東芝に注入したい、ホンダ創業者 本田宗一郎の闘魂

「株主になって、株主総会でものを言え!」
報道アナリスト/株式会社ソーシャルラボ代表取締役

経営に関する話なので、ワイドショーが騒ぐなどの大衆受けこそしていないが、東芝の株主総会運営に経産省が関与していた疑惑が表面化したことは、なかなか深刻なことだ。

その証拠に、日頃、憲法問題や安全保障に関して、社説の見解が異なる大手新聞各社も、経産省関与のシナリオに対する信憑性の度合いに多少の差異はあるものの、社説が総じて経産省に批判的だったのは、根底の価値観では、私企業に対する国家の過剰な介入への警鐘を鳴らす点で一致していたからだろう。

シリコンバレーにある東芝子会社 (Sundry Photography/iStock)

時代錯誤の「国家資本主義」

もちろん、読売が慎重に構えているように、報告書をあげた弁護士を選任したのは、東芝に対して先鋭的な対応をしてきたアクティビストの株主であり、そのポジショントークを疑っているからなのは言うまでもない。

ただ、報告書を作成した弁護士が相応の“手練”であるのは確かだ。チームの1人、前田陽司氏は辣腕で知られ、過去には朝日や日経の経済事件の解説記事に識者として何度か登場している。前田氏を司法修習生時代から知るベテラン弁護士は筆者に対し「報告書の鋭い切り込み方はいかにも彼らしい」と指摘していた。経産省の関与の度合いがどこまでだったか今後明らかになるだろうが、疑義が公然と出されてしまっただけでも日本市場のイメージダウンだ。つまり、いかに、日本の市場主義が建前に過ぎず、内実は昭和期から引きずる「国家資本主義」的な体質を引きずっていたのか、海外の投資家ばかりか日本のビジネスパーソンの一定数をも呆れ返させたのではないか。

製造業が世界経済の主役だった時代ではないのに、国策でなんでも振り付けしようとする経産省にも困ったものだが、原発や防衛装備など安全保障に関わる事業を展開していたとはいえ、東芝の、箸の上げ下ろしまで国にすがるような体質も日本型資本主義の敗北を象徴するような気がしてならない。

統制の時代に気概を示した本田

本田宗一郎(Wikipedia:public domain)

振り返れば、この令和の時代よりもはるかに国家による統制が如実だった高度成長期ですら、国の過剰な規制や介入に憤然と立ち向かった経営者がいた。ホンダ(本田技研工業)の創業者、本田宗一郎だ。同社の歴史に詳しい人ならご承知と思うが、ホンダは創業期の1950年代はスーパーカブをはじめとする二輪車を中心とするメーカーだった。そして四輪車開発に着手した矢先の1963年、通産省が貿易自由化の時代を見越し、自動車などの特定産業を合理化して、国際競争力をつけさせようと、特定産業振興臨時措置法案(特振法案)を画策する。法案が成立すれば自動車産業の統廃合や新規参入の規制がされ、ホンダの四輪車参入ができなくなるという試練に直面した。

本田はこれに対して「既存のメーカーだけが自動車をつくって、我々がやってはいけないという法律をつくるとは何事だ」と猛反発。小説『官僚たちの夏』の主人公のモデルとしても知られる、通産省の佐橋滋事務次官に対し、本田は(文句があるなら)「通産省が株主になって、株主総会でものを言え」と啖呵を切ったという。まさにいまの東芝、いや元気を失った日本の歴史ある大企業に注入したい闘魂だ。

ちなみに本稿執筆に際して佐橋とのやりとりを参照した同社オウンドメディアのページ見出しは「自由競争こそが産業を育てる」と誇らしげだ。自動車業界の合従連衡、世界的な再編が相次いだ中でも、自主独立路線を長らく続けたホンダらしい初期のエピソードというだけでなく、時代を切り開いてトップカンパニーへと頭角を表す企業の進取の精神を体現するような言霊が宿る。

ただし、ホンダといえども近年は赤字転落し、井上久男さんがSAKISIRUでも先に指摘したような苦境に陥ってはいる。それに東芝とホンダの置かれた状況が違いすぎるという向きもあるだろうが、今回の東芝と経産省の近すぎる関係が物語るのは、失われた30年で日本の伝統的な企業経営者が何を喪失したかもまざまざと示したように思えてならない。

自由市場で勝ち残り続ける企業というのは、本田宗一郎がかつて見せたような独立独歩の気構えを持っているのが前提であり、お上に何もかも依存するのでは市場経済の基本的な価値観にそぐわないというのは、資本主義社会の普遍の真理だ。今回の事態は、そんな根源的なことを問いかけられているのではないか。

 
報道アナリスト/株式会社ソーシャルラボ代表取締役

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