通信が「何を狙った『ミサイル終了指針』なのか」と題する、ミサイル射程撤廃を「米国の敵対行為」と批判する「論文」を配信した。筆者は国際問題評論家「キム・ミョンチョル」氏とされ、しかも英文でだけ配信された奇妙な記事だった。

この人物は、朝鮮総連系の「ピープルズ・コリア」の元編集部長で、在日の金明哲氏だろうと、朝鮮問題専門家のあいだでは指摘される。北朝鮮外務省のスポークスマンを自称していた人物で、私もかなり昔に何回か会ったことがある。

金明哲氏は公式の立場を発言できる人物ではないのに、なぜ、朝鮮中央通信は金明哲氏の見解を配信したのか。

通常は、このような主張は朝鮮中央通信の「評論員」の論評として配信されるか、社説や談話、声明として出される。「論評」と「社説」「声明」「談話」の違いは、社説や声明などは、北朝鮮の公式の立場を表明するもので、論評は公式でない場合に使われる。中国や米国に批判された場合に、評論員の個人的な見解と言い訳するためだ。

つまり、「論評」より低いレベルの金明哲氏の主張を、あたかも「北朝鮮の公式声明」であるかのように受け取ってはいけない。公式の立場でない装いをこらすために、金明哲氏の名前を使った北朝鮮の意図を汲み取るべきだろう。

中国の悪巧みをかわす北朝鮮

そもそも、今回の米韓首脳会談で合意されたミサイル射程制限撤廃は、北朝鮮にとって大きな意味を持たない。これまでの800キロの射程で北朝鮮全土に届くからだ。影響を受けるのは中国で、全土が射程に入る。米国が中国包囲網に韓国を引き込むために考えた策略だ。

北朝鮮がこれに反発すると、中国の非難を代弁する役割に利用される。さっそく中国の王毅外相は5月27日に北朝鮮の中国大使を呼び、米国非難を要請した。

中国の悪巧みに乗れば、米朝首脳会談や米朝関係改善、国連制裁解除の道は閉ざされる。これを回避するために、北朝鮮は公式の立場表明を避け金明哲氏個人に責任を押し付ける方法を取ったようだ。

とすれば、北朝鮮は公式な形での「米国批判」を、極力避けたかった意図が読み取れる。日韓メディアの「北朝鮮の米国への(公式)反発」との報道は、北朝鮮の意図とは違うのだ。韓国では、ミサイル発射実験が数週間内に迫っているためだ、との報道もあったが、あるいは北朝鮮首脳部が、米国非難声明の報道を認めなかったので、下部機関が個人の名前で反応したのか。さもなければ、首脳部は指示が出せないほどに、機能していないのか――との様々な分析が語られる。

平壌・金日成広場(narvikk/iStock)

韓国の「あぶり出し」に乗らぬ金正恩

さらに、北朝鮮分析を混乱させているのが、金正恩総書記の動静不明が5月7日から25日以上も続いている事実だ。韓国の報道機関は「20日以上動静報道なし」と伝えた。

一連の韓国メディアの報道は、通称「あぶり出し」と言われるもので、韓国の情報機関が金総書記や妹の与正氏の動静が確認できないときに、メディアを利用する手法だ。北朝鮮の首脳陣は「あぶり出し」報道によく乗せられ、数日すると姿をみせた。だが今回は、朝鮮中央通信の金明哲論文配信と、金正恩氏の動静不明の事実から、平壌で何かが起きている、との観測も聞かれる。

それを裏付けるのが、金正恩氏が昨年は頻繁に開催した「政治局会議」「書記局会議(国務委員会議)」などの重要幹部会議が、最近は開かれていない事実だ。

新設された「第一書記」ポストが意味するもの

そんな中、日韓の報道機関は1日、北朝鮮の労働党に「第一書記」のポストが新設され、ナンバー2が任命されたと人物名まで伝えた。だが、これはやや誤報だ。北朝鮮は支配体制を「唯一領導制」と呼ぶ。指導者一人が全てを決める独裁体制だ。だからナンバー2の常設を認めないという常識が、日韓の記者たちにはなかったようだ。

ナンバー2の存在は、体制を分裂、崩壊させる。ではなぜ、北朝鮮は「党第一書記」のポストを新設したのか。このポストは、「代理」か「臨時」のポストで、総書記に健康上の問題や執務できない状況が起きた時に、「総書記代理」として仕事をする役職と考えた方が、北朝鮮の支配理論と合致する。

ポスト新設の理由は、過去に金正恩総書記の状態が悪化し、危機的な状況に直面した事実があったためだ、と見るべきだろう。金正恩氏の動静が明らかでない中、報じられた「第一書記ポスト新設」情報は韓国情報機関のリークなだけに、異変の可能性を感じているのだ。

金正恩、抵抗勢力と熾烈な争いか

今年1月の党大会で金正恩総書記は、「原価、価格、質」重視の経済への転換を強調した。この3つの言葉は、「市場経済」を意味するもので、北朝鮮では長らく禁止されていた。それをあえて使った宣言に、北朝鮮の市場経済導入が期待される一方で、混乱が起きたのは容易に想像できる。そのためか、姿の見えなくなった幹部も出ている。

最近行われた全国職業総同盟大会には、金正恩総書記は姿を見せず、彼の「綱領的書簡」が読み上げられたが、この書簡は「社会主義建設」と「共産主義」を繰り返し強調し、「市場経済導入」を全面的に否定。「反社会主義」「非社会主義」的行為を厳しく糾弾した。

金正恩総書記が目指した「市場経済」と「経済改革」は、抵抗勢力や反対勢力に押し戻され、論争や対立、勢力争いが平壌で展開されているのではないか。改めて、金正恩総書記の政治的不安定、健康悪化説も取りざたされている。

一方ワシントンでは、米朝秘密交渉の進展がささやかれている。北朝鮮で、何かが起きている。

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東京通信大学教授/早稲田大学名誉教授

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