保守もリベラルも日本の安全保障論はもう古い!

「抑止力」信仰の呪縛
安全保障アナリスト/慶應義塾大学SFC研究所上席所員
  • 日本の防衛論議は、最新鋭の軍備をそろえるなどの「抑止力」に偏重
  • 一方で、有事法制やまともな弾薬の備蓄といった「対処力」が脆弱に
  • 1976年以降、「見た目」の抑止力に偏った歴史的経緯を分析。

実のところ、日本の保守系もリベラル系の安全保障論には意外な(それも世界でも特異な)共通点がある。それは憲法論議への拘りもそうではあるが、抑止力、言い換えれば戦争の発生を合理的にコントロールできるとの信仰にも似た思いがある。

例えば保守系は同盟や防衛力整備によって、相手国の開戦企図をくじけるという前提で議論し、一方でリベラル系は対話や信頼醸成によって、戦争の争点を事前に消去することで回避できるとする。特に最近の後者は「対話や憲法9条こそが最大の抑止力」とする言説も目立つ。

平成30年陸自観閲式(官邸HP)

つまり、日本の保守系もリベラル系も抑止力という概念を共有し、少なくとも戦争が合理的に回避できる、もしくはその可能性が高いと(手段の違いはあっても)信じているのである。

しかし、その結果、日本における安全保障における議論は、実際の「対処(defense)」よりも「抑止力」に偏重していることになってしまっている。本稿では、その問題点について述べたい。

「抑止力」に偏重、日本の防衛力整備の議論

政策研究大学院大学副学長の道下徳成は、かつて日本の防衛力の機能としては、「抑止」「強制への対抗(counter-coercion)」「対処」があると指摘した(参照:戦略思想としての「基盤的防衛力構想」)。

抑止とは相手の侵略行為を戦わずして断念させるもので、防衛力によって侵略に対するコストを高めたり、その侵略の実現可能性を低下させたりすることによって実現するものである。

具体的には、離島防衛能力を日米で連携して高めることで、中国の離島に対する侵攻が無益に終わると中国に確信させること、もしくはミサイル防衛によって北朝鮮の弾道ミサイルが叩き落されると北朝鮮に確信させることで、北朝鮮にミサイル発射を断念させることを指す。

「強制への対抗」とは、一言で言えば脅迫の無効化である。国家は、いわゆる強制外交において、軍事力による威嚇によって相手国に政策を強要することがしばしばある。その際に、威嚇に屈しないために、政治指導者や国民が動揺しない為に防衛力が「強制への対抗」である。

具体的には北朝鮮の弾道ミサイルによる威嚇に対し、日本のミサイル防衛能力が存在することで、それを無効化し、政治指導者や国民世論の動揺を防ぐという機能が該当する。

ややも乱暴ではあるが、日本の防衛力構想とは、自衛隊創設直後は対処中心であり、それが1976年の基盤的防衛力構想によって抑止力の発想が導入され、冷戦後には「強制への対抗」が盛り込まれてきたと総括できる。

こうした2000年代までの防衛力構想の発展は先人の英知の結集であり、ベストを尽くした結果であったことは間違いがないが、その一方で失われてきたのが「対処力」をいかにして実現するかの観点である。

自衛隊・防衛省サイトより

1976年以降、抑止力を中心に行われてきた防衛力整備

この萌芽は抑止力の概念が本格的に導入された1976年の基盤的防衛力構想にある。

道下の優れた総括によれば、基盤的防衛力構想は「「限定的かつ小規模な侵略」に対しては日本が拒否的抑止力を行使し、それ以上の侵略に対しては一般的抑止とバランス・オブ・パワーの安定作用に依存しながら、それらの信頼性が低下した場合には自国の軍備増強による拒否的抑止力を強化することによって対応しようとしている」という、抑止力の概念を前面に押し出した初の防衛構想であった。

この基盤的防衛力構想の立役者が防衛官僚の久保卓也であったが、その基盤的防衛力構想に真っ向から反論したのが、久保以前の防衛力構想に深くかかわり、『防衛庁の天皇』とまでよばれた海原治である。

海原は久保との対談において「(抑止力を前提とする基盤的防衛力は)反対というよりもわからない」「防衛力というのは、いざという時に敵を倒す武力であると思う」「戦時、外敵が攻めてきたときに必要な力なんです」と批判しているが、まさに対処力としての防衛力の機能を重視し、抑止力としての防衛力に否定的なことがよくわかる。

つまり、海原からすれば抑止力とは対処力を削ることで成立するものと見ていたのである。勿論、抑止力と対処力は完全に別個のものではない。対処力を基盤とするのが抑止力だからである。しかしながら、抑止と対処のどちらかを重視するかによって防衛力整備が変わってくるのも事実である。

このように冷戦時の日本の防衛力整備は、対処のみの重視から、限定的かつ小規模な侵略は対処し、それ以上の侵略は抑止力を重視するという転換が行われていったのである。

このため、冷戦末期の自衛隊は世界3位の防衛予算に当時最新鋭のF-15戦闘機、P-3哨戒機を大量に保有し、イージス艦導入が決定するという見た目の抑止力は高いが、有事法制も交戦規則もまともな弾薬の備蓄も抗たん性もないという対処力は脆弱だったのである。まさに「存在することに意味がある自衛隊」だったのである。

こうした状態が冷戦時までの安全保障環境の激変により「転換」が迫られてくる。

(敬称略、あす5月1日に続く

 
安全保障アナリスト/慶應義塾大学SFC研究所上席所員

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