岸田首相襲撃 「新しい戦前」招いたマスコミの責任

安倍元首相暗殺当初から「矮小化」「偏向」
報道アナリスト/株式会社ソーシャルラボ代表取締役
  • 岸田首相の襲撃。安倍元首相暗殺以降の報道に問題はなかったか
  • 自民・細野氏「同情の余地がないことを報じるべき」に賛同する
  • 安倍暗殺事件後の報道が「矮小化」と「偏向」した末に…

岸田首相が15日、衆院補選の遊説に訪れた和歌山市内の漁港で爆発物を投げ込まれた。爆破が遅れ、SPが退避させて首相の安全は確保。聴衆にもけが人がいなかったのは不幸中の幸いだが、安倍元首相の暗殺事件から1年と経たず、今度は現職首相が選挙運動中に狙われる衝撃的な事態だ。

その場にいた地元漁師が男を取り押さえ、2発目の投てきを未然に防げたが、殺傷能力や性能がさらに高度な爆発物だった場合、岸田首相どころか現場にいた聴衆を巻き込む自爆型の大量殺りくテロになりかねなかった。

事件直後も予定通りJR和歌山駅前で演説した岸田首相(ツイッターより)

同情の余地がないことを報じるべき

逮捕された兵庫県加西市の職業不詳、木村隆二容疑者(24)の犯行動機や背後関係はまだ不明だ。安倍元首相を銃撃した山上哲哉被告(42)(殺人罪などで起訴)と同様、「ローンオフェンダー」型の犯行との見方が出ているが、岸田首相襲撃の一報を聞いて思ったのは、安倍元首相の事件以後のマスコミ報道がもたらした結果責任だ。この日夕方、自民党の細野豪志衆院議員が「今度こそ、24歳の男がどんな境遇にあろうが、テロ行為にどんな理由があろうが同情の余地がないことをマスコミは報じるべき」とツイートしていたが、全く同感だ。

安倍元首相の事件発生当初から、マスコミ(新聞・テレビなどの記者クラブメディア)の報じ方に違和感があった。なぜ事件の名称を「暗殺」や「テロ」ではなく「銃撃」とぼかすような表現にするのか。1960年の社会党・浅沼稲次郎委員長の殺害事件を「テロ」と書く作品もあるのにそうしないあたり、矮小化をしたい思惑すら感じさせた。

なるほどテロリズムの定義は定まったものでないし、山上被告の犯行動機が旧統一教会問題の社会的告発にあったから政治的動機ではないと言いたいのだろう。しかし、6年前の政府見解で示された一般論では

「テロリズム」とは、一般には、特定の主義主張に基づき、国家等にその受入れ等を強要し、又は社会に恐怖等を与える目的で行われる人の殺傷行為等をいう

と言及されており、少なくとも旧統一教会問題をなんとか打開させようとしたとされる山上被告の目的に政治性がなかったとは言えず、この中に当てはまるのではないのか。ところがマスコミで多数派を占めるリベラル系の言説はそうではない。

安倍事件「矮小化」「偏向」の末に

山上徹也容疑者(写真:日刊現代/アフロ)

例えば一橋大の橋本直子准教授は、政府見解などを踏まえてもなお、「政治テロ」と厳しく指摘した論調について「事実の歪曲だ」と批判する(「安倍元首相銃撃は「テロ」ではない 事件めぐり出回る2つの誤解」)。彼女の論考を載せたのはフォーブスジャパンだが、メディアの本音を有識者に“代弁”させている。当時の朝日新聞などの論調も似たようなものだった。どうしても安倍元首相の事件を大仰に扱いたくないから屁理屈を捏ねてでも「矮小化」したかっただけではないのか

そして山上被告の思惑通り、彼らは暗殺の責任を問うことよりも旧統一教会問題の攻撃に全力を降り注いだ。その「偏向」報道が続いた結果、行き着いた先は山上容疑者の減刑嘆願の署名が1万3000筆を突破するという有り様だ(参照:Smart FLASH)。旧統一教会問題と政治家の暗殺テロを峻別して論じ考えることができない社会は病んでいる。

もちろん自民党の一部が「反共」のためならなんでもありだった冷戦時代の残滓そのままに旧統一教会と付き合いを続けていたことは問題だ。日本の信者から搾取して韓国の教団本部に利益を落とし、北朝鮮にもマネーが流れ込んでいる疑いがある実態があるにもかかわらず、韓国を日頃厳しく非難している保守派の人たちが自民党を叱らずに擁護していることにも違和感がある。

しかし、それはそれだ。リベラル派も保守派も自分たちの政治的価値観ありきで物事を論じるから、問題を効率的・効果的に解決できていない。自民党も旧統一教会との関係は清算すべきだし、保守派も叱る時は叱るべきだ。そしてマスコミで多数派のリベラルは旧統一教会の問題と政治家への暴力行使(山上被告の凶行)の問題はそれぞれ分けて論じねば本質を見誤る恐れがある。

しかし報道の実態はといえば活動家なのか記者なのかよくわからない人たちも一部にいて野党の片棒を担ぐかのように、記者会見で政府与党を難詰することが目的化している輩すらいる。

このまま「新しい戦前」に突入か

安倍元首相の暗殺事件現場(撮影昨年12月31日)

安倍元首相が凶弾にたおれた2022年、その暮れにタモリさんがテレビ番組で述べた「新しい戦前」というフレーズが話題を呼んだ。タモリさんの真意が明らかではないところもあるが、戦前は事実として、政治的テロが横行した。1921年、原敬首相が東京駅で国鉄職員の青年に刺されて死亡。1930年にはまたも東京駅で、浜口雄幸首相が右翼活動家に撃たれ、翌年死亡した。

ちなみに朝日新聞は安倍元首相の事件が起きた直後、歴代の首相暗殺をまとめた記事の見出しを「戦前に繰り返された政治家へのテロ」と銘打っている。このうち原敬暗殺事件の犯人の青年の政治的背景は諸説あるものの、はっきりしていない。それでいて朝日はテロ事件の一例として紹介しているにも関わらず、安倍元首相の暗殺になると、なぜテロではないかのように「銃撃」事件と希釈するのか矛盾がある

歴史上の戦前はその後、32年の「5.15事件」、36年の「2.26事件」と青年将校らによる2度のクーデターへと繋がり、時の首相や蔵相らが犠牲になった。いまの時代に自衛隊が組織的クーデターをすることは考えられないが、ロシア、中国、北朝鮮から情報戦を仕掛けられ、国内では社会の不安定化で第2、第3の山上が出てくる脅威はこれからも続く。「新しい戦前」の深みにハマる前に日本の社会は安定を取り戻せるのか。世論形成の責務を忘れたマスコミへの失望はこれからも続くのだろうか。

 
報道アナリスト/株式会社ソーシャルラボ代表取締役

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