「脱・永守商店」なぜ日本電産は世襲をしなかったのか?

後任は元日産・関氏「お眼鏡」に叶った理由
2021年05月10日 06:01
ジャーナリスト
  • 日本電産創業者の永守重信氏がなぜ元日産の関潤氏を後継者に選んだのか
  • 永守氏には2人の息子がいるが、なぜ世襲をしないか。筆者に明快に語る
  • 一代で1兆円企業。今度は10兆円企業へ。関氏が「お眼鏡」に叶った理由

日本の経済界を代表するレジェンド起業家、永守重信氏(日本電産会長兼CEO)の後継がいかに決まったのか。永守氏を取材してきた経済ジャーナリストの井上久男氏がこの間の経緯を振り返りながら、「任せられる後継者」を探してきた永守氏の真意を探ります。

記者会見した永守氏(右)と関氏(写真:東洋経済/アフロ)

「カラオケの上手な人が歌った後に歌う心境ですが、実は内心私もうまいと思っていて私の歌も聞いてくれという感じです」

今年4月22日、モーター大手・日本電産の関潤社長兼COOがこう語った。日本電産は同日、2021年3月期の決算発表と同時に、創業者で会長兼CEOの永守重信氏が6月22日開催予定の株主総会後にCEOの座を関氏に譲ると発表しており、それを受けての関氏の照れ隠しとも自信の表れとも受け止められる発言だった。

一代で1兆円企業に

日本電産と言えば、いまや半導体と並ぶ「産業のコメ」であるモーター分野における世界のリーディング企業である。同社が造る大小のモーターがEV(電気自動車)、ゲーム機、スマートフォン、家電、医療機器などに用いられ、パソコンのハードディスク(HDD)向けでは世界シェア80%を持つ。

21年3月期決算では売上高は前期比5%増の1兆6180億円となり過去最高を記録、営業利益は47%増の1600億円だった。22年3月期には営業利益が過去最高の1800億円になる見通しだ。コロナ禍の中で成長が止まっていない。

5月7日現在の東京証券取引所に上場する株式の時価総額ランキングは13位の7兆4237億円。「自動車関連」で同社の時価総額を上回るのはランキング1位のトヨタ自動車しかなく、ホンダ(6兆864億円)や日産自動車(2兆3547億円)を凌駕している。

日本電産社内に展示された創業期のオフィス(筆者撮影)

日本電産は1973年(昭和48年)、永守氏が仲間3人と自宅の納屋で起業した、いわゆる「ガレージ起業」だが、常に時流を読み、先回りして市場を押さえる経営手法で会社を成長させてきた。

この手法をもう少し解説すると、次に成長すると見込む分野がまだ萌芽状態の頃からターゲットを絞り、耐えながら先行投資を続け、その市場が開花すると、獲物を待ち受けていたかのように、ライバルを凌駕するコスト力、商品力、生産力で瞬時に市場を奪うというものだ。

永守氏と言えば、歯に衣着せぬ発言で豪放磊落な経営者といったイメージがあるが、実は歴史や技術動向、社会の変化をち密に分析し、そこから得られた戦略を素早く実行に移し、成果が出るまであるいは出るように粘り続ける、非常に勉強家で泥臭い経営者でもある。だから成果がついてくるわけだが、それを50年近くやり続けられる経営者を筆者は知らない。

また、難しい話を単純化してユーモアを混ぜながら世間に説明することにも長けている。「伝える力」の高い日本企業の経営者を筆者の独断と偏見で掲げると、この永守氏と、ファーストリテイリング(ユニクロ)の柳井正会長兼社長、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長が「3巨頭」であろう。

後継者探し、世襲より“略奪婚”

そんな「スーパー経営者」でも弱点が一つあった。後継者問題だ。永守氏は現在76歳。息子2人がいるが、日本電産や関連会社には入社させていない。昨年9月に月刊「文藝春秋」の企画で筆者が永守氏をインタビューした際に同族企業にしない理由を尋ねると、こう答えた。

「息子2人に兆円企業を引っ張っていける器があるとは思えない。入社しても『バカ息子』なんて陰口を叩かれるのがオチです。自分の子どもに重い荷物を背負わせることはできないし、息子にやらせてダメだったとしても簡単に切ることはできないですから」

あまりに率直かつ明瞭な返事だったので驚いた。

実はこれまで永守氏は後継者問題への対応で失敗してきた。ヘッドハンティングで社長含みと見られる人材を採ってきた。13年にはカルソニックカンセイ(現マレリ)社長だった呉文精氏、14年にはシャープ社長だった片山幹雄氏、15年にはタイ日産社長だった吉本浩之氏を採用したが、いずれも永守氏の「お眼鏡」にかなわなかった。

関氏(昨年12月、筆者取材時に撮影)

永守氏にとって後継者選びではもう失敗が許されないような状況に追い込まれていた中で19年に口説き落としたのが日産でナンバー3の副COOだった関潤氏だった。

当時の関氏は経営再建担当で、西川廣人氏の後任として日産社長への就任が確実と見られていたが、筆頭株主の仏ルノーや日産社外取締役らによる「内紛」が影響して社長の座を逃した。その隙をつく“略奪婚”のような形で永守氏が関氏を引き抜き、20年4月に社長兼COOに抜擢した。

関氏はエンジンの生産技術出身で英国や米国の工場で勤務し、役員になると商品企画や中国合弁事業トップを務めるなど幅広い経験があり、失礼ながら過去に社長含みで採用した3人とは実力が違う。性格的にも「親分肌」で面倒見がいいことから日産時代も人望が厚かった。

また、日本電産が次の柱と位置付けるEV向けモーターの事業では自動車産業の「土地勘」があった方がいい。同社が掲げる「2030年に10兆円の売上高」の目標達成に向けてはEV向けが成否を握ることは間違いない。そうした点からも日産のナンバー3だった関氏はうってつけだった。

進む権限委譲

こうした経験と人格に加えて、関氏が日本電産に入ってからの仕事ぶりも永守氏の「お眼鏡」にかなったのであろう。4月22日の会見で永守氏は「私の仕事の70%は私がやらなくてもいい仕事で、これまではマイクロマネジメントまでやってきた。優秀な人材も入ってきたので権限を委譲し、私は会社の将来の姿をどうするか、買収した会社の統合プロセス(PMI)、CEOの指導などに注力し、関新CEOには各事業の結果責任を担ってもらう」と説明した。

大きな戦略は永守氏が中心となって関氏と相談しながら進め、各事業はすべて関氏に任せるということだ。今のような事業規模になると、自分一人がすべてを判断しているようでは、これまで信条としてきた意思決定・実行のスピードが速まらないばかりか、事業環境の変化についていけなくなるリスクがあると、永守氏は判断したのであろう。

近いうちに永守氏が関氏に権限を譲るだろうと筆者が感じたのは昨年8月1日付での組織改編の時だった。

(続く。『続「脱・永守商店」レジェンド経営者の“晩節”観を探る』はあす掲載します)

 

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