京王線刺傷、ネットで「無敵の人」巡る考察。社会の功利主義、安楽死是非…

「無敵の人に福祉制度や相談窓口なんて無意味」の声も
ライター
  • 京王線刺傷で「無敵の人」への注目集まる
  • 格差社会が進むなか、「無敵の人を生まない対策が必要」の声も
  • 「安楽死を認めて欲しい」という意見も散見するが…
しずくβ(@siz33)さんがツイートした動画スクリーンショット

京王線車内で17人を負傷させた服部恭太容疑者(24歳)。刃物で乗客の男性(72歳)を刺し、液体をまいて放火した動機は、「死刑になりたくて小田急事件を参考にした」と供述しているという。

凶悪事件の発生に、「無敵の人」への注目が改めて集まった。「無敵の人」はネット発の言葉で、地位や名声、あるいは家族といった社会的に失うものを何も持たず、犯罪を起こすことに何の躊躇もない状態の人を指す。報道によると、服部容疑者は「仕事で失敗して友人関係がうまくいかなかった。今年6月ごろから人を殺そうと思っていた」とも供述しているといい、家族や友人といった存在が抑止力になっていなかった可能性が高い。

「無敵の人を野放しにしすぎ」

ツイッター上では、「無敵の人」への考察が相次いだ。

無敵の人を増やさないようにしてほしい。ベーシックインカムを配って。子育て支援も就労支援も無関係の無敵の人を野放しにしすぎた。

京王線の事件は怖いけど、これから格差社会、自己責任社会になるにつれて、こういう事件は増えていくんだろうな、と思う。「無敵の人」じゃないけど、社会から見放された人がどうなるか、というのを少し考えた方がいいのかもしれない。

選挙の結果がどうでも良くなってしまった。気分が沈んでしまった。こういう事件が起きないようにする為には、こういう無敵の人を生み出さないようにする為には、どうすればいいのか。何主義とか関係なく、人を人とも思わぬ社会を終わらせないと。

服部容疑者の行為は決して許されるものではないが、行為に至るまでの経緯や背景は、明らかにする必要がありそうだ。

「無敵の人」と「安楽死」議論

イラストレーターの小野ほりでい氏は、「自分が生きていて楽しいとかより『この人は社会や他人の役に立っているのか』という外的な価値の話ばかりが中心になる社会であればあるほど潜在的にはその無敵の人が増えると思います」との見解を示した。行き過ぎた功利主義が無敵の人を生む背景にあるというわけだ。

また、行き詰まった状態の人間が暴発する前に、「安楽死」という選択肢を認めて欲しいという意見も散見された。ただ、安楽死を認めるべきか否かは軽々に判断できることではなく、十分な議論が必要と思われる。

いわゆる”無敵の人”を減らす為にも安楽死制度を認めて欲しい。何が理由か知らないけど無敵の人に福祉制度や相談窓口なんてもう無意味だと思うし、安楽死制度があったとしてもやる人はやるだろうけど無敵の人達って生きてるのが辛いんでしょ。それがダメならせめて問答無用で死刑にして欲しい。

安楽死を法律として成立させるしかない。もう本当にそれしか救う道はない
最低限これを認めないとこれからも無駄にヒトは傷付き、無駄に無敵の人は増えていくだろう

筆者(私)の意見としては、安易に安楽死を認めるのではなく、無敵の人を作らない社会、あるいは無敵の人が再起できる社会を目指していくことが、本来のあるべき姿ではないかと思う。

 

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