マードックって何者?日本の新聞テレビ「25年前の岐路」

極めて閉鎖的なメディアの資本問題
朝日新聞創業家
  • テレ朝を買収したマードック氏の歩みから、日本のメディア界の経営や資本を考察
  • 日本のメディアの資本は閉鎖的。一方で各国のマードックの買収で激変したか?
  • かといって資本と紙面の関係は気にするほどのことか?典型的なある新聞社のケース

ルパート・マードック、この名前を聞いてピンと来る人はもはや日本では少数派なのかも知れません。何しろ「メディア乗っ取り」騒ぎがあってから25年も経っているのですから。

けれども、1996年当時、この人ほど、日本のメディア界全体から、警戒され、嫌悪され、軽蔑された外国人はいませんでした。幸か不幸かその後も登場していません。けれども、前回も書きましたが彼が日本でやったことは、孫正義氏とともに、テレビ朝日の子会社に出資しようとしただけです。議決権比率はわずか10数%。それでも、ブラックバスか黒船のように、右から左まであらゆるメディアから攻撃され、さっさとこの国のメディア企業に見切りをつけて立ち去り、それっきりです。

マードック氏(David Shankbone / flickr Public Domain)

当然と言うべきか、残念ながらと言うべきか、その後の日本の新聞やテレビがたどった道を考えれば、マードック氏の早期完全撤退の判断は正解であったと言えるでしょう。

「欠陥商品」だった新聞社株

これまで書いてきましたように、日本のメディア界、特に新聞業界は資本ということに関しては、極めて閉鎖的です。日刊新聞紙法と言う悪法があり、株主が当社に相応しい人物かどうか、経営陣が判断できるようになっています。定款の内容によっては、社長などの代表権者が、特定の株主から株式を取り上げることが可能なのです。口の悪い連中は、「犬が飼い主を選ぶ国では狂犬病がはやるぞ」などと言っていました。結果的に、今日の朝日脳のパンデミックを予想していたわけです。

日本の新聞人は、資本、特に経営に意見をする資本を忌み嫌っています。資本と経営の分離ということらしいのですが、これが許されるのは、配当ないし値上がり益で資本の側が平均以上に収益できるときだけです。「お金あげるから黙っててね」という議論です。

けれども、20年ほど前、かの有名なA社長時代に、世界の主要紙と朝日新聞の配当性向(もうけの何割を配当に回すか)を比較したところ、海外紙はきれいに比例しているのに、朝日だけは極端に低く海外主要紙の10分の1以下でした。理科系の駆け出し研究者だった私は、このデータを発見して大喜びで、天真爛漫に、上野・村山両家の株主やA社長に見せて解説しました。馬鹿ですねぇ。迫り来る氷山の上にペンギンがいるのを楽しそうに眺めている船長さんみたいです。

その結果、ほんの少しだけ配当が上がり、私は歴代の経営陣から徹底的に嫌悪されるようになりました。なぜこんなことをしたのか。私が金に汚い人間だから…もありますが…当時、新聞社株は上記のように閉鎖的で金融商品としては、かなり本格的な欠陥商品です。にもかかわらず、税制の運用が変わり、各紙の社主家に対する相続税が増税されるようになったからです。

政治的な理由で、政府が新聞を締め上げようとしたわけではなさそうです。何しろ、最初に血祭りに上げられたのは、全盛期のWさん率いるY紙でしたから。というより、税務当局は「そろそろ新聞の公共性も終わりだよね」と言いたかったのかもしれません。

東京・築地の朝日新聞社(mizoula /iStock)

「マードック」で激変したのか?

話をマードック氏に戻します。日本と比べて規制の少ない欧米の新聞の場合、M&A的なことが…(そういえば、「毎日を朝日が買収する」という噂があったとき、「社主家に何か情報はありませんか」と週刊誌記者に聞かれたので、「きっと社名はM&A新聞でしょうね」と答えたら、二度と電話がこなくなりました。馬鹿ですねぇ。)…わりと簡単にできます。

ですから、彼が参加に納めた新聞社は、イギリスの大衆紙サン、世界最古の日刊新聞ロンドンタイムズ、米経済紙の雄ウォール・ストリート・ジャーナル、と片っ端からという感じです。けれども、それぞれの紙の性質がマードック氏によって激変した、という話は聞いたことがありません。

比較的初期に買収した、サンにヌード写真を載せたことがあまりにも有名なので、紙面をのっとる男というイメージがありますが、タイムズで同じ事をしたり(多少熟女系にシフトしそうな気もしますが)、サンに「金融緩和による為替変動に関する倫理的考察」を載せたりはしません。場違いなことはしないのです。読者にサプライズを与えても、違和感は与えない、そんな感じです。

仮に、朝日新聞の過半数の株式をマードック氏が手に入れても、いきなり天声人語で「朝鮮人は靖国の英霊に感謝しろ」とか「まだまだ小さすぎる日本の格差」などとやり出すとは思えません。紙面の論調は購読者層と一体のものですから、下手に手を付けると「角を矯めて牛を殺す」の典型例(氏の母国オーストラリアのアボリジニが、「袋を拡げてコアラを殺す」と言う訳ではありませんが)になってしまいます。

こんな遠大な妄想を語るよりも、資本と紙面の関係については、もっとわかりやすい例があります。毎日新聞です。地方紙も含め国内の大きな新聞社のうち、M銀行(3大メガバンクはみんなM銀行ですから分かりませんね。ヒントは、ATMが当たりのないスロットマシンになったり、ATM手数料のセコい稼ぎが無観客のスタンドに消えたりしなかった銀行)など新聞事業と直接関係ない企業の資本が入っている会社ですが。そんなことを知っている、あるいは意識している読者は皆無でしょう。ましてや、金融機関より・財界よりの論調とはとても言えません。どちらかと言えば、ヘタレだけど良識的(どこと比べてかは言いませんが)な左という立ち位置です。バリバリの金融マンを論説主幹にして…などという、豪快なことは誰も考えていないでしょう。

資本と紙面、案外あまり関係ないのかも知れません。結局、税務当局の考えが正しかったのかと最近思うようになり、なんだか気が抜ける思いです。30代の半ばから、「社主家が持ちこたえられなくなったあと朝日新聞社の資本はどうあるべきか」、結構必死で考えているうちに、研究者(ついにノーベル賞が出たと言って盛り上がっているカワイイ学者が集う地球科学です)として過ごす時間はほとんどなくなってしまいました。たいした才能があったわけではないのですから、文句は言いますまい。角を矯めてもデンデン虫は案外平気なのです。

 

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