沖縄・慰霊の日「県民4人に1人が犠牲」は本当か?

戦後76年、戦没者数を巡る不都合な真実
2021年06月23日 06:00
批評ドットコム主宰/経済学博士

今年も沖縄県の「慰霊の日」がやってきた。例年のことだが、「戦没者20万人」「県民の4人に1人が犠牲に」という慣用表現がメディアの見出しを飾るだろう。だが、数字を含むこれらの慣用表現はいったい正しいのだろうか?

沖縄戦の慰霊碑に祈りを捧げる女性(画像は2015年6月23日の式典時=写真:アフロ)

慰霊の日:沖縄だけ認められた公休日

6月23日は「慰霊の日」である。1945(昭和20)年のこの日、沖縄戦における大日本帝国陸軍による組織的戦闘が終了した。いわば沖縄戦の終戦記念日である。学校や役所などは休日となり、県主催の「沖縄全戦没者追悼式」など追悼行事が行われている。1988年の地方自治法の改正時に、慰霊の日を休日から除外することが検討されたが、沖縄県民が激しく反対して政府の譲歩を引き出し、今も6月23日は沖縄県だけの公休日として存続している。

毎年この日を迎えるたびに、沖縄戦における戦没者数が、新聞やテレビなどのメディアに取り上げられる。報道では「沖縄戦における戦没者数は20万人以上」あるいは「沖縄県民の4人に1人が沖縄戦の犠牲者」と伝えられる。

「県民4人に1人が戦没者」の虚実

だが、「戦没者数20万人以上」は沖縄県出身者以外の戦没者(日米両軍の軍人軍属の戦死・戦病死者数)を含む合計数であり、 県民の戦没者数は約12万人だ(とされる)。「県民の4人に1人が犠牲者」という表現も適切ではない。

沖縄県が公式に発表している戦没者数は以下の通りである。

  1. 沖縄県出身軍人軍属 28,228(旧帝国陸海軍・厚生省資料より)
  2. 他都道府県出身軍人軍属 65,908(沖縄県護国神社合祀者数)
  3. 一般県民 94,000(昭和19年と21年の人口を勘案した推計)

小計(1~3) 188,136(日本人全戦没者数)

  1. 米軍 12,520(米軍政府資料)

全戦没者合計  200,656
出典:沖縄県生活福祉部『沖縄の援護の歩み』1996(平成8)年

これらの数字をもとに沖縄県民の戦没者総数を求めると、沖縄出身の軍人軍属と一般県民を合わせて122,228人、約12万2千人となる。次に「4人に1人」の真偽をさぐるため、沖縄戦当時の沖縄県の人口を調べると590,480人、約59万人だ〔1944(昭和19)年2月の政府による人口調査〕。戦没者12万2千人を人口59万人で割ると20.7%という数値を得る。これは県民の「5人に1人」であって「4人に1人」ではない。

だが、「4人に1人」がまったくの嘘かというとそうではない。沖縄戦の舞台は沖縄本島とその属島に限られているから、戦没者数を分子に、沖縄本島とその属島の人口を分母に取って戦没者の割合を見れば、戦争の実態により近くなる。昭和19年の人口統計をもとに、沖縄県全体の人口から沖縄県宮古郡(宮古島とその属島)と八重山郡(石垣島とその属島)の人口を引くと、沖縄本島とその属島の人口が得られる。その数は492,128人だ。戦没者数をこの人口で割ると24.8%となり、戦没者の本島・属島人口比は「4人に1人」となる。

誇張と誤認の常態化

したがって、「沖縄戦の戦没者は沖縄本島・属島人口の4人に1人」と表現すれば間違いではないが、メディアや識者の多くが「県民の4人に1人」と伝えている。これは誇張ないし誤認である。

この事実を指摘したら、基地反対運動の活動家から「県民戦没者の数は県の公表値より数万人多い。沖縄県営平和記念公園の平和の礎(いしじ)には戦没者名が刻銘されているが、その数は現時点で約15万人だ。実際には4人に1人どころか3人に1人の可能性もある」という反論が返ってきた。

しかしながら、この活動家も数値を誤認している。平和の礎の刻銘の対象は「1931(昭和6)年の満州事変から1945(昭和20)年9月までに亡くなられた方」であって、沖縄戦だけでなく日中戦争・太平洋戦争の戦没者全体が含まれている。沖縄戦の正確な戦没者数を追及する者にはなんの参考にもならない。

焦土と化した那覇上空を飛ぶ米軍機(1945年5月ごろ撮影:米National archives:Public-domain)

「戦没者12万人」の根拠

「122,228人」という戦没者数は沖縄県の推計値だ。推計の土台となるのは「昭和19年2月の調査人口から昭和20年12月頃の沖縄の現住人口を差し引いた数値」とされている。沖縄県は、昭和19年の県民人口から宮古・八重山地方の人口98,352人を引き、さらに本土に疎開した県民の概数62,000人を引いた430,128人を沖縄戦直前の沖縄本島・属島の人口と見なした。この数値から、沖縄戦直後(昭和20年12月頃)の本島・属島人口315,775人を引いて戦没者数の概数を算出し、これに宮古・八重山地方の戦没者(大半はマラリアなどの戦病死)を8,000名程度と仮定して上乗せし、最終的に「122,228人」という戦没者数をはじき出したのである。

以後、「沖縄戦の県民戦没者は12万人」という数値が確定値のように語られるようになったが、調査を進めると、これがとんでもなく杜撰な推計値であることがわかった。沖縄県が計算の基準とした昭和20年の人口調査がきわめて怪しいものだったのである。この人口調査は、戦後沖縄の暫定的な行政機構だった沖縄諮詢会によるもので、これが戦没者数の人口推計を失敗に導いている。

戦没者数は9万人か?

沖縄戦がほぼ終わった昭和20年6月以降、沖縄本島住民の大部分は、収容所に強制的に入れられた。その数は同年10月の段階で12箇所にのぼった。昭和20年10月10日付の沖縄諮詢会人口調査では、収容人口の合計は325,769人だが、先に触れた同年12月頃の調査では315,775人であり、その差は約1万人である。昭和20年には米軍独自の人口調査も複数回行われているが、米軍労務部の5月調査では335,358人、米軍農政部の5月調査では368,217人、調査主体不明の6月の調査では399,858人だった。調査の度に数値がくるくる変わるのである。とてもあてにはできない。

もっと決定的なことに、戦前の調査人口は沖縄本島・属島の人口だったが、戦後の沖縄諮詢会調査からは属島人口の一部が脱漏していたのである。伊江島、多良間島などの住民は本島に強制移住させられ、この人口に含まれているが、本島に強制移住させられなかった久米島、座喜味島、伊平屋島などの人口は含まれていない。脱漏人口は篠原の推計で約3万人である。ふつうならありえない計算ミスだ。沖縄諮詢会の人口調査がその他の点で正確なものであったとしても、この3万人が抜け落ちているため、戦没者数はその分だけ減らさなければならない。

以上の事実から、沖縄戦の県民戦没者概数は、12万人台ではなく9万人台だと推計できる。沖縄本島と属島にかぎっていえば住民の「5人に1人」が、また沖縄県全体の人口を基準とすれば、県民の「6人に1人」が戦没者だった、というのが結論である。

沖縄・糸満市の平和祈念公園(丸岡ジョー/写真AC)

県民は怒るべき

ある知人は、「沖縄は戦争被害を誇張する傾向が強い。わざと数字をいじっているのではないか」といった。だが、筆者はそうは思わない。数字の恣意的なコントロール以前の問題である。行政が「戦没者数を突き止める」という課題に対応できないのだ。政府もそれを知りながら放置しているのが実情だと思う。

戦没者数を突き止めるのは難しい。東京でも広島でも、正確な戦没者数はいまだにわかっていない。だが、あえていう。役所の書類が戦争で焼失してしまった沖縄県だが、こちらで調べた結果、どこをどうつつけばどういうデータが出てくるかは他県よりはっきりしている。しかも、地域コミュニティの力が強い島嶼県だけに、住民異動を可視化しやすい。それができなかったのは、行政が意思と能力を欠いているからである。県民はもっと怒るべきだ。

なお、沖縄戦直後の人口調査には、これ以外にも複数の重大な欠陥がある。これについては別の機会に取り上げたい。

批評ドットコム主宰/経済学博士

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