終戦から77年…防衛大OGとして痛感する「戦争当事者」の声を聴く意味

すべてが「過去の物語」となる前に...
ライター
  • 戦争当事者世代の高齢化が進む中、戦時経験を聞く意義とは?
  • 「座学よりも骨身に沁みる」防衛大の経験と記者時代の取材で筆者の思い
  • 平和は当たり前にあるわけではない。直接話を聞けるチャンスを生かしたい

※本記事は2022年8月15日の掲載です(年齢、肩書き等は当時)。

終戦から77年。当時を知る人は当然ながら年々少なくなっている。戦争を「過去のもの」としないための取り組みは全国各地で行われており、戦争を知らない世代にできることもたくさん存在する。

だがどうしても、いまラストチャンスを迎えるものがある――。

進む当事者の高齢化

先の参議院選挙では、当選3回を誇る水落敏栄氏が落選した。この要因として、戦没者の遺族らで組織された「日本遺族会」の会員の減少が影響していると言われている。毎参院選で組織内候補を当選させてきた実績のある同会だが、会員である戦没者の妻の平均年齢は97歳、遺児でも80歳と高齢化が進んでいる。

コロナ禍前の2019年8月15日の戦没者追悼式。参列者の高齢化が進む(写真:AP/アフロ)

全国規模で見ると、各地の遺族会の解散が相次いでいる。また日本傷痍軍人会は2013年に解散し、戦没者を慰霊顕彰する偕行社の会員も年々減少している。筆者自身も近畿偕行会の会員だが、若い会員は驚くほど少ない。

総務省の人口推計によると、終戦時に一定の記憶があるであろう85歳以上の全人口における割合は7%ほど。また従軍経験者となると、その数はさらに少なくなる。第二次世界大戦では、17歳以上の男性に兵役義務が課せられていたが、たとえ17歳で出兵したとしても現在94歳。戦争末期には14~16歳の少年らによる「海軍特別少年兵」も組織されたが、その最年少だとしても現在90歳を超える。

日本で戦争が行われていたことを、実体験として語れる人たちはどんどん少なくなっている。最近では、日本がアメリカと戦争をしたこと自体を知らない若者もいるそうだ。まだ当事者が語ることのできる現在においてもそのような状態なのだから、今後「戦争のことなんて知らない」と話す若者はさらに増えていくだろう。

どんな座学よりも骨身に沁みた

戦争を知らない人が増えていることは、裏を返せば長年平和が積み重ねられてきた証左でもある。それは間違いなく、喜ばしいことだ。また、毎年夏になればメディアでも戦争を取り上げる。新聞は特集を組み、テレビはドキュメンタリーやドラマを放送する。そういったものから情報を得ることはできる。

だが、「自分が当事者になる」との観点から言えば、経験者の語りに勝るものはそうはない。筆者自身も、防衛大学校で4年間を過ごし、同世代の若者よりも「戦争」のことを深く考える機会はあった。

だが、座学で知るどのような学びよりも骨身に沁みたのが、防大3学年時の硫黄島研修と記者になってから聞いた経験者の話だ。自分自身が体験すること、これが人を変える。

関連拙稿:知られざる防衛大生の「硫黄島研修」〜 今でも思い出す不思議な体験

1945年9月、ビルマ戦線で降伏して武装解除を受ける日本軍兵士(Morris W A (Sergeant), No 9 Army Film & Photographic Unit :public domain)

記者時代、積極的に従軍経験者の話を聞いた。彼らの話には、ドラマや漫画と違って山場やオチが用意されているわけではない。自らが経験したことを淡々と話すだけだ。だが、その一言一言がとてつもなく重い

特攻のための訓練を受け、「次は自分だ」と思いながら多くの仲間を見送った人。目の前で仲間が銃撃により息絶え、自らの身体にも消えない銃痕が残っている人。自艦が沈み、すんでのところで助けられた人。戦闘機に乗り、銃撃をかいくぐってきた人……。いまのメディアでは規制に引っ掛かり、とても文字にすることができないような生々しい話もあった。

すっかり認知症が進んでしまっているのに、戦争の経験を聞こうとすると途端に背筋を伸ばし、同じ話を何度も何度も繰り返す人もいた。筆者が記者になったころ、指揮官の立場にいたような人はすでに泉下の人となっていたため、話を聞けたのは前線経験がそう長くはない人に限られる。彼らの人生の中で相対的に決して長い時間とはいえない戦争の記憶が、彼らの人生に大きな影響を与えているのだと知った。

平和は当たり前のものではない

いまを生きる私たちにも、戦争が過去の遺物ではないことをウクライナ情勢が教えてくれたはずだ。一般的な日本人の感覚からすれば、帝国主義的なロシアの侵略は理解ができないものだろう。

いまの日本は、「戦後」ではあるが「戦前」でもある。平和は決して当たり前にあるわけではない。いまがあるのは平和を希求する者たちの不断の努力の結果だ

筆者は訓練で銃を構え、銃口を人に向けたことがある。銃を使うこと自体は“日常”のことだったが、はじめて照準を生身の人間に合わせたとき、途方もない恐ろしさに襲われた。いざ実戦になったとき、自分は本当に撃てるのかと深く考えもした。

だが、そんな若者に引き金を引かせるのが戦争だ。いまの日本に生きていると、戦争がなぜ起こるのか理解できず、たとえほかの国で起きたとしても日本には関係ない――と思ってしまう人は多いだろう。

しかし、それは都合のいい思い込みに過ぎない。岸田文雄首相は6月、「ウクライナは対岸の火事ではない」と述べた。もし台湾有事が発生すれば、沖縄県の南西諸島が戦域となる恐れもある。その際にアメリカや国連が動いてくれるかの保証もない。

廃墟となったウクライナ南部のムィコラーイウの街(ウクライナ国防省ツイッターより)

「過去の物語」となる前に…

戦争を知ることは、いまの平和に感謝するきっかけとなるだけでなく、戦争を二度と引き起こさないようにするには、また巻き込まれたときにはどうすればいいかを考えるきっかけともなる。

いま、戦争を知る人たちから話を聞き取り、次世代に語り継いでいく語り部の育成といった取り組みが全国各地で進んでいる。それは非常に重要なことだ。ただ、幸いなことにまだ私たちは、当時を知る人たちに直接話を聞けるチャンスが残されている。

現代社会には喜劇も悲劇も良質な物語が溢れ、私たちはそれを享受することに慣れきってしまっている。ただそれが身近な人から語られる実体験であれば、受け止め方は少なからず変わる。

かつて、従軍経験者の取材に、その方のお孫さんが同席したことがある。取材が終わって、お孫さんは涙ながらに言った。

おじいちゃんが戦争に行ったことは知っていたけど、詳しく聞いたことは一度もなかった。なんでいままで自分は聞かなかったんだろう。おじいちゃんが元気なうちに聞くことができて、本当によかった」。

きっと、あなたの近くにも戦争の記憶を抱えた人はいるだろう。すべてが「過去の物語」となる前に、まずは身近なところから、話を聞いてみてはいかがだろうか。

 
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