“途上国レベル”の臨時国会に求める「1つだけ」の作業

政策の成果知る定量データがない異常
国際政治アナリスト、早稲田大学公共政策研究所招聘研究員
  • 渡瀬氏が臨時国会で政府や議員に「最低限やってほしい」たった1つの作業とは?
  • 諸外国では当たり前なのに日本政府が近年やめてしまった規制の数のカウント
  • なぜ辞めてしまったのか、それがどれほど異常なことか問題点を解説

臨時国会が3日、開会した。常に選挙を意識している国会議員がワイドショー化した政治を好むことは仕方がないが、本国会で政府及び国会議員に「最低限やってほしいたった1つの作業」を提起したい。

それは「日本における規制の個数を把握する」という極めて初歩的な作業だ。

PhotoAC

諸外国では当たり前のこと

規制は税金に匹敵するだけの重要な要素として諸外国では扱われている。日本政府が設定する規制は、国民の経済活動や社会活動を制限するものだからだ。

安倍政権や岸田政権の頃は規制改革が政治の議論に上がることもあったが、岸田政権ではほぼ議論の俎上にも上がらなくなった。しかし、だからといって、個々の規制に関する議論だけでなく、規制政策全体のマクロの在り方について何も議論しなくて良いのだろうか。

そこで、常識的な政策議論をやり直すにあたって、その第一歩として、「日本に規制が何個あるのか?」という基礎的な作業を行うことから始めてほしい。

筆者は規制の在り方を見直す規制改革は重要な政策だと思っているが、日本の政治はそのような難しいことを要求できる水準にない。なぜなら、日本の現状はどのような規制が何個あるのかも分からない有様だからだ。

日本政府は昭和60年(1985年)閣議決定で総務庁が各省庁として協力して「許認可等の統一的把握」という書類を毎年作成してきた(途中から総務省行政評価局がその作業を引き継いだ)。これは日本政府が所管する規制数と内容を把握するという基礎資料となってきた。

同資料は日本政府の実態をするためには極めて有用なものだった。

たとえば、俗説では小泉竹中時代に新自由主義改革によって規制が減少したと言われているが、同資料を見れば実際にはほぼ一貫して規制が増加し続けてきたことが分かる。2002年3月には10,621本しかなかった規制は、2017年4月には15,745本、つまり1.5倍にまで数量が増加している。(同時に強力な規制も増加している。)

なぜ規制のカウント放棄したのか

規制は甘い汁を吐き出す巨大な利権だ。この規制の数だけ天下りが存在していると言っても過言ではないだろう。

そして、日本国民は規制に伴う膨大な無駄な作業を強いられてきた。これで大幅な経済成長などできるはずもないし、画期的なイノベーションも起きることもない。象徴的な事例としては、途上国ですら広く利用されているライドシェアサービスすら日本に運送業法の規制などによって存在していない。

ところが、日本政府を「規制の個数を数える」という基礎的な作業すら放棄してしまった。

理由は2018年にデジタル・ガバメント実行計画(抄)の閣議決定にある。

同計画では、行政手続等の棚卸の継続・改善の項目の中で次のように述べている。

2017 年度(平成29年度)に実施した行政手続等の棚卸は、事実を細かな粒度まで把握するための重要なツールである。内閣官房は、棚卸の結果を年度末までに取りまとめ、オープンデータの形で公開する。また、今後、各府省が行政サービス改革の基盤データとして活用することができるよう、内閣官房は、各府省の協力を得つつ、棚卸データの継続的なメンテナンスを行う。

そして、実際にデジタル庁が今年に公表した「行政手続等の棚卸結果等の概要」によると、行政手続き自体を各省庁に提出させた結果、総数は64,000件を超えることになった。

公表された手続き数が爆発的に増加したことでより詳細に把握されたデータが公表されたように見える。しかし、同内容はあくまで手続きに関する総数であり、政府の権力行為である許認可等にのみ限定した数量ではなくなってしまった。

show999/iStock

たとえば、デジタル庁がまとめた「行政手続の数」には、政府と政府、政府と地方自治体の間でやり取りされる資料送付などが含まれており、政府と民間のやり取りには縦覧なども単なる回覧作業が入っている。デジタル庁は規制自体に興味がなく手続作業の単なるデジタル化に興味があったからだろう。

つまり、総務省がまとめた「規制」(民間を縛る法令)も含まれているだろうが、その個数が全く分からなくなる形で作業の引き継ぎが行われてしまったのだ。

参照:行政手続等の棚卸結果等の概要

政策の成果も数えられない異常

したがって、日本国民が規制の個数や内容を包括的に把握する方法は消滅した。地味に見えるが、日本において重要な統計データが一つ失われた。

「政府が国民を縛る規制の個数と内容が分からない」、それは国民の代表である国会議員の仕事全体の結果を把握する方法がないことを意味する。

現状は学校の通信簿として「クラスで目立ったので頑張りました」と、国会議員から国民に自作の通信簿を渡されるようなものだ。日本の政治の政策の成果を定量的に把握するデータがない異常な状況となっている。

おそらく今回の臨時国会においても我々の代表である国会議員たちは「愚にも付かないワイドショー国会」を継続するのだろう。暗澹たる気持ちになる。せめて国会議員は自分たちが作った「日本における規制の個数を把握する」という極めて簡単な仕事だけでもマトモにやってほしい。

日本の重大問題っぽい問題に対処するフリはもう良いので、国会で議論する前提となる最低限のことからよろしくお願いします。

【編集部よりおしらせ】 渡瀬裕哉さんの新刊『無駄(規制)をやめたらいいことだらけ 令和の大減税と規制緩和』(ワニブックス)、好評発売中です。

※クリックするとアマゾンへ

 
タグ:
国際政治アナリスト、早稲田大学公共政策研究所招聘研究員

関連記事

編集部おすすめ

ランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

人気コメント記事ランキング

  • 週間
  • 月間

過去の記事