ドイツが旧植民地に「100年目の謝罪」…日本の指導者が学べることとは?

「戦略論」が教える3つの視点
2021年07月18日 06:00
地政学・戦略学者/国際地政学研究所上席研究員
  • ドイツが旧植民地ナミビアの約100年前の虐殺を謝罪。日本人が学べることは?
  • 戦略論から学べる3つの視点。謝罪する側の事情、される側の複雑な事情…
  • 国際社会の目も重要。複雑な関係性を読み解く冷静な視点を身につけるべき

ドイツがまた謝罪をしている。ただしそれは第二次世界大戦のナチス・ドイツに関する話ではなくて、なんと100年以上も前にアフリカで犯した人道的な罪に関することだ(参考:NHKニュース「ドイツ政府 植民地だったナミビアでの虐殺行為を認めて謝罪」)。

ドイツ軍によって鎖に繋がれたナミビアのヘレロ人(1904年=Wikimedia public domain)

帝国主義時代のジェノサイド

イギリスやフランスなどに比べてあまり知られていないが、実はドイツもアフリカで広大な植民地を持っており、「ドイツ領南西アフリカ」という名前で、現在のナミビアとタンザニアにわたる地域を統治していた。

我々の一般的な視点から見れば、19世紀から20世紀初頭にかけていわゆる「欧州列強」と呼ばれた帝国主義の国々が犯した「人道的な罪」というのは、確かに何はともあれ「謝罪すべき案件」となる。

ドイツ(帝国)の場合は、「かつて統治していた現在のナミビアでは、1904年から1908年に植民地支配に対して蜂起した現地のヘレロやナマの人たち数万人がドイツ軍に殺害された」といわれている。

それについてドイツのマース外相は今年の5月28日に「民族などの集団に破壊する意図をもって危害を加えるジェノサイドだった」と認め、「ドイツの歴史的、道義的な責任を踏まえて、ナミビアと犠牲者の子孫に許しを請う」と公式に謝罪したのだ。

この父祖たちがここを統治していた期間の間に犯した罪を、100年以上も後の子孫たちが謝罪したことは、実に画期的なことであったと言える。

「謝罪」と「戦略論」の関係とは

こうしたかつての帝国による植民地主義に対する公式謝罪のような話は、われわれ日本には遠い海外の話ではあるが、国際政治を「戦略的」に見る視点を養うという点では、実に参考になるニュースである。

「帝国主義の謝罪がなぜ戦略の話に?」

といぶかしがる方もいらっしゃるかもしれないが、このようなトピックは、実は日本人に足りないと言われる戦略的な視点やその冷静な考え方を身につける点で、実に教えてくれるところが多いのだ。

「ドイツが謝罪した」これだけを聞くと、我々はシンプルに

「ドイツは悪いことしたから謝罪したんだな」

と考えがちだが、ものごとはそれほど単純ではない。「これで一件落着」とは決してならないほどの複雑性が存在し、それを読み解くにはまさに戦略的な視点が必要であることが痛感される。

そして、戦略論が教えているのは、「彼我のダイナミックな敵対関係」や「それを見ている第三者」の視点だ。これを踏まえた上で、ではなぜドイツのナミビア謝罪が参考になるのかという点について、大きく3つの要点を指摘しておきたい。

ナミビアとドイツの国旗(Stock Ninja Studio/iStock)

謝罪に法的根拠はあるのか?

第一に、謝罪する側にも事情があるという点だ。

その最大の問題は「その罪を認めて謝罪する上での法的な根拠」が存在しないというものだ。

たとえば今回のドイツはナミビアに対する行いが「大量虐殺(ジェノサイド)」であったことは認めているのだが、肝心の「虐殺」という法的概念が行われていた当時には存在しなかった。ジェノサイド条約が成立したのは戦後の1948年のことだからだ。そのため、もしそれを根拠に賠償するとなると、過去になかった法を元に(遡及)してしまうという矛盾に直面する。

そのような事情なので、ドイツがナミビアと合意したのは実質的には「賠償金」だが、法的根拠が存在しないため、公式には「経済・開発支援」という体裁しかとれないのである。

歴史的にも世界最大の植民地を抱えていたイギリスも、植民地統治下のケニヤで拷問が行われていたことを認めて、2013年に謝罪と賠償をすることを認めている。

だが、現在のイギリス政府は「かつての植民地で起こっていた暴力については法的な責任は負っていない」という立場を変えていない。これはもちろん「倫理的・人道的に責任がない」のではなく、あくまでも「法的な土台がない」という点で、ドイツと同じなのだ。

賠償を巡って受け取り側にも混乱が

第二に、謝罪される側にも一筋縄ではいかない事情があるという点だ。

たとえば、賠償金を受け取る側のナミビア政府がそもそも腐敗しているという点や、まさにジェノサイドの当事者となったヘレロ族やナマクア族の間にも、誰が賠償を受け取れるのかについて意見がわかれていることなどが挙げられる。

1904年、へレロ人とドイツ軍の戦い(gallica/Wikimedia public domain)

最大の問題は土地に関する話だ。ナミビアでは農地の約70%ほどが、白人によって所有されているのである。もちろんそのすべてがドイツ人の子孫というわけではないが、その多くはドイツ系だ。

ドイツが求めているように、もしこれらの土地のいくつかを強制的に収用して元の部族などに返還するようなことになると、他のアフリカ諸国でもあるように、実に複雑な手続きが必要になってくるのだ。

要するに、謝罪される側にも「返してもらって問題解決」というよりも、さらに問題がこじれる可能性が高いのである。

「謝罪の連鎖」を警戒する目線も

第三に、問題はこのような「加害者vs被害者」という構造だけでなく、第三者である「国際社会の目」も大事になってくるという点だ。

これについて興味深いのは、イギリスのメディアがかなりの関心を持って報じていることだろう(参考:The Economist「Germany is apologising for crimes a century ago in Namibia」)。なぜなら、ドイツがナミビアでの問題を解決することが、アフリカで植民地を持っていた他の欧州の国々に賠償や謝罪の嵐を巻き起こすことにつながりかねないためだ。

第三者である欧州でこの問題が注視されるのは、潜在的に他国に飛び火する可能性があるからであり、ドイツの様子を注意深く見るのは、当然といえば当然なのだ。

リーダーが身につけるべき冷静な視点

以上のような事情がわかると、それまでの「加害者vs被害者」や「どちらかが一方的に悪い」というものの見方が、いかに単純であるかがご理解いただけると思う。

何度もいうが、戦略論が教えているのは、「彼我のダイナミックな敵対関係」や「それを見ている第三者」の視点だ。

そしてこの視点は、2つの国家が実質的な謝罪や賠償の合意に至るまでのプロセスを見る場合にも、応用できる。

もちろん国家間の謝罪にこのような視点を結びつけるのはけしからん、というご批判もあるかもしれない。

ただし、このような複雑な関係性を見るときには、戦略論が説いている視点がきわめて有効であるという事実は変わらない。なにより、このような客観的かつ冷静な視点こそ、日本でリーダーを自認する人々すべてが身につけなければならないものだ。

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