20年前に殺害された国会議員の資料にネット注目。鳩山氏が「入手」

「元秘書」明石市長も追悼投稿
石井紘基氏(旧民主党アーカイブサイト)

2002年10月、民主党の石井紘基衆院議員(当時)が殺害されてから20年が近づくのを機に、この週末、ネットで注目を集める動きが相次いだ。

元秘書の泉房穂・兵庫県明石市長がツイッターに追悼コメントを連投すれば、その夜には当時の民主党代表だった鳩山由紀夫氏が石井氏の遺した、63箱もの段ボールに収められた大量の資料を入手したことを明らかにした。

事件が起きたのは2002年10月25日。石井氏は東京・世田谷区の自宅近くで右翼団体を標榜する暴力団関係者の男に左胸を刺されて死亡した。石井氏は生前、「国会の爆弾発言男」の異名を取り、税金の無駄遣いや政治家・官僚の不正を鋭く追及することで知られていた。

事件の数日後に国会質問を控えていた中、石井氏が所持していた書類入りの鞄が行方不明となり、現在も見つかっていないとされる。事件は、過去に数回、民放局のドキュメンタリー番組で取り上げられているが、石井氏の遺体を検死したところ、左中指が切られた形跡があり、行方不明の鞄を持っていた可能性を指摘する見方も報じられた。

それから20年近い歳月が流れた矢先、石井氏の初代秘書だったという泉市長は30日午前、石井氏のドキュメンタリー番組の動画に感想を寄せるネット民を引用リツイートする形で、「石井さんの遺志を継ぐべく、国会議員となった(40歳)。 あれから、もうすぐ20年。 あと2年で、石井さんの歳になる」などと投稿。

午後にもツイートし、「真相を究明すべく、残された膨大な資料を見返したが、 事件の背景を突き止めるには至らなかった」「被告人が真実を語ることはなく、 真相はいまだ闇のままだ」などと無念の思いを滲ませ、夜には「『石井紘基さん』を刺し殺した男は、 無期懲役が確定するまでは単独犯と言い張ったが、 数年後「殺害を頼まれた」と告白している。 当日持ち去られたカバンの中の極秘資料は、 いまだ見つかっていない。 政治の闇は深い」と訴えた。

泉市長は昨年末にも「恩師、石井紘基さんが亡くなって、あと10か月で、20年になる。 不正を追及する国会質問の朝、自宅前で殺された。 私は最初の秘書であり、その遺志を継ぐ一人のつもりだ。 歳を重ねても、身を挺してまで闘い続けられるだろうか」と思いを語っていた。泉氏はこの時期、ツイッターを開始したばかりだったが、たちまち10万フォロワーを集めるなど、高い発信力を誇る。

泉氏の投稿で再注目されたドキュメンタリー番組の動画がSNSで拡散しつつあった矢先、深夜になると鳩山氏が「今年は同志であった正義漢の石井紘基衆議院議員が暗殺されて20年。彼は政官業の闇を暴こうとして何者かに刺殺された。彼が残した資料63箱を立憲から遅まきながら手に入れたので、これから首藤信彦君と共に彼の遺志を継ぎ、闇の解明に当ろうと思う」と明らかにした。

鳩山氏の側近、元衆院議員の首藤氏も鳩山氏の投稿から間もなく、「何の因縁か、彼が残した資料が発見されました。解明に努力します」とツイートした。

ただ、泉氏は前出のツイートで「真相を究明すべく、残された膨大な資料を見返したが、 事件の背景を突き止めるには至らなかった」とも述べている。泉氏が述べている膨大な資料は鳩山氏らが今回入手したものと同一とみられるが、鳩山氏が唐突に調査を始めた理由は不明。新事実が「発見」されるのか注目される。

 

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