医療と朝日脳:社主家ならではの苦悩の歴史から

ノコノコ「婿入り」した父のこと
2021年06月17日 06:00
朝日新聞創業家
  • 村山恭平さんの連載。「医療と朝日脳」をテーマに、父・良介氏の話を展開
  • 結婚時に村山姓に。朝日の定款で株式保有を村山家か上野家に限定していたため
  • 叔母の美知子氏も結婚が長続きしなかった原因。社主家ならではの苦痛・悲哀

(編集部より)「朝日新聞」という題材を通して日本社会、日本的組織の悲喜こもごもを綴ってきた村山恭平さんの連載。時事ニュースの「朝日脳」の話から目先を変えて、今回から、姓の問題など名家の宿命を背負い、悲哀に苦悩してきたファミリーヒストリーを綴ります。

撮影:編集部

「青木理」の小ネタから

目先を変えてと言いながら申し訳ないのですが…また朝日脳事例です。

朝日新聞系のウェブサイト「AERA dot.」でジャーナリストの青木理氏が、五輪取材の外国人ジャーナリストの行動監視について、「入国するメディア記者やジャーナリストをGPSで監視すると告げ、政府の指示に素直に従うと考えるのが非現実的でしょう。仮に私が取材先の国の政府から『24時間GPSで監視するよ』などと言われたら、『なんという国だ』と反発して、その制約の網をかいくぐる取材を試みますよ」などとおっしゃっています。

日本政府は何も全ての来日記者を監視すると言っているのではありません。14日間の隔離措置を減免されたり、選手や関係者に直接取材する記者には、感染リスクの大きい行動を禁止するという当然の話です。気に入らないなら抗議の声を上げればいいのです。それなのに、いきなり自分勝手な判断での感染防止網破壊を正当化する。そしてそれを、世界のジャーナリストの現実だとして肯定する。げっそりです。

取材のための感染防止網破りは、「どんなに非常識でも、正義であり公共性があり万人が支持し絶対にうまくいくと、根拠も無くいつも思っている」…立派な朝日脳ではありませんか。

医療と朝日脳

この小ネタとも関係しますが、しばらく、医療と朝日脳とテーマで書き進めることにしました。主として、昔の父の話です。今回から、それに触れる理由やら背景やらに関する、かなり長めの前置きを始めます。

日本の知識人は蛸壺(たこつぼ)だと昔から言われています。理系なら医学界、建築界、機械界…(順不同)。文系なら政界、財界、法曹界、官界、マスコミ界、教育界…(順不同)。新しいところではIT界、環境界、バイオ界…。それぞれが一つの宇宙(天文学に習って島宇宙と呼びます)を形成し、その中では独自のルール(掟)と言葉(ジャーゴン)があるのが普通です。島宇宙どうしはあまり言葉が通じません。なにしろ、相手は宇宙人なんですから。お互い向こうの言葉の使い方が間違っていると思っています。時間、距離、安全、証拠…こうした基本的な概念が、島宇宙ごとに微妙にずれています。

ただ「微妙」というところが頭痛の種。まるで違っていたら、意思疎通しようなどと考えずに、腕力で勝負をつけて終わり。負けた方の島宇宙は形骸化します。そういう終わり方をした(あるいは、しつつある)島宇宙に、宗教界や文学界、社交界、芸術界などがあり、次に終わるのがマスコミ界か案外、広告界あたりかもしれません。

Peerayot/iStock

ノコノコやってきた医者

けれども、今回からお話する医療と朝日脳の対決は、まだマスコミ界が“文系 島宇宙”の雄であり、その中心に新聞があった今から半世紀以上前のことです。文系の雄は当然のごとく、白い巨塔に籠城する理系の雄と、ことあるごとにぶっつかっていました。朝日脳的医療批判の萌芽がありました。そして、こんな不毛かつストレスフルな場所に、ノコノコやってきた若い医師がおりました。村山良介、私の父です。

良介は、1926年12月25日生まれ。実質8日しかない昭和元年の初日に生まれた父は、同じ年の4月に生まれた母の「大正生まれ」を、よくネタにして笑っていました。出生地は神奈川県横須賀市、元海軍の船舶エンジニアである祖父の次男として生まれました。ちなみに長兄は原子炉の専門家で、典型的な理系一家でした。そのため、祖父母からの誕生祝いやクリスマスプレゼントは必ず本で、また、父はよく、御影の村山本家に蔵書が皆無であることを嘆いていました。

成城学園で旧制高校の日々を過ごした後、結核をわずらい、転地療養を兼ねた進学先の信州大で医師になり、国費で米ボストンに留学。同じく留学中の母と知り合い、帰国後に結婚しました。けれども、この結婚でさっそく一騒動おこりました。

聞くところによれば、式の1週間前までは夫婦は父の旧姓である福井を名乗る予定だったのですが、急遽、村山姓に変更することになりました。朝日新聞社の定款上、株式を持てる者は、社主家関係では、上野家か村山家の人間だけということになっていたらしいのです。「らしい」というのは、当時の定款には明確な規定が見当たらないからです。社主家とは何か、という肝心の点が曖昧になっていたわけです。

夫より家を選んだ叔母

養子であった祖父長挙が後に社長になる一方、「創業者」龍平直系の母や叔母が、結婚で姓が代わったという理由で、所有株の放棄まで強制されるというのが不文律になっており、最大の被害者はのちに「最後の社主」となる叔母美知子でした。

叔母の場合、とりあえず村山姓で結婚生活を始めたのですが、配偶者の実家は納得しなかったようで、その後流産したことなどもあり、結局離婚してしまいました。祖母の差し金ではあったにせよ、叔母は夫よりも村山家を選んだわけです。

この話には後日談があります。今から数年前、元夫君が死を前にして「もう一度だけ、美知子に会いたい」と言っているという話が、母を通して私のところに来ました。数日後、御影の叔母を訪ねた折、「会いたい」と言っておられるよと話すと、一瞬の間の後、消え入るような声で「もういいのよ」…何も言えませんでした。アンモニアくさい寝室に、ほんの一瞬、薄紅色の日がさしたように思いました。このとき、美知子は優しくて怖い私の伯母でも、最後の社主でもなく、まちがいなくひとりの「女」でした。

母の口から、仲のいい夫婦だったことは聞いていましたが、何十年も会っていなくても、やっぱり好きなのかと、やるせない気持ちになりました。叔母が幾多の良縁系見合い話を蹴りまくり、恋愛もしなかったことにも合点が行きました。帰り道、「ごちゃごちゃ言わずに、いきなり本人を連れてくれば良かった。いやいや、究極の野暮はやめておいて正解」などと一人でブツブツ言いながら、住吉駅に向かう坂を下っていきました。

私たち、朝日新聞社の社主家にうまれた我々は、客観的に見れば、めちゃくちゃ恵まれた立場だということはわかっています。子供のときから生活の心配をほとんどせずに、好きなだけ夢を追いかけられ、数多くの特典、チャンス、出会いが降って来ました。考えてみれば、今この場で駄文を(今回のは「駄」に磨きがかかっていましたような)連ねて、多くの方に読んでいただけるのもその一つでしょう。

けれども、社主家の人間以外は絶対に経験しない屈辱・苦痛・悲哀も結構味わってきたと思います。今回、お話した定款上の社主家の定義の曖昧さに起因する問題は、このあとも、形を変えて繰り返されることになります。父母の結婚当時の騒動もその一環。随分脱線しましたが、次回以降、詳しくお話いたします。

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