田中角栄からの卒業 #5 「天才」を生んだのは偶然か必然か?

「角栄システム」田原が発見→猪瀬が解剖
SAKISIRU編集長
  • 連載最終回。ルールメイカー角栄を発掘した田原総一朗、猪瀬直樹両氏に聞く
  • GHQ占領統治下でアメリカ型立法府のスタイルを田中角栄は実地で試したか
  • 角栄の傑出した政策的手腕を生んだのは時代の偶然か?必然か?

ここまで「ルールメーカー」として田中角栄の傑出した政策的手腕について述べてきたが、いまから約40年前、昭和50年代の半ばに掘り当てた先人がメディア界に2人いる。田原総一朗と猪瀬直樹。今でこそ全国区のビッグネームだが、「ルールメーカー」としての角栄が地味な扱いだったように、発掘当時の2人も知る人ぞ知る存在だった。

田中角栄 出典:内閣広報室の肖像写真をアレンジ

角栄の「秘密」を掘り当てた田原

「田中角栄ほど構想力のあった政治家はいなかった。前代未聞」。そう懐かしむ田原はロッキード事件以後のメディア界で角栄の信頼を勝ち得た数少ないジャーナリストの一人だ。そして、角栄の実務能力の根源を最初に掘り当てた。

『朝まで生テレビ』の司会者として著名になるのは後年のこと。60年代から70年代半ばにかけ、田原は東京12チャンネル(現テレビ東京)のディレクターや映画監督として過激なドキュメンタリー作品を制作していた。

角栄との“出会い”は、局を独立する1年ほど前。

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