知られざる防衛大生の「硫黄島研修」〜 今でも思い出す不思議な体験

防大経験、元政治記者によるドキュメンタリー回顧録
2021年08月14日 06:00
ライター
  • 防衛大の学生が硫黄島に訪れる研修。自衛隊OGが振り返るドキュメンタリー
  • 摺鉢山山頂の戦没者顕彰碑に到着するまで水を飲むのが禁止された理由
  • 研修中「敗戦」を思い知った場面、写真撮影の際の不思議な体験とは

硫黄島といえば、言わずと知れた第二次世界大戦末期における激戦の地だ。苛烈な戦闘が繰り広げられ、日本兵のほとんどが戦死し、アメリカ軍もまた多大な損害を受けた。島の象徴とも言える摺鉢山は、爆撃によりその約4分の1が飛散したという。

だが、戦記や映画などでは目にしても、実際に訪れたことのある人はほとんどいないだろう。現在、硫黄島は海自・空自の基地が置かれているだけで民間人が立ち入ることは許されていない。自衛隊小話として、「借金を抱えた隊員は硫黄島に送る。お金の使い道がないし、取り立てが絶対に来られないから」と言われるほどだ。

そんな硫黄島に、いわば自衛隊の士官学校である防衛大学校の3学年が年に一度、研修で訪れることをご存じだろうか。
かつて防衛大生だった私も、2009年、当地を訪れた。その思い出を振り返ってみたい。

硫黄島(U.S. Navy photo /Wikimedia public domain)

水を飲むのが禁止のワケ

硫黄島は暑い。日本本土から約1200キロ南に離れており、研修は12月だというのに、日中の気温は30度近くになることもある。島内は、アスファルトで整備された綺麗な道も多い。事前予習があだになってか道なき道を想像していた私にとっては、少なからず意外に感じられた。

また島内にはくまなく壕が張り巡らされている。約22平方キロメートルしかない小さな島の中に、総延長18キロの壕がある。そのすべてが手作業で掘られたという。野営訓練時の側溝づくりなどで穴を掘る大変さを、身をもって知っている防衛大生ゆえに余計に感じ入るところがあった。

島内を巡っていると、暑さのため喉が渇く。だが研修初日最後の目標地点である摺鉢山山頂にある日本軍戦没者顕彰碑に到着するまで、私の班では水を飲むことが禁じられた。常に水不足に悩まされ、僅かな水を求めて命を落としていった先人たちを思うと、むやみに水を口にすることなどできないという理由からだ。そのため、顕彰碑を始め、至るところで先人たちへの献水を行った。

顕彰碑にて(筆者撮影)

「戦争に負けるって、こういうことだ」

米軍が勝利した記念として描いた米軍上陸記念壁画の前では、初めての感覚に襲われた。同地では星条旗を掲げる兵士の姿の傍らに、多数の落書きが彫られている。見るところ、多くがアメリカ兵士の名前のようであったが、それ以外に“LOVE”や“hamburger”というものもあった。その壁画や言葉を見たとき、私は、何とも形容しがたい嫌な気持ちが沸き起こってくるのを感じた。その刹那、指導教官が言った。

いいか、お前ら。戦争に負けるって、こういうことだ

筆者撮影

そうか、この嫌な感情は、自分の国の領土が踏みにじられたという感情なのか、と気付いた。防衛大に入学したとは言っても、もとより国防意識や民族意識が高かったというわけではない「どこにでもいる、至って普通の人間」だと思っている私ですら、こんな気持ちになるのかと、驚きもした。

一泊二日の短い訓練だが、防衛大がある横須賀に帰るまでの道すがら、バスの中から家々を見ては「この家の明かりを守ろうと先人たちは散っていったのだ。その彼らが今の日本を見たらどう思うのだろうか」と考えたりもした。

硫黄島研修に当たっては、いくつかの禁則事項があった。先のむやみに水を飲まないというのもそうだが、ピースサインをしない(当時はアメリカ人のジェスチャーだったから)、島から何も持ち帰らない、など。いわく、「硫黄島から石ひとつでも持ち帰るとよくないこと(体調不良など)が起こる」というのである。

なぜかデジカメが振動…

防衛大生たちが着用している半長靴の裏にはいくつもの溝があり、歩いていれば小石が挟まるものだが、帰る前にはその部分も徹底的に掃除をすることになる。個人的にも不思議な経験をした。島にはたくさんの石碑があり、その中の一つとして、硫黄島戦に参加した日米の両兵士及びその遺族が1985年に再会を果たし、握手と抱擁を交わし合った記念である「再会の碑」がある。

画像は2019年3月23日、日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式で根本厚労相(当時)らが「再開の碑」に献花したときの様子(厚生労働省サイトより)

島での写真撮影は自由に可能だったので私もいろんな場所を撮ったが、この碑の前で写真を撮ろうとすると、いきなりデジタルカメラが振動を始めた。理由は全く分からない。写真を撮れないことはないが、震えているのでピントが合わない。もう一度電源を入れ直すと振動は収まるが、しばらくするとまた震えが始まる。同期からは「冗談やめろよ…」と真剣な顔で言われたものだ。

結局これは防衛大に戻ってからも直らず、最終的には震えっぱなしで使い物にならなくなってしまった。私のカメラは当地で何を捉え、持ち帰ってきたのだろうか。卒業後にはなるが、私はそのカメラを手に、靖國神社に向かった。カメラに宿った何かの思いが、この地で安らぎを得られたらいいなと、心を込めながら。

自衛隊を離れ、約10年が経ったいまも、夏の暑さを感じるとき、私は硫黄島で抱いた感情を不意に思い出すことがある。そうして、ただ生きているということの尊さを、静かにかみしめる。

 

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