東京で「世界を変えた」両腕両脚のないイタリアの女性剣士

ベアトリーチェ・ビオ選手、情熱のパラ連覇
ジャーナリスト、大和大学社会学部教授
  • 欧州随一の人気、ベアトリーチェ・ビオ選手が東京パラでフルーレ個人連覇
  • 大会前に「両腕両脚を失っても、夢を成し遂げることが可能と証明する」
  • 障害者フェンシングで腕がないのは異例。自他ともに認める情熱で快挙

インスタグラムのフォロワー数はMLBの大谷翔平に匹敵する110万人、祖国イタリアだけでなく欧州で熱狂的なファンがいる車いすフェンシングアスリート、ベアトリーチェ・ビオ選手(24)が東京パラリンピックの舞台に登場した。

固定された車いすに座り、利き腕の左腕に義手をつけて闘う女性剣士の愛称は「ベベ」。障がい児を支える慈善事業を行うかたわらで、ファッションショーに登場したり、女性誌の表紙を飾ったりする東京大会の顔は、24日の開会式でイタリア選手団の旗手を務めた。28日、女子フルーレ個人戦でも順調に勝ち進み、決勝戦ではライバルの中国の選手を下し、パラリンピック連覇を果たした。

「両腕両脚を失っても成し遂げる」

開幕前にパラリンピックの注目選手を一堂に会して行われた記者会見。フルーレ個人戦で前回リオ大会チャンピンとして出席したベベは「たとえ両腕両脚を失っても、自分の夢を成し遂げることが可能であることを証明する。私にとっては重要なことです」ときっぱりと語った。

何よりもフェンシングが大好き。「障がいはクール、違っているものは全部かっこいい」と言ってきたベベはコロナ禍での1年延期を乗り越え、猛練習を重ねて東京にやってきた。24日の開会式で式典に臨む前、選手村でほかのイタリアチームのパラリンピアンとともに記念撮影。中央に陣取り、舌を出してポーズを決めた。夜の開会式には旗手として登場し、インスタグラムに「世界を変えることを証明できる時がやってきた」とメッセージを送った。

1997年、ベネチア生まれ。スポーツ一家で育った3人きょうだいの末っ子は5歳でフェンシングを始めた。しかし、11歳の時に重い髄膜炎にかかる。生存率5%未満とも診断される中で、生きるために両腕両脚の切断手術を受けた。

しかし、障がい者となった少女は打ちひしがれることはせず、持ち前の明るさと強さをばねにして、不死鳥のごとくよみがえった。フェンシングへの復帰はできない――。周囲の心配をよそに、「やってみたい」「不可能なんて信じない」と家族に言い切った。リハビリを懸命に頑張り、手術から数か月後には剣を握ったというエピソードが残る。

(インスタグラムのフォロワーは111万人を誇る大人気:https://www.instagram.com/bebe_vio/)

 

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伝説になったリオの咆哮

ピストという台に固定された車いすに座って闘うフェンシング。彼女はその魅力について「決して後ろに逃げることができない。前に出て攻撃するしかない。だからおもしろい」と語ったことがある。

笑顔で前を進むベベの挑戦を家族や友人たちが支えた。一流アスリートとしての階段を上がり、2012年ロンドンパラリンピックの後に代表入り。16年リオ大会まで国際大会10連勝の大記録を成し遂げ、リオ大会でも圧倒的な強さでフルーレ個人戦を制した。

真骨頂は団体戦だった。3位決定戦の最終剣士として登場したベベは香港の選手を相手に最後のポイントを決めると、全身をふるわせて勝利の喜びを表現した、

大地から熱いマグマが噴き出るように、フルオーケストラが一斉に音を奏でるような大音量で、猛々しい雄たけびを上げた。車いすをガタガタと震わせ、勢いよくマスクを投げ捨てた。ショートカットの顔を紅潮させて、くしゃくしゃにした顔に熱い涙が伝う。会場全体に響き渡った彼女の咆哮は「私はここにいる、私は今、生きている」と訴えているようだった。

母親「べべは爆発的で止まらない」

リオ大会でのベベのカンタータはパラリンピック史上に残る名場面となった。国際パラリンピック委員会(IPC)は公式サイトで、ベベについて「多くの人たちの心を虜にする彼女の情熱は、障がいを持った若者を鼓舞する」と評している。

WOWOWで作られた特別番組で、母親のテレサさんは娘のことをこう語っている。

「ベベは爆発的で止まらない性格なんです。満足しないし、いつも新しい経験に飢えている。時間を無駄にするのが嫌で、常に挑戦する場を求めている」

世界広しといえども、障がい者フェンシングで腕のない剣士はベベしかいない。特注の義手と剣を腕にはめて、鋭い突きを繰り返す。28日に行われた個人戦では午前中の予選3連勝で決勝トーナメントに出場。日本ではテレビ中継がない中で、日本フェンシング協会前会長で08年北京、12年ロンドン両五輪銀メダリストの太田雄貴氏(35)が試合ごとにメッセージと動画像をツイートし、「1人だけ違う競技をしているようだ」「電光石火(の勝利)」「べべ選手決勝へ。戦ったことあるから分かりますが、あの速度で動かれると戦う相手は相当辛いです」と現場の様子を伝えた。

決勝戦の相手はリオ大会と同じ、中国の周景景選手。最後のポイントが入って、パラ連覇が決まると、やはりマスクをとって全身を震わせ、喜びを表現した。その様子を現場から撮影した太田氏は「べべ選手おめでとう!!!プレッシャーを跳ね除けての優勝!!凄い!!」「フェンシング界、スポーツ界の誇りです」と書き込んだ。

ベベは「私の心の中にあるのはチーム団体戦。なぜなら私はチームの仲間が好きだし、みんなが幸せになるのが好きだから。みんなで成果を達成したとき、それは素晴らしいこと」と語る。29日には団体戦を迎える。ベベがまた東京の地でも歓喜のアリアを独唱するとき、世界はまた「この世の中に不可能なんてない」と認識するのだ。

 
ジャーナリスト、大和大学社会学部教授

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