「日本独自の外交」などに何の価値もない

空虚な概念より国益の確保を
国際政治学者/東京外国語大学大学院教授
  • バイデン政権の対中外交で「米中競争」の構造がより明確に。問われる日本外交
  • 自由で開かれたインド太平洋構想は合理的だが、「独自の外交」はなぜ無意味か?
  • ミャンマー問題での日和見は一例。中期的な外交戦略で国益の確保を

21世紀は、米国と中国の超大国間競争の時代だ。バイデン政権が「米中競争に勝ち抜く」という目標を真剣に語っていることで、「米中競争」が国際政治の全体構造の問題であることが、いっそうはっきりしてきた。

この21世紀の国際政治の構造に、日本外交は対応できているか。答えはYesであり、Noである。安倍政権下で打ち出した「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想は、米中対立の時代に日本が生き残るためのビジョンとして練りこまれたものだ。日本外交史に深く刻まれる重要性を持っている。

y-studio/iStock

他方、菅政権になってからの日本外交は、以前ほどの明晰さがない。外務省主導の玄人外交といえば聞こえはいいが、長期的な視点を欠いた官僚的な調整術が体系性を欠いたまま積み重ねられているだけに見える。

超高齢化社会の日本に、時代を先取りした政策を期待するのは、やはり困難なのか、と感じざるを得ない。新型コロナ対策などだけに見られる現象ではない。外交分野においても、同じだ。

特に警戒すべきは、「日本独自の外交」なる中身が全く空虚であるがゆえに危険極まりない概念が、依然として無責任に振り回されている傾向だ。

「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の意味

日本外交の最大の基盤は、日米同盟である。超大国・米国との間で70年にわたって維持されてきた同盟体制は、一朝一夕に再構築できるようなものではない。21世紀の米中競争の時代を生き抜く際にも、羅針盤としての意味を持つ重要な外交資産だ。

その一方で、日本外交が抱える最大の構造的な弱みは、米国以外の国と制度的な連携を持っていないことだ。安全保障上の同盟関係だけの話ではない。日本は、いかなる形態の地域機構にも属していない現代世界では極めて稀な国の一つだ。

結果として、米国との同盟に依存するのでなければ、「アジア共同体」などの実体がないスローガンを掲げるしかないという隘路に、日本の外交政策は陥りがちであった。

G20に先立って史上初開催された日米印3カ国首脳会談(2019年6月、官邸HP)

「FOIP」は、日米同盟を基軸に据えながら、それを発展させて、広域の国家間の連携のネットーワークを広げていく構想だ。長所を活かしながら、同時に短所を補っていく試みとして、理にかなっている。海洋国家連合としての性格を持つ点で、地政学の理論的視座も基盤にしている。

FOIPは、米中対立の21世紀を生き抜くための立ち位置を確立するために、極めて合理性の高い視座である。

「大国」の地位への未練

ところが日本国内では、「占領者」であった米国の「属国」になってはいけない、といった20世紀の感情論が、まだまだ力を持っている。左翼的な言論人だけの話ではない。たとえば外務省のアジア局を中心とした地域課だ。日本は、危機対応の時点になると、平時に語っていた「自由で開かれたインド太平洋」への方向性から外れた態度をとりがちだ。

関連拙稿:外務省は人権外交の抵抗勢力なのか(アゴラ)

こうしたFOIP抵抗勢力は、「日本独自の外交」といったフワッとした概念を多用して曖昧な外交姿勢を正当化しようとする。しかし「日本独自の外交」至上主義は、日本の外交にとって、極めて危険なものである。

そもそも具体的な内容が全くない。「日本独自の外交」は「日本独自ではない外交」よりも優れていて望ましい、という根拠なき情緒的な印象操作だけを目的にしている。しかし、具体的な国益を伴った目標は、何もない。

本来、日本外交にとって重要なのは、よりよく国益を確保することだ。「独自の外交」であるかどうかなどといったことは、どちらでもいい些末な事柄でしかない。

ところが、それにもかかわらず、「日本独自の外交」それ自体に価値があるかのような言説を大真面目に信奉するのは、単なる情緒論である。あるいは日本が一つの単独プレーヤーであるかのような錯覚にもとづく幻想論である。

ひたすら「米中の間」のような「中間的な立ち位置」をとることだけを目標にするならば、外交は場当たり的対応の羅列でしかなくなる。二つの超大国の意向をふまえながら「第三の道」を選択していくことも世界有数の経済大国であれば可能だ、といった「神話」も、過去には通用した時代もあったかもしれない。

だが21世紀の「米中競争」の時代に、国力を低下させた日本が選択できる「第三の道」などない。自らも競争に参加するか、脱落するか、だ。

日米首脳会談を終えて記者会見する菅首相とバイデン大統領(官邸HP)

自由主義諸国との協調否定は自己否定

たとえば、米国を中心とする自由主義諸国は、韓国なども含めて、一貫してミャンマー軍の蛮行を非難する共同声明を発出し続け、「価値の共同体」の結束を高めている。日本の外務省は、こうした国際協調行動に参加することを、一貫して拒み続けている。これは、「日本独自の外交」幻想が危険なことを示す直近の事例だろう。

「日本独自のパイプ」「北風がいいか太陽がいいか」「国軍に忖度しないとミャンマーは中国寄りになる」といった印象論的な「第三の道」路線の説明は、日本外交を建設的な方向に導いてくれるようなレベルの議論ではない。

関連拙稿:日本政府は理解していない…「国軍に忖度しないとミャンマーが中国寄りになる」は本当か(現代ビジネス)

「米国はミャンマーを知らない」などいった偏見も、端的に誤りだ。自由主義諸国は、より体系的かつ長期的な視点にもとづき、ミャンマーなどの地政学的重要性を持つ国の状況を見て、より望ましい方向に誘導するための努力をしている。ただ日本の外務省が、その同盟国の努力に背を向け、日和見的な態度をとっているだけだ。

関連拙稿:ミャンマー「平和構築」を阻み国際リスクを高める「歪な国家構造」(新潮社フォーサイト)

見込みが外れて焦げ付いている円借款ODAの巨額の契約案件を受注している日本企業を、高度経済成長期の護送船団方式で守るしかない、という考え方に全く意味がない、とは言わない。ミャンマーをめぐり、日本外交は、苦しい袋小路にはまり込んでしまっているのは、認めざるを得ない現実だ。

関連拙稿:日本政府が「ミャンマー軍の市民虐殺」に沈黙を続ける根本的理由(プレジデントオンライン)

しかし過去の特定諸国におけるODA運用モデルの再現を願うだけの外交政策には、限界がある。それを省みず、ただ「日本独自の外交」といった空虚な概念で誤魔化す説明だけを繰り返すのは、危険だ。そんなことでは高い次元で国益を確保していくための外交政策を確立することはできない。

独自外交であるかどうかなどは、どうでもいい。21世紀の国際政治の中で、日本が生き残るには、どのような長期的・体系的な外交戦略が必要か。そこを真剣に考えてほしい。

 
国際政治学者/東京外国語大学大学院教授

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