ジョセフ・ナイの対中戦略 致命的な3つの欠陥(前編)

アメリカのエリートに欠ける戦略的思考
地政学・戦略学者/多摩大学客員教授
  • アメリカは、中国の「新冷戦」で統一された対中戦略があるわけではない
  • 中国側の「リアクション」を踏まえた戦略的な思考が決定的に欠けている
  • 民主党政権の外交を担ったジョセフ・ナイ氏の対中戦略3つの致命的欠陥とは

米中の「新冷戦」は、マイク・ペンス副大統領(当時)が、2018年10月4日に首都ワシントンDCにあるハドソン研究所というシンクタンクで演説をしたことによって始まったとされている。

この演説で、ペンスは「中国がアメリカに影響工作をさまざまなレベルで行っている」として、トランプ政権は「米国の利益と雇用、安全保障を守るために断固として行動する」と、かなり強い口調で中国に対抗していく強い意志を示した。

Aquir /iStock

アメリカに存在しない「対中コンセンサス」

ところがこの「ペンス演説」から数年たった現在も、アメリカでは冷戦時代のソ連に対する「封じ込め」のような、何か「統一された対中戦略」のようなものがあるとは言えない状況だ。

「習近平をはじめとする幹部たちの資産を狙え」と論じた匿名論者による提言書のように注目を浴びたものもあるが、いずれにせよアメリカ政府の総意として中国にこのように対抗していこうというコンセンサスを一つの戦略としてまとめたものは存在しない。

もちろんこれはアメリカのように様々な利害関係が国内に存在し、さらには世界には中国との貿易の取引額が自分たちよりも大きい国が多いことにより(参考:「Watch China Overtake The US As The World’s Major Trading Partner」)、アメリカとしては「中国との貿易を遮断せよ」と同盟国たちに迫るのは難しいという理由もある。

ただし私がそれ以上に問題だと思うのは、肝心のアメリカのエリートたちに、中国側の「リアクション」を踏まえた戦略的な思考が決定的に欠けている点だ。

これらを踏まえて、『ラストエンペラー習近平』(文春新書)にも出てくる戦略家エドワード・ルトワックの革命的な考え方「パラドキシカル・ロジック」を参照にしながら、アメリカ(と日本)の識者に欠けている戦略思考の欠如を論じていきたい。

ジョセフ・ナイの対中戦略は正しいか

今回紹介するのは、ジョセフ・ナイというハーバード大学の教授の戦略論だ。

ナイといえば、日本では国家が持つ力として、軍事力や経済力だけではない、文化的な魅力をベースにした「ソフト・パワー」という概念を提唱したことで知られる(『ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力』・日本経済新聞社)。

ジョセフ・ナイ博士(Chatham House /flickr CC BY 2.0)

学者としては「国同士が経済的に互いに依存すれば戦争は起こらない」とするリベラル派の議論を提唱し、実務家としては主にアメリカの民主党政権を中心に長年にわたって対日政策を含んだ東アジアの安全保障政策に関与してきた人物でもあり、クリントン政権では国防次官補として政府高官も務めている。

すでに84歳(1937年生まれ)という高齢ながらも、いまだに定期的に意見記事などを精力的に執筆しており、2021年8月にも「アメリカがとるべき対中戦略」を発表している。

その内容を要約すれば、以下のようになる。

  • 中国は世界第2位の経済大国であり、2030年代、そのGDPは米国を超える可能性がある。
  • 仮にそうなったとしても、中国の一人当たりの所得は米国の4分の1以下にとどまり、経済的、人口的、政治的にも多くの問題を抱えたままだ。
  •  米国、日本、欧州は、まだ世界経済の最大の部分を占めているため、この同盟国間で政策を調整すれば、中国の行動を管理できる。
  • 中国との大国間競争の最大の目標は、生存をかけた戦いにおける完全勝利ではなく、「管理された戦略的競争」に設定すべきだ。
  •  そのためには、アメリカや同盟国は中国を「悪者」とするのではなく、中国との関係を「協力的なライバル関係」と捉え、双方に同時に注意を払う必要がある。

これをまとめていえば、中国が経済的に世界ナンバーワンになっても多くの問題を抱えているし、日米欧でまとまればなんとかなる。中国を無駄に刺激することなく、競争関係を管理すれば共存していける、ということだ。

実に楽観的であり、アメリカの外交エリートにありがちな、誰もが納得できるもっともらしい提言だ。ただしルトワックが説く「パラドキシカル・ロジック」という戦略関係における相互作用というレンズから見ると、このジョセフ・ナイの対中戦略の提言には、以下の3つの点で致命的な欠陥があることがわかる。

第1の欠陥:考慮されない「中国側のリアクション」

「パラドキシカル・ロジック」が教えているのは、あらゆる戦略的な関係には実にシンプルな現実として、まず「自分」がいて、それに「敵対する相手」が存在するということだ。そしてこの「相手」という存在は、アクションをしかける自分たちに対して、必ずリアクションをとる。

これを踏まえて考えると、このナイの対中戦略の、第一の、そして最大の欠陥は、「中国側のリアクション」を考えていないという事実だ。

たとえばナイは「米国、日本、欧州という民主的な同盟国間で政策を調整すれば中国の行動を管理できる」としているが、果たしてそのようなことが本当に可能なのか。

歴史を振り返ってみると、アメリカのクリントン政権と、その後を継いだブッシュ政権が、2001年に中国を世界貿易機関(WTO)に加盟させた時のレトリックは「中国が経済成長して国際貿易体制に組み込めば、いずれは民主化して国際的なルールを守るようになる」というものであった。

ところが歴史を見ればわかるように、実際はその行動がアメリカや欧州が望んだようにはなっておらず、中国は経済成長しても民主化や、西側の考えるような「公平な自由貿易体制」の維持には向かわなかったのである。

つまりナイは元実務家でありながら、肝心の戦略論では中国側が日米欧に対してどういうリアクションをとってくるのかという想定がまったくなく、ただ楽観的に「管理できる」と提案するだけなのだ。(#2へ続く

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地政学・戦略学者/多摩大学客員教授

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