「液体のり」ががん治療で活躍!画期的な治療法「BNCT」の救世主に
坂田薫『コテコテ文系も楽しく学ぼう!化学教室』第9回- 前回紹介した、画期的ながん治療法「BNCT」の進化をさせた液体のりに注目
- BNCTは「がん細胞内に留まる時間と量を増やす」が課題。液体のりが解決
- 従来の薬剤の約3倍の量ががん細胞にとどまるなど効果を向上させる
第5のがん治療法として注目されている「ホウ素中性子捕捉療法(Borono Neutron Capture Therapy、以下BNCT)」。がん細胞だけをピンポイントで破壊し、たった一度で治療完了。画期的なだけでなく、臨床研究で結果も出しているBNCTですが、普及させるには一つの課題を克服する必要がありました。その課題とは一体なんだったのでしょうか。また、BNCTを一躍有名にした「液体のり」を使った研究とは、どんなものなのでしょうか。前編に続き、後編はBNCTの課題と最先端の研究に迫ります。
BNCTが抱えていた課題とは
BNCTが抱えていた課題。それは「BNCT薬剤ががん細胞内に留まる時間と量を増やすこと」です。じつは、がん細胞が取り入れたBNCT薬剤は、時間とともに細胞外へ排出されてしまうのです。BNCTは「がん細胞内にホウ素原子が存在すること」で成立する治療であるため、BNCT薬剤が細胞外に排出され始めると治療効果が落ちてしまうのです。
また、現在、BNCTに使用する「エネルギーの低い中性子」を安定して充分な量で生産することができるのは、京都大学複合原子力研究所の研究用原子炉(KUR)のみです。原子炉は装置が大掛かりで建設費がかかること、また原子炉規制法などにより病院に併設させることが困難であることから、最近の離床研究では、BNCT の普及に向け、より安全で簡便でコンパクトな「加速器型中性子線源」とよばれるものが主流となっています。
しかし、現状の加速器型中性子線源から得られる中性子の量は、原子炉のそれより少なく、浅い部分のがんに適応範囲が限定されると考えられています。治療の適応を深部まで広げるには、がん細胞内のホウ素原子の量を長期的に高濃度で維持することが求められるのです。
「液体のり」で薬の注入3倍に
「BNCTを普及させるためには、BNCT薬剤ががん細胞内に留まる時間と量を増やさなくては。いったいどうすれば…」この課題を解決してくれたのが、あの「液体のり」でした。
液体のりの主成分は「ポリビニルアルコール」という生体適合性が高い物質です。このポリビニルアルコールとBNCT薬剤を水中で混ぜ合わせたもの(以下、新薬剤)を注射すると、従来の薬剤の約3倍の量ががん細胞に取り込まれ、留まる時間も長くなりBNCTの効果が向上することが、東京工業大学の野本貴大助教授の研究により明らかになりました。このような効果が出たのは、従来のBNCT薬剤と新薬剤では、がん細胞内の取り込まれる場所が変わったためと判明しています。そして、マウスを使った実験では、新薬剤によるBNCTで、大腸がんがほぼ根治した状態になったという研究結果も出ています。
新薬剤は「従来のBNCT薬剤とポリビニルアルコールを水中で混ぜるだけ」という簡便さに加え、このような非常に高い治療効果も確認できたため、今後の臨床応用が期待されています。
「液体のり」がトレンドにも
ところで、「ポリビニルアルコール+ホウ素原子(BNCT 薬剤)」という組み合わせに、懐かしい気持ちになりませんでしたか。実はこの組み合わせ、子供のころに遊んだ「スライム」そのものなのです。そのため、この発見は「スライムの化学」と表現され、ニュースで取り上げられました。
さらに、このニュースの少し前。東京大学が「液体のりを使用し白血病の治療に必要な造血幹細胞を大量に培養することに成功した」と発表。この2つの研究はほぼ同時期に報道されたため、液体のりが立て続けに注目されました。「液体のりでがんが治る」といった表現の記事もあったことから、SNSでは「液体のり」がトレンドにランクイン。東京大学が使用した液体のりの販売元である文具メーカーには問い合わせが殺到し、文具メーカーから「一般消費者の方の本来の目的以外のご使用やおやめくださいますようお願いいたします」と注意喚起があったほどです。
ここまで読んでくださったみなさんには必要ないと思いますが、念のため、私からもお伝えしておきます。「液体のりを直接体内に入れても、がんは治りません。」
ちなみに、東京大学の研究では市販の液体のりがそのまま使用されましたが、野本助教授によるBNCTの研究では、独自にポリビニルアルコールを合成して使用されました。
一筋の光
ポリビニルアルコールを利用したBNCTの実用化に関しては、一般的に、臨床試験を始めて7〜8年で承認申請となるため、この研究でも同程度の時間がかかるのではないかと考えられています。そのため実用化までもう少し時間がかかりそうですが、今現在、そしてこれから先の未来において、がんという病に苦しむ方々や、ともに戦う家族そして医師の方々にとって、この治療法が一筋の光になることを願ってやみません。
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