日野自動車不正 〜 親会社のトヨタが“被害者”ぶっても、監督責任から逃れられないワケ

嘘を塗り重ねた末、国内販売ほとんどの車種で不正
ジャーナリスト
  • 日野自動車のエンジン開発不正、嘘に嘘を塗り重ねた深刻な事態
  • 三菱自動車の燃費データ不正の事案と共通する構造的な問題
  • 親会社トヨタ自動車の豊田社長は「被害者です」と言うが…

「トヨタ自動車は被害者です」。トヨタの豊田章男社長は8月5日、親しい記者とのオンライン懇談会でこう切り出したという。

この豊田氏の発言は、トラック大手、日野自動車におけるエンジン開発の不正に関してのもの。軽自動車からトラックまでの商品を抱えるフルラインメーカーのトヨタにとって、日野は商用車部門を担う重要子会社。トヨタの小型トラック「ダイナ」もOEM供給している。

トヨタ自動車・豊田章男社長(写真:AP/アフロ)

トヨタは2001年に日野を子会社化して以来、4代続けて社長を送り込み、現社長の小木曽聡氏もかつて「プリウス」を担当したトヨタのエース技術者の1人。社長以外にもトヨタから多くの幹部が送り込まれている。

日野のエンジン開発不正の内容が、言い訳ができないほどあまりにも悪質であり、トヨタが得意とする「広告費でメディアの口を封じる」こともできないため、「豊田氏はまるで他人事のようなコメントをして逃げている」と担当記者らは見ている。

嘘に嘘を塗り重ねた日野の不正

まず、その悪質な日野の不正とは一体どんなものなのか説明しよう。

日野は22年3月、国土交通省に届ける燃費や排ガスのエンジン性能試験に不正があったとして、対象のエンジン4機種を搭載した累計約11万7000台のうち一部のリコールを発表した。これを受けて国交省はこの4機種の型式認証を取り消した。

さらに8月2日に第三者委員会が発表した社内調査によると、対象エンジンが26機種、搭載車両も56万7000台にまで拡大。3月の発表時点では不正開始時期が16年秋以降としていたのが、少なくとも03年以前から行われていたことが分かった。

世界展開もされていた日野自動車のトラックだが…(Ypy31/Wikimedia CC0

当初の発表では「不正開始時期が16年秋以降」としていたことが、日野の悪質さを物語っている。実は16年に三菱自動車で、燃費試験の不正が発覚したことを受け、国交省が他社の調査もしたが、その時点で日野は不正をしていたのに、調査に対して「嘘回答」していたのだ。

こうした不正を受け、国交省が日野に対して立ち入り調査を行った結果、さらに新たな不正が発覚。日野は8月22日、小型トラック向けエンジンでも性能試験で不正があったと発表した。3月の発表や第三者委員会の調査では、不正が行われていたのは中・大型のエンジンだったのが、国交省の指摘で小型エンジンでも不正をしていたことが分かったのだ。

これにより、日野が国内で販売するほとんどの車種で不正があったことになり、国内向け出荷がほぼ全量停止する事態に追い込まれた。燃費テストで不正をしてエコカーに関する補助金を受け、税の軽減措置を受けていたことは詐欺的と見られても仕方ないうえ、何よりもユーザーを騙していた行為はメーカーとして非常に責任が重いと言えるだろう。

三菱の不正事案との共通

こうした不正が起こった一因について第三者委員会は、上司は「神様」で、できない無理な指示でも逆らえない社風があった組織風土を挙げている。たとえば、05年11月、トラックのエンジン開発では著名な技監(元副社長)が、自動車取得税の軽減対象となるような低燃費のエンジン開発を強く求めたため、それに対応する能力がなかったパワートレイン実験部が性能試験のデータをごまかして虚偽報告をしたという。

この構造は、三菱の燃費データ不正の事案と似ている。三菱の場合も現場の能力を無視して、軽自動車の燃費の目標値がわずか2年間に5回も上層部の強い意向で強制的に上方修正させられたものの、それに対応できなかったため、性能実験部が試験データを改ざんする不正を働いた。

日野、三菱のケースは、現実を直視しないで無理難題を押し付ける上層部と、それに意見が言えない現場という組織風土が引き起こした不祥事だ。さらに言えば、日野も三菱も実験をする部署と、国交省にデータを報告する認証担当部署が分かれておらず、社内でチェックできる体制が整っていなかった。

燃費データ測定は、自己認証であり、かつ、後で抜きうちテストがないことから実験不正の誘惑にかられる制度であることを考慮すれば、実験と、そのデータをチェックする部署は分けておくべきだった。

トヨタの監督責任は重大

下氏(日野自動車サイトより)

日野では今年6月、下義生会長(前社長)がこの問題の責任を取る形で退任した。この下氏は、トヨタの子会社化になって以降、唯一の生え抜き社長だが、16年から1年間、日野の役員からトヨタに出向し、トヨタ本社で常務としてアライアンスやグループ戦略を担う要職に就いていたことがある。豊田氏の覚えがめでたかったという。

下氏は17年に日野に戻って社長に就いた。実はこの人事が異例の抜擢だった。17年当時、トヨタ専務だった牟田弘文氏が日野の社長になると見られていた。ところが牟田氏は、日野には移ったもののポストは副社長。トヨタでは常務だった下氏と逆転してしまった。

この人事には明確に豊田氏の強い意向が働いた。トヨタ元役員がこう解説する。

牟田君はトヨタで工場の設営を担当する生産技術部門(生技)が長く、仕事一筋で、生技のエースだった。そして上司にも言うべきことはきっちり言うタイプだった。

しかし、中国・天津工場付近で大規模な爆発事故が起こり、牟田君がその対応に追われていた際に、目立ちたがり屋の豊田社長が『俺が現地に入って指揮する』と言ったことに対して、『いま社長が現場に入ると、現場が混乱するだけです』と牟田君が意見具申したことに豊田社長が腹を立て、牟田君をトヨタから追い出し、見せしめに格下だった下君の下につけた

こうした人事がエンジン不正を引き起こした組織風土を醸成したとは言わないが、日野の人事は、まるで豊田氏のおもちゃのように取り扱われていたとは言える。だから日野のエンジン不正の問題は、決して「トヨタは被害者」ではないし、当事者なのである。親会社の監督責任は避けられない。

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