アメリカの大手新聞が社説で「安倍はあまりに早く逝きすぎた」と嘆く理由

日本人が気づいてない「世界からの羨望」とは
地政学・戦略学者/国際地政学研究所上席研究員
  • 安倍元首相を追悼する海外メディアで筆者が一際目を引いた社説とは
  • 「あまりにも早く逝ってしまった」ワシントンポストがそう論じる背景とは
  • 日本人が気づいていない世界からの日本の評価。各国は何にうらやんでいるのか

安倍元首相が奈良で選挙応援中に凶弾に倒れたことは、日本はもとより世界にも大きなショックを与えた。

日本のリーダーを追悼する世界の意見記事の中で、日本にとってひときわ目を引くものがあった。それは「安倍元首相の意思を継いで、日本は改憲をして世界に貢献せよ」と主張した、アメリカの大手新聞であるワシントン・ポスト紙の7月11日付の社説である。

世界で称賛された安倍元首相(写真は亡くなる2日前、撮影:つのだよしお/アフロ)

ワシントン・ポストは社説で何を訴えたか

具体的には以下のように書かれている。

米国や他の民主主義諸国は、民主的な日本の軍事力の正当性を支持すべきである。

確かに、日本の多くの人々は、軍国主義が残したひどい遺産を念頭に置きながら、この考えに反発している。韓国や中国には日本統治時代の苦い思い出がある。また、安倍首相が長く代表を務めてきた日本の保守的なナショナリストの間では、改正への支持が最も強いのは間違いないだろう。

とはいえ、この憲法改正案は、日本が陸・海・空軍を保有しているという、すでに現実となっていることを合法化するだけのものである。戦争放棄を廃止するわけではないが、集団安全保障への日本の協力を容易にし、場合によっては台湾の防衛も含まれることになる。

21世紀の日本は国際社会の信頼に足る一員であり、ロシアのウクライナへの侵攻以前と比べて、世界の安全保障への日本の貢献が必要になっている。

安倍首相はあまりにも早く逝ってしまった。日本や世界に与えたインパクトを忘れてはならない。

この意見を読んだあなたが日本の右派であれば、「とうとうアメリカ(しかもリベラル派のメディア)が日本を後押ししている!」と勇気づけられるだろうし、左派であれば「日本の平和憲法をないがしろにする外圧だ!」と憤ることになるかもしれない。

しかし私はこのような意見が出てくるコンテクストというか、その背景を考えたときに、実に大きな不安を感じて冷や汗をかいた、というところが正直なところだ。以下でその理由を説明してみたい。

民主主義国家が軒並み不安定に

このようなワシントン・ポスト紙からの熱いラブコールのような意見が出てくる国際情勢の背景を大きく俯瞰して考えてみると、実に複雑な状況があることがわかる。

たとえば他の民主国家たちの最近の動きを見てみると、フランスのマクロン大統領は、4月に再選を果たして2期目に入ったのも束の間、下院の総選挙の決選投票が6月19日に開催されたが、与党の中道連合は過半数を大幅に下回る議席しか獲得できなかった。

イギリスは、EU離脱を牽引してきたお騒がせキャラのボリス・ジョンソン首相が、7月7日に辞任の意を表明している。コロナ禍で全国がロックダウン中に官邸でどんちゃん騒ぎをしていたいわゆる「パーティー・ゲート」で嘘をついていたことなどが次々とバレて、求心力を失ったためだ。

イタリアのドラギ首相は、与党の連立相手の「五つ星運動」が経済政策に反対を唱えたために7月14日に辞任しており(参照記事)、スペインは6月19日に最大の人口を誇るアンダルシア自治州議会選挙で与党が大敗、サンチェス首相の来年の再選が厳しくなっている。

国内で突き上げられる各国のリーダー(FilippoBacci /iStock)

お隣の韓国も保守派の尹大統領の支持率が、まだ就任2か月目にもかかわらず急落。世論調査では就任時には70%あったものが30%台という低い水準からの、厳しいスタートを切っている。

そしてアメリカであるが、野党共和党の支持者の7割、つまり有権者の約3割が2020年の大統領選が不正選挙であったと信じており、世論の分断状況がますます深刻化している。その中で、高齢のバイデン大統領の支持率は低迷しつつあり、今年の11月の中間選挙で与党民主党の下院での支配を失う公算が高いと見られている。

もちろん各国が抱える事情はそれぞれ違うが、上述した民主国家について全般的に言えるのは、政府への不満や主要政党への支持の低迷、そして代替的な少数派政党への欲求などの高まりである(参照:ワシントンポスト)。

端的にいえば、世界の民主主義国は不安定になりつつあるのだ。

世界がうらやむ日本の「安定感」

ところが日本はどうか。

首相の座を離れても大きな政治力を持っていた安倍元首相が選挙の応援演説中に暗殺されるというショッキングな事件があっても、その2日後に行われた選挙では与党である自民党が大勝。現職の岸田政権は、3年間は大きな選挙のない安定飛行が確約されたような盤石ぶりだ。

経済の成長率は相変わらず芳しくないが、それでも株価はピーク時からそれほど下げたわけではない。今後はわからないが、それでも猛烈なインフレによって一般国民の生活が貧窮に落とし込まれて不満が溜まっているような状況には至っていない。

何よりも国防費はロシアのウクライナ侵略や台湾有事の可能性に備える意味で、これまでの1%前後という水準から、いきなりその倍の2%にまで増額することを目指す、としている。

しかも今回の大勝で与党連合が議会の3分の2議席を占めたことにより、世界で最も(改正されていないという意味で)古くなった憲法をいよいよ修正できるチャンスが到来しつつあるのだ。

自民党の開票センターで笑顔を見せる岸田首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

もちろん比較上の問題といえばそれまでだが、それでも日本は世界の民主国家たちがうらやむほど安定(もしくは停滞)した状態にあると言える。

冒頭のワシントン・ポスト紙の社説のような意見は、そのような背景だからこそ出てくるのだ。

責任を果たす準備ができているか

ところが肝心の日本政府や国民は、ここまで期待されているという自覚はないまま、東アジアの安全保障環境の荒波に直面しているような状況だ。

やや大げさにいえば、凶弾に倒れた安倍元首相の提唱した「自由で開かれたインド太平洋」というビジョンを出した国として、日本は「世界の安全保障」だけでなく、民主主義国家の持つ価値観を守るという重い責任の一端を背負うよう、いよいよ期待されているということだ。

これについて、戦前から戦中に活躍した地理学者であり、戦後の「封じ込め」や国際関係の理論にも大きな影響を与えたニコラス・スパイクマンというオランダ出身のアメリカの学者が、没後に発表した拙訳『平和の地政学』(芙蓉書房出版)で、以下のような印象的な言葉を残している。

実際のところ、軍事力に基盤をもたない政治的理想とビジョンというものが生き残る価値はほとんどないように見える。

確実に言えるのは、我々の西洋の民主制度は、自分たちの力、もしくは同盟国などの助けによって、パワーが効率よく使われてきたおかげで今まで維持・存続されてきたということだ。

つまり軍事力という基盤があったおかげで、これまで西洋の民主主義とその価値は存続できてきたということだ。そして、日本はいつの間にかアメリカのリベラル派のメディアから「早く憲法を改正して軍事力によってその価値を守れ」と言われるまでになった。

肝心の日本にその備えができているのか、そしてその責務の重さに日本人自身が気づいているのかどうか。冷や汗をかかずにはいられない。

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