「抑止力」偏重のままでは中国との戦争に敗北しかねない

続・保守もリベラルも日本の安全保障論はもう古い!
2021年05月01日 06:00
安全保障アナリスト/慶應義塾大学SFC研究所上席所員
  • 人智を超えて戦争は発生する。「抑止力」政策だけでは不十分
  • 抑止力偏重の予算編成でドローンなど必要な対処力整備が遅れ
  • ハイブリッド戦など現代戦は対処力がより重要になっている

(編集部より)きのう掲載した(上)で、部谷直亮さんは、日本の防衛論議は、保守系もリベラル系も、自衛隊の存在や憲法9条といった「抑止力」に偏り、いざという時の「対処力」への論議が失われたと指摘。歴史的な経緯を振り返りました。(下)では、冷戦以後の安全保障環境の変化を受けてどう軌道修正すべきかに続きます。

各国で開発導入が進む兵器ドローン。「対処力」強化の事例(koto_feja/iStock)

イージス・アショア導入の破綻が典型

冷戦が崩壊すると、新ガイドラインや有事法制、そして最近の平和安全法制やミサイル防衛能力整備などの様々な施策によって、対処力の強化が相応に図られた。しかし、一方で、2010年代以降に起きたのは、当初は少数の北朝鮮の核ミサイルを撃墜することが目的であったミサイル防衛が北朝鮮の核ミサイル戦力の強化に伴い、肥大化していったことである。

そして、その際のミサイル防衛能力を保証するためのロジックも直接的な対処よりも、間接的な「北朝鮮の脅迫を無効化するため」という強制への対抗、そして「有事に撃墜できる能力を示すことで、ミサイル攻撃を断念させる」という抑止が重視されるようになっていった。

特に2000年代以降、抑止力の概念が一般にも普及したことで、防衛力整備の説明がほとんど軍事力の間接的な機能で説明されるようになってしまった。(安全保障に対する理解は限りなく素朴な一般人であり、当時の一般市民の絶大な支持を受けて誕生した鳩山首相の「学べば学ぶにつけ、海兵隊のみならず沖縄の米軍が連携して抑止力を維持していると分かった」との発言はその典型だろう)

これによってミサイル防衛能力が通常戦力の予算を圧迫する構造が出来上がってしまった。イージスアショアの導入決定と膨らみ続けた挙句の破綻はその典型である。確かに表向きの断念の理由は「ブースター問題」ではあるものの、導入に向けて膨らみ続けた予算、特に費用対効果が問題視されていたことも事実である。

「いずも」がドローンに負ける日

イージス・アショアは確かに単体でみれば優秀な兵器であり、必要だろう。しかし全体から見れば、既に抑止力を謳って導入されたミサイル防衛戦力が通常兵器の維持整備を圧迫している中、それをさらに圧迫し、ただでさえ少ない研究開発費を粉砕するであろうことは間違いない。

護衛艦「いずも」(海自サイトより)

抑止力を謳われた装備は、いずもの空母化だが、これも見せかけの抑止力は高めるであろうが、それに艦載機や教育訓練費を含めて費やされる高額なコストは、本来導入されるべきドローンなどへの予算を喰い、その他の戦力に振り向けられるべき予算(特に維持整備関連)も消費することで対処力を削ぐ

そもそもF-35を10数機程度しか積載できず、出撃できる数はさらに減少する「いずも」の対処力がどれほどのものか疑問だ。雲霞の如く襲来する中国軍の攻撃機や武装ドローンの前に抗しえないのは想像するまでもない。

しかしながら、現在の防衛論議において、海原が指摘したところの「戦時、外敵が攻めてきたときに必要な力」という視点から問題視する議論は少ない。保守系も革新系も「平時、外敵が攻めてこないようにする力」の観点から現在の防衛力整備を肯定なり批判しているのである。

多くの戦争は抑止力を無視し勃発

しかし、いくら平時としての防衛力を重視したといっても抑止力には限界がある。というのも歴史家が指摘するように、抑止力を無視して多くの戦争が起きたのである。

例えば太平洋戦争にしても、当時の日本の軍事指導者は米国の対日抑止力を正しく認識していた。最終的に米国に城下の盟を誓わせることは出来ず、むしろ山本五十六は「初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ」と近衛首相に回答したように敗北を覚悟していた。

海軍軍令部総長だった永野修身も統帥部を代表して御前会議で「戦わざれば亡国、戦うもまた亡国」と勝利の可能性がない、つまり米国の抑止力をよくわかっていた

開戦時の首相であった東條英機も陸相時代に「人間一度は清水の舞台から飛び降りることも必要だ」という発言をしていたが、これも裏返せば抑止力を認識していたのである。

日本の陸海軍首脳は米国の対日抑止力を認識しながら、国内事情により見なかったことにして開戦に及んだのである。

また第1次世界大戦が典型であるが、多くの戦争が誤認や思わぬ齟齬から発生しているのも歴史が証明している。

つまり抑止力は有効ではあるが、それほど万能ではないのである。戦争とは日本の保守系や革新系が考えるほど、人智でコントロールできるものではなく、発生するときは発生してしまう社会現象なのである。

近年、偵察用などでようやく導入が始まったドローン(陸自第8普通科連隊HP

ドローン作戦は「対処」の重要例

おりしも、現在の作戦環境は、ドローンを中心とする政治的にも経済的にも安価な無人兵器の実装やサイバー攻撃の発達によって、抑止力を構成する要素が多様化し、その計算が難しくなっている。

武力紛争に至らないように軍事力を活用するハイブリッド戦争というやり方も盛んになっている。軍事力の使用が今までよりも盛んになる時代が来たのである。これは最近の尖閣諸島周辺における動きからも明らかだ。

つまり今は再び『対処』が重要になってきたのである。

その意味で抑止力に偏重した日本の安全保障議論を、対処も含めたものに引き戻す必要があるのである。抑止力の重要性を否定しているのではない。戦争の発生を前提とした、対処の議論も正面から行い、防衛力整備のバランスを取り戻すべきだといっているのである。

抑止力を中心にした防衛力が、有事に脆いのであっては意味がない。社会現象としての戦争の発生を無視し、平時における防衛力の役割を重視しようが、戦争は人類を逃さないのである。

不幸にして戦争が発生したとしても、それを最小限に抑えて終戦に持っていくための対処に何が必要か、どうあるべきかの議論を行うべき時が来たのである。

 

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安全保障アナリスト/慶應義塾大学SFC研究所上席所員

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