日本人が知らないウクライナの国民感情…「まずは停戦論」はなぜ間違っているか
前ウクライナ大使が日本に問う「覚悟」#1【編集部より】ロシアのウクライナ侵攻は10月に入り、プーチン大統領が、東部・南部4州の「併合」を宣言した。しかし、ウクライナ軍が反転攻勢を強めており、南部ヘルソン州や東部ハルキウ州では奪還する集落も相次いだ。
世界史に特筆されるであろう今回の侵攻は、長らく平和を享受してきた日本人の外交・安全保障観にも大きな波紋を広げてきた。前ウクライナ大使の倉井高志氏に現場視点から、日本人の知らないウクライナ問題の実相について解説してもらった。(2022年9月14日取材:3回シリーズの1回目)

ロシアを一切信用しないウクライナの「経験」
――ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから半年以上が経ちました。ウクライナ国民の、あれだけの攻撃を受けても折れない抵抗の意志に驚かされるとともに、日本の一部から出てくる「ウクライナは早く降伏せよ」「ロシアは説得できないのだから、ウクライナは何よりもまず停戦すべきだ」という意見には、悪い意味で驚愕しています。こうした意見を、どう考えればいいのでしょうか。

元外交官。前ウクライナ大使。京都大学法学部卒業後、1981年、外務省入省。外務省欧州局中東欧課長、外務省国際情報統括官組織参事官、在大韓民国公使、在ロシア特命全権公使、在パキスタン大使を経て、2019年1月から2021年10月までウクライナ大使を務め、同月帰国。著書に『世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(PHP研究所)
【倉井】戦争はもちろん、絶対にやってはいけないことですし、今起きている殺戮行為が終わるのであれば、それに越したことはありません。しかし問題は、「今日、例えば1日100人の兵士が命を落としているこの戦闘をやめたら、本当に明日は死者が0人になるのか」という点です。仮にいま戦闘をやめて、明日200人殺されるのであれば、抵抗を止める意味がないということです。
ウクライナはこれまでのロシアとの関係で、「今日抵抗を止めれば、明日は死者が出なくて済む」ということは絶対にないということを骨身にしみて分かっているのです。ウクライナはロシアとの間で「今日交わした約束が、明日守られることはない」という経験をこれまで嫌というほど味わってきました。だから徹底的に抗戦するんです。
日本にもかつて、苦い経験があります。満州や樺太で日本軍がソ連軍に攻撃を受けた際に、日本軍が白旗を上げると、「日本に帰してやる」と言って捕虜を列車に連れ込んだのです。しかし実際には、西の方に連れて行った。今回もウクライナで全く同じことが起きていて、マリウポリの人たちを行き先も告げずにロシア本土に連行する。ソ連時代のこうしたやり方は、ロシアになった今も全く変わっていません。
ロシアの軍事侵攻を正当化できる材料は一つもない
――日本も経験してきたことなのに、そういう歴史的事実を忘れてしまったんでしょうか。
【倉井】これまではウクライナよりもロシア関係の情報が入ってくることの方が圧倒的に多く、文学などを通じてもともとロシアに親しみを感じている人も多いので、ロシアからの見方や発想がベースになってしまうことが多かったのではないでしょうか。しかし、少し立ち止まってゼロから考えてみると、「ロシアが言っていることは全くおかしい」とわかるはずです。
――ロシアの持っている「被害者意識」に引っ張られて、「アメリカが悪い」「NATOが悪い」と言う人や、「ウクライナも正義ではない」と言いたがる人が、メディアで発言するような有識者の中にも散見されます。
【倉井】確かにロシア自身、これまでの歴史において侵略を受けてきたことは事実です。またウクライナが多くの問題を抱えていることも事実でしょう。汚職は今でもひどいですし、司法制度はまだまだ不十分で、経済面の制度も課題が多いです。しかしこれらの問題のどれをとっても、今回のロシアの軍事侵攻を正当化できるものは一つもありません。この点は曖昧にせず、はっきりさせなければなりません。
――「アメリカがウクライナに武器を供与するから戦争が長引く」という意見もあります。
【倉井】それは因果関係が全く逆で、そもそも戦争を始めたのはロシアの方です。ロシアが持っている武器をウクライナに対して使うから、ウクライナが抵抗するために武器を要求しなければならない状態になっている。これは厳然たる事実です。
今も強いウクライナ国民の抵抗の意志
――「ゼレンスキーが停戦を決断しないから、ウクライナ国民がいつまでも戦火に留め置かれている」という批判についてはどうでしょうか。
【倉井】これも非常に重要な点で、事実と全く異なります。現在のウクライナの抵抗は、ゼレンスキー大統領が嫌がる国民を無理やり戦争に駆り立てているのではありません。むしろ一般国民の方が、「ロシアに騙され、裏切られ、住むところも命も奪われるのはもうたくさんだ」と考えて、戦闘を決意しているのです。ゼレンスキーはそうした民意の上に乗っかっているだけで、彼が扇動しているのではありません。

私も侵攻開始当初から、ウクライナにいる知り合いや友人に連絡を取ってきました。当初はもちろん、半年たった現在も、「絶対に負けない」「戦い続ける」という気持ちは全く変わっていないようです。もちろん、中には「もううんざりだ」と思っている人もいるでしょうが、世論の大勢を占めるには至っていません。
むしろ国民を戦争に駆り立てているのはロシアの方で、プーチン大統領は一生懸命、国民に「自分たちは西側から攻撃を受けている」「だから戦わなければならない」と訴え、戦争への協力を引き出そうとしています。しかしもともと国民の側には戦う気などなく、「一体、我々は何のために戦っているんだ」と思っているのではないでしょうか。
私は2019年1月から2021年10月までウクライナ大使を務めましたが、その前には在ロシア特命全権公使も務めています。ロシアにはウクライナよりも長く滞在しましたし、友人、知人も多くいます。しかし今回の判断については、根本から間違っていると言わざるを得ません。国連の安保理常任理事国でありながら、自ら国連憲章の原則を破るなど、やることなすことタガが外れてしまったかのようです。非常に残念です。
ウクライナ国民の「思い」を理解できるか
――「ウクライナは抵抗をやめろ」「ロシアは悪くない」というような日本の一部の論調を見ていると、戦争や抵抗に対する考え方に不安を覚えてしまうのですが……。
【倉井】私は、日本人は正しい情報さえ与えられれば、まっとうな判断ができる人たちであると思っています。これまではウクライナよりもロシア目線の情報が多かったことや、包括的な情報に触れる機会が少なかったことが、一部の論調に影響しているのかもしれません。
また、戦後の日本人はこれまで、命を懸けて戦わなければならないような、究極的な判断を迫られる経験をしてこなかったことで、「戦わなければみんな殺されてしまう」というウクライナの人々の切羽詰まった思いを想像することができなくなっていたのかもしれません。ただ今回、ウクライナの人々の悲壮な決意を目の当たりにして、世界の現実を知り、「究極的な決断を下さなければならない時もある」ことを理解したのではないでしょうか。
(第2回「ゼレンスキーも当初見誤っていた『外交の本質』」に続く:こちらから)
■
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