安倍元首相が主導した日本の大戦略を、国際政治の理論から再評価する

佐々木れな『国際問題:リアルとセオリーの結節点』#5
ジョージタウン大学外交政策学修士課程在学
  • 生前の安倍元首相が主導した、新時代の安全保障の大戦略を理論的に考察
  • 戦後の吉田ドクトリンからの転換。その「目的」「方法」「手段」を解剖
  • FOIPやQUADで結実した安倍外交。海外からの評価は?

この連載の目的は、今世界で起きている国際問題を、国際政治学の理論やフレームワークで説明することである。理論やフレームワークは、今起きている国際問題の複雑な情報を構造化し、論理的に思考する一助となる。第5回は、生前の安倍元首相が主導した、新たな時代の安全保障の大戦略について取り上げる。

2019年6月、大阪G20サミットで演説する首相時代の安倍氏(官邸サイト)

大戦略とは

大戦略(グランドストラテジー)とは、国家安全保障上の利益を特定し、それを守り抜くことである。

大戦略は、その“目的(ends)”、“方法(ways)”、“手段(means)”の3つの要素で定義される。

目的

目的とは、守るべき国家安全保障上の利益のことである。利益は、死活的利益・重要利益・周辺利益の3つに区分される。

死活的利益とは国家の命運がかかった利益で、一般的には自国の安全、国内外の自国民の安全、経済的繁栄、国民生活の維持の4つを指す。重要利益は長期的国家の趨勢に影響を与える利益のことで、一般にグローバル・コモンズへの自由なアクセス、地域の安定化、同盟関係の維持、国家の価値の促進などである。周辺利益は確保が望ましいが国家の命運には影響を与えない利益で、平和維持軍の派遣、貿易赤字の削減などが挙げられる。

方法

方法とは、上記の目的を達成するために、どのような行動を採るかを指す。具体的には、孤立主義、戦略的自制、選択的関与、多国間制度主義、協調的安全保障、バランシング、覇権、封じ込めがある。

手段

手段は、方法の実行を支える国家のツールであり、軍事、情報、外交、金融、インテリジェンス、経済、法律、開発など多岐にわたる。

安倍元首相による新たな大戦略

日本の戦後の大戦略は、吉田茂が提唱した「軽武装・経済重視・日米安保中心主義」(吉田ドクトリン)を基調としていた。そのため、2012年から2020年にかけての安倍元首相による日本の大戦略の転換は、吉田ドクトリンの終焉と日本の大戦略の新時代の幕開けを告げるものであった。以下、その中身を解剖する。

目的:中国の地域覇権確立の阻止

2012年に政権を奪取した安倍元首相にとって、習近平の指導の下、地域覇権の確立を狙う中国にどう対応するかが、国家安全保障上の喫緊の課題であった。

安倍元首相は、中国がインド太平洋で地域覇権を確立することは、日本が現在享受している地位及び利益(特に経済的利益)の観点から脅威であると認識し、中国に対してより有利な力のバランスを回復することが死活的な利益であると位置づけた。

方法:地球儀を俯瞰する外交を通じたバランシング

この死活的な利益を守るために、安倍政権は中国を念頭に置いた、「地球儀を俯瞰する外交」に基づくバランシング戦略を着実に実行してきた。

安倍元首相は、米国との強固な関係を築くだけでなく、オーストラリア、インドとの関係強化を中心に据えつつ、東南アジア、ヨーロッパ、中東諸国と幅広く関係を強化することで、中国の圧力をはねのけることに注力した。

また、単に中国との対立を煽るのではなく、必要に応じて対話にも建設的な応じる長期的に持続可能な戦略的競争の枠組を構築してきた。

手段:すべての側面で中国の野心に対抗

安倍元首相の外交政策は、「積極的平和主義」の考えの下、国際社会と協調しつつ、軍事・外交・経済・法律などの多岐にわたる側面での競争を通じて、中国の地域覇権の野心に対抗するものであった。その中でも、自国に望ましい外的な環境を主体的に形成し、地域的・世界的なルール作りや規範作りをリードすることを重視した。

米トランプ大統領、インド・モディ首相と握手する安倍首相(19年6月、官邸サイト)

そのような政策の最たる例が、外交の強化、軍事能力の向上、この地域へのインフラ投資を通じた「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」戦略だ。FOIPは、インド太平洋戦略が定まっていなかったトランプ政権とバイデン政権に見事に取り入れられ、日本が望んでいたインド太平洋における対中バランシングは大きく進展した。さらに、インド太平洋地域の主要国をこのバランシング戦略に巻き込むため、QUAD(クアッド)構想を推し進め、米に加えて、オーストラリアとインドを引き込んだ。

安倍元首相が主導したバランシングは、典型的なハードパワーによる軍事的バランシングではなく、リベラル国際主義の特徴を持つソフトパワーを活用したバランシングであった。例えば、トランプ政権が環太平洋パートナーシップ(TPP)から離脱したとき、日本は交渉を主導し、アジアにおける自由貿易の規範を固めた。

海外からの評価

マイケル・グリーンは、米国が中国との競争に向けた長期戦略を議論し始めたばかりの頃、日本はすでに独自の戦略を定め、中国との戦略的競争に対する包括的アプローチを明示していたと指摘する。

米国の著名な戦略家のハル・ブランズとザック・クーパーも、日本ほど中国との戦略的競争のすべての側面(貿易、軍事、外交、インフラ、価値観など)に従事している米国の同盟国は他にないと述べている 。超大国である米国の対中アプローチ、強いてはインド太平洋戦略にここまで影響を与えたのは、歴史上安倍元首相のみであろう。

こうした動きから、オーストラリアのローウィー研究所は2019年の地域パワーと影響力のレビューで、日本は「アジアにおける自由主義秩序のリーダー」として台頭したと結論づけた。

安倍元首相が描いた戦略は、今後もインド太平洋の秩序に多大な影響を与え、クアッドやその他の有志国との協力が、中国と長期的な戦略的競争を行う上で礎となり続けるだろう。国内問題やロシアへの宥和外交に対する批判的な声もあるが、改めて安倍元首相の戦略的慧眼と、世界に認められたその外交的リーダーシップに敬意を表したい。

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