知られざる防衛大生の「硫黄島研修」〜 今でも思い出す不思議な体験

防大経験、元政治記者によるドキュメンタリー回顧録
ライター
  • 防衛大の学生が硫黄島に訪れる研修。自衛隊OGが振り返るドキュメンタリー
  • 摺鉢山山頂の戦没者顕彰碑に到着するまで水を飲むのが禁止された理由
  • 研修中「敗戦」を思い知った場面、写真撮影の際の不思議な体験とは

硫黄島といえば、言わずと知れた第二次世界大戦末期における激戦の地だ。苛烈な戦闘が繰り広げられ、日本兵のほとんどが戦死し、アメリカ軍もまた多大な損害を受けた。島の象徴とも言える摺鉢山は、爆撃によりその約4分の1が飛散したという。

だが、戦記や映画などでは目にしても、実際に訪れたことのある人はほとんどいないだろう。現在、硫黄島は海自・空自の基地が置かれているだけで民間人が立ち入ることは許されていない。自衛隊小話として、「借金を抱えた隊員は硫黄島に送る。お金の使い道がないし、取り立てが絶対に来られないから」と言われるほどだ。

そんな硫黄島に、いわば自衛隊の士官学校である防衛大学校の3学年が年に一度、研修で訪れることをご存じだろうか。
かつて防衛大生だった私も、2009年、当地を訪れた。その思い出を振り返ってみたい。

硫黄島(U.S. Navy photo /Wikimedia public domain)

水を飲むのが禁止のワケ

硫黄島は暑い。日本本土から約1200キロ南に離れており、研修は12月だというのに、日中の気温は30度近くになることもある。島内は、アスファルトで整備された綺麗な道も多い。事前予習があだになってか道なき道を想像していた私にとっては、少なからず意外に感じられた。

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