東京オリンピックで初めて達成「10の出来事」#1 天文学的数字の記録も?

「史上最年少」「トランスジェンダー」...
ジャーナリスト、大和大学社会学部教授
  • 延期、無観客が五輪史上初だった東京大会は他にも「初めて達成」
  • 日本の柔道で実現した兄妹同日金メダルは天文学的数字
  • 史上最年少、初のトランスジェンダー選手…一挙ご紹介。まずは前編

新型コロナウイルス禍の中で行われた東京オリンピックは五輪史上初の延期、無観客の中で行われることになった。第一次世界大戦の災禍とスペイン風邪のパンデミックを乗り越えて行われた1920年アントワープ大会のように、東京大会は困難を乗り越えて、開催された大会として世界中の人たちの記憶に刻まれることになるだろう。

実は今大会は、延期、無観客以外でも五輪史上初めての出来事や、これまでなし得なかった偉大な記録が達成されている。終盤戦となった今、「東京大会10の初めて」を振り返りってみたい。

① 兄妹同日金メダルは天文学的数字

今大会、日本勢は過去最高の金メダル数を獲得しているが、その中でも今後、破られそうもない記録が大会3日目に成し遂げた柔道男子66キロ級の阿部一二三選手(23)、女子52キロ級の阿部詩選手(21)の兄妹同日金メダルだろう。

海外メディアが「ハリウッド映画でもありえないような話」(米NBC電子版)「アベ一家は金色に染まった。オリンピックの歴史が作られた日」(英Sky Sports)「日本柔道界の天才きょうだい」(韓国・中央日報)などと報じているように、この偉業がいかにすごいかがわかる。

きょうだいがオリンピアンとなる快挙。そしてそこに加わる、同じ大会に出場しての金メダル獲得というレアさ。それが同じ日の約30分以内に成し遂げたということになれば、もうこの達成度は天文学的数字の確率だろう。

例えばきょうだいが同じ代表チームに入って、五輪王者になることはありえる。男女混合試合も増えているので、同一種目の達成なら今後もありえなくはない。しかし、阿部兄妹はそれぞれ種目も違い、たまたま決勝戦が同日という偶然が重なったうえでの快挙であり、これに並ぶのは2024パリ大会、2028ロサンゼルス大会でのこの2人しかありえないのではないか。歳が近い阿部きょうだいのメダル獲得は彼らの子ども、孫にも受け継がれる可能性があることを考えると、「アベ一家」の五輪物語は第2章、第3章も続く期待が膨らむ。

② 史上最年少メダル獲得

東京大会では「アーバンスポーツ」という、都市でもちょっとしたスペースを利用して技を磨くことができる若者に人気の競技が加わった(関連拙稿:「「鬼ヤバい」メダルラッシュ新競技は日本のお家芸になるか?」)。その中でもスケートボート競技は日本勢が世界を席巻。大会13日目の8月4日に行われたパーク女子で、中学1年生で12歳11か月の開心那(ひらき・ここな)選手が銀メダルを獲得、日本人最年少選手のメダル獲得者となった。

今大会最年長金メダリストとのソフトボールのエース、上野由紀子投手(39)との年齢差は27歳。親子ほどの開きがある。実際、開選手のご両親は43歳といい、心那さんは13歳10か月で同じくスケートボート競技のストリート女子で優勝した西矢椛(もみじ)選手と並んで、日本で最も有名な中学生オリンピアンだろう。

一夜明けた5日のメダリスト会見では「オリンピックがすぐに終わっちゃったので、全然実感がないです」「(大会後は)北海道でいつもスケートをしている人たちと遊びに行きたいです」と語り、小学校を4カ月前に卒業したばかりのあどけない素顔を示した。

国際オリンピック委員会(IOC)のアーカイブによると、1896年アテネで始まった近代オリンピックでは、そのアテネ大会体操競技に出場し銅メダルを獲得した10歳のギリシャの選手が「最年少」の記録とされている。しかし、1900年パリ大会のボート競技で、観客席にいた8歳くらいのフランス人の無名の子が男子オランダ代表ペアの舵手として飛び入りで出場(もともとの舵手が体重オーバーのため)して、優勝。史上最年少メダリストではないかと言われ、米紙ウォールストリートジャーナルは誰が史上最年少記録なのかは「五輪の歴史における大いなる謎」と報じている。

③ 人口3万4000人の小国の初メダル

世界の国・地域にあるナショナル・オリンピック委員会(NOC)。東京大会には205のNOCの選手約1万1000人が参加した。このうち、五輪史において、アジア地域のバングラデジシュやネパール、欧州地域のボスニア・ヘルツェゴビナやモナコ、アフリカ地域のリビヤやマリ、北南米地域のボリビアやエルサルバドル、オセアニア地域のナウルやツバルなど、まだおよそ70の国・地域がメダルを獲得していない。

その中で、イタリアに国土を囲まれた人口3万4000人の小国サンマリノが東京大会で快挙を成し遂げ、メダル獲得国の仲間入りを果たした。

大会7日目の7月29日に行われた射撃競技のクレー・女子トラップで、33歳のアレッサンドラ・ペリリ選手が同国史上初の銅メダルを獲得した。好調のペリリ選手は9日目の31日に行われた男子選手と組む混合トラップで、38歳のジャン・マルコ・ベルティ選手とともに出場。決勝戦でスペインを相手に僅差で敗れたものの、銀メダルを獲得した。

サンマリノは1960年のローマ大会に出場して以来、毎回、夏季五輪に選手団を派遣していたが、今大会で2個のメダルを獲得したことになる。帰国した2人はメダルをぶらさげて、家族や仲間の祝福の抱擁やキスを受け、熱狂の中で東京大会の快挙を味わった。ペリリ選手は「努力してここにたどり着いたから、本当に誇らしい」と涙を流して喜んだ。

④ 初のトランスジェンダー選手が出場

東京大会の開会式ではハイチ人の父親と日本人の母親を持ち、米国で暮らしているテニスの大坂なおみ選手が最終聖火ランナーを務め、今大会のモットーである多様性と調和の大切さを世界に訴えた。大会11日目の8月2日、重量挙げ女子87キロ超級に、男性から女性への性別を変更したニュージーランドのローレル・ハバート選手(43)が出場。五輪史上初のトランスジェンダー選手が大会へ参加した。

もともとニュージーランドで男子の国内ジュニア記録を打ち立てた選手。35歳の時に男性から女性へと性を変え、その後、女子選手として競技に参加するようになった。国際オリンピック委員会(IOC)が定めるテストテトロンの血中濃度の規定をクリアーし来日。試合では記録なしの結果となったものの、東京で確かな足跡を残した。

競技後、ハバート選手は現役引退を表明した。ロイター通信によれば、「これが今後、歴史のほんの一部、小さな一歩になることを願う。時がたつにつれ、今後起きていくことによって、今回のことの意味の大きさが薄れていくことを本当に望んでいる」と語り、トランスジェンダーの参加が特別でなく一般的なことだと受け入れられる状況に変わっていくことを希望した、という。

⑤ 男女の参加人数がほぼ半数に

近代オリンピックが始まった1896年アテネ大会では体力面などを理由に女性の参加は禁止されていた。4年後の1900年パリ大会は出場が許されたが、参加人数はわずか22人。1世紀以上がすぎ、東京大会ではほぼ男女の参加人数が半数になった。

IOCの割り当てによれば、1万1000人の参加者のうち約49%が女子選手。大会組織委員会は「史上初のジェンダー・バランスのとれた大会」とアピールする一方、トーマス・バッハ会長は東京大会について「オリンピック・ムーブメントは、ジェンダー平等のスポーツ界を想像する取組みの新たな節目になる」と語った。

しかし、まだまだ女子選手が競技に打ち込める社会環境ではなく、スポーツ界では旧態依然とした男女差別も露呈することがあるが、2020大会を機に、女子オリンピアンが輝く機会はさらに増えるだろう。

一方、東京大会では男女の種目が同等になるよう確保し、男女混合の種目もリオ大会の9種目から18種目に増えた。大会4日目の7月26日にライバルの中国人ペアを下し、水谷隼選手(32)と伊藤美誠選手(20)が優勝した卓球混合ダブルスも初種目。東京大会でのシンボルともなる金メダルだった。

つづく

 
ジャーナリスト、大和大学社会学部教授

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