部活の完全廃止に向けて、さあ一歩踏み出そう

完全廃止以外は「真の改革」にならないワケ
朝日新聞創業家
  • 学校の部活動全廃を提起して大反響。村山恭平さんの論考続編
  • 反論も踏まえ、それでも「完全廃止以外は改革にならない」理由とは?
  • 教師が具体的に辞めるための方策。実力行使に向けた条件

【編集部より】先月掲載した村山恭平さんの「学校教育を救うには部活動全廃しかない」は、ここ半年のSAKISIRUの記事でも特に多くの方にお読みいただきました。皆さまの議論を踏まえ、村山さんから続編を寄稿いただきました。

画像:Second Edition /PhotoAC

前回の記事、多数のコメントをありがとうございます。お恥ずかしい話ですが、自分の記事にこれだけの反響があったのは初めてのことで、大変恐縮しています。今後ともよろしくお願いします。

さて、全コメント(5月いっぱい)を拝読して、一番印象に残った反論は「部活には教育的効果や楽しい思い出になることがたくさんある」という趣旨のものです。けれどもこの議論は「人間のやっていることですから、部活にもプラス面とマイナス面がある」以上の結論はあり得ません。「いろいろあるね」でおしまいです。

別のコメントでは、「もっと部活に予算を回せ」というのもありましたが、正論ですが虚しい。お金をかければ解決できる問題は、日本中に山ほどあるからです。インフラ整備、保健医療の充実、保育所……。文部科学省関係だけでも、最先端科学の研究費不足、博士号保持者の就職、20人学級の実現……キリがありません。問題を解決するには何かを犠牲にするしかない時代なのです。部活全廃論はこの理由で出てきました。これからの中高生には、先輩たちのような部活の楽しみや思い出は諦めてもらうけど、生きていくために確かな思考力と必要な知識を身につけてあげよう。という考え方です。

「なにも部活全廃などと過激なことを言わなくても、『地域の力も借りながら、少しずつ教員の負担を減らしていけばいい』とか『生徒も教員も希望者だけがすればよい』とかの改善の余地がある」、いただいたコメントを含めてあちこちから聞こえてきますが、残念ながら絵に描いた餅のレシピみたいなもんです。

完全廃止以外は改革にならない

まず、教員の負担軽減のために地域のボランティアで部活を回そう、という文部科学省推薦の「地域移行論」。無償労働を教員から地域住人に振り替えるという話ですから、どう考えても数が全く足りません。おまけに、問題のある指導者(たいていは昔ながらのパワハラ系)が紛れ込むのも防ぎにくくなります。クビになっても何の痛みもない無敵の人々だけに、そこで何が始まるのやら……これでは、生徒に加えて指導者の監視までしなければならなくなり、教員の負担が余計に増えかねません。

そもそも、技術的にも人間的にも申し分がなく意欲も時間が十分にある指導者なら、すでにどこかで活動しているはずです。急に、こういう人材がどこからかワラワラわいて出てくるはずがありません。地域移行を言い出した文科省自身が、はやくも腰砕けです。

生徒も教師も希望者だけが部活をするというのも、確実に理想論だと言えます。現状でも、何の罪も無い先生方に無償労働の押しつけが行われているんですから、教員側で事態が好転するはずがありません。いっそのこと紙の教員免許なんか廃止して、教職単位を修得した学生の額に「ただ働きの人(文部科学省)」と焼き印を押すほうが、わかりやすくていいでしょう。それともマイクロチップにしますか。

生徒の方も、部活大好き教員の「内申書が不利になるぞ」との一言で、よほどの肝の据わったやつ以外、脱部活の意思はくだけてしまいます。結局、「うちは先生方も生徒たちも熱心で、自由参加なのに全員が入部しています」って、嘘つけ。

だから完全に退治しない限りゾンビとブラック部活は消滅しません。理不尽な他人の犠牲も伝統だったら容認してしまう(時には賞賛する)有権者が多い日本では、部活廃止は並の政治家にできることではありません。一種の革命なのですから上に期待するのは最初から無駄です。むしろ、傾く太陽を背に毎日毎日、ため息をつきながら職員室から体育館に向かうあなたにこそ、できることがいろいろあります。

croissant./Photo AC

就任拒否が基本の基本

まず、簡単に引き受けないことです。正月が明けたら「来年度から顧問はやりません」と管理職に意思表示しましょう。口頭でもいいのですが、念のため証拠の残る文書にしましょう。できれば弁護士さんに書いてもらい内容証明で校長宛に出すのが理想です。費用はかかりますが、ここまでやればたいていの場合、それ以上強制はしてこないと思います。

これで、あなた自身の部活廃止は完了です。うまくいけば同僚から拒否者が続出します。数学科教員全員とか、3年生担任一同とかが連名ですれば破壊力抜群。数年後には事実上の廃止までいけるかも知れません。

ここまでは踏み込めないくても、やれることはたくさんあります。顧問就任を強要されたら、理由も添えて校長名の文書で出すことを要求しましょう。元々、法的根拠のない指示文書に自分の名前が残ることを管理職は嫌がるものです。

晴れて顧問になったら、最初にはっきりと生徒や保護者に、「自分はただの顧問だから最小限の事務と安全管理はするが、試合結果などには一切関心が無い。納得していただけないなら今すぐ辞めます」と宣言してしまいましょう。

無責任だと非難されたら、「学力格差の拡大と厳しい就職状況を考えれば、部活などやっている場合ではありません。生徒をあおる教員の方がよほど無責任です」と反論しましょう。

この「部活などやっている場合ではない」の一言はキーワードです。「君の成績では部活などやっている場合ではない」。「今学期は授業が遅れている。部活など……(以下同文)」。「今年の大学入試結果はひどいものだった。部活など……(以下同文)」。

先生も生徒も試行錯誤…(coji_coji_ac /PhotoAC)

特に、保護者から「なぜ先生は、前の顧問の○○先生みたいに、熱心じゃないのですか」と聞かれたら、教育格差が開き普通の公立中学生が将来、親と同等以上の就職をするのが難しくなっていること、教員が多忙になりすぎて十分な学習指導ができなくなっていること、塾や予備校の指導技術が進み生徒個人でそれに追いつくには学習量を増やすしかないこと、不況のため実業団の運動部が壊滅状態で昔ほど体育会就職ができなくなっていること、などを折に触れて繰り返し懇切丁寧に説明しましょう。多くの保護者が「部活などやっている場合ではない」ことを知れば、見直しの機運が一気に高まります。

実力行使のための「条件」

ただし、こうした実力行使じみた行動が意味を持つのは、部活以外の仕事をきっちりとこなしている教員だけです。特に、授業の質は学校中から一目おかれている必要があります。自他とも認める怠惰で無能な教員が部活から降りても、「あいつはいないほうが成果があがる」と素朴に歓迎され、「やっぱり、良い教員は部活もがんばらないと」などという、根拠不明の風説に妙な説得力がでます。

もうひとつ大事なのは論理がしっかりしていることです。あなたは、「部活などやっている場合ではない」ことを(できればデータをあげて)論理的に説明できますか。「文武両道の生徒は最終的には成績が伸びる」などという都市伝説にさえ反論できないようでは、見込みがありません。

行動も一貫していなければなりません。春に顧問就任を固辞しながら、野球部が甲子園に出たとたんに、舞い上がって応援団の担当になりたがるようでは、ただのおっちょこちょいです。こういう場合は冷静に、「アルプススタンドに行くのは、教員・生徒とも希望者のみであるべきだ。保護者への寄付の強要などもってのほか」と筋を通しましょう。

確かに大変な戦いですが、暗い顔して「何の意味もない」と呟きながら暗い顔してグランドの片隅に立つよりは、よほど生徒の将来のためになり、何よりも自分の精神衛生上よろしいでしょう。あなたの、露骨な白い目と密かな応援を受けながらの健闘に我が国の将来がかかっています。

最終回は「部活と進学」

 

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